26話 仔犬の飼い主が見つかりました
夏休み直前。あまりの暑さに、私も鏡子もやる気を失い、机に突っ伏していた。扇風機もない、エアコンもない、風は入ってくるけど生ぬるい。蝉がうるさく鳴いて、暑さを強調する。
こんなに日には、水遊びとか、制服のままでいいからプールに飛び込みたい。
じめじめとした蒸しかえるような暑さにそろそろ帰らないかと切り出そうとした時。
「こんちはーっす!」
夏の暑さを吹き飛ばすような爽やかな挨拶が聞こえ、顔をあげると、満面の笑みを貼り付けた川内くんと川内くんの影に隠れるようにして顔をのぞかせている遠藤さんが部室に入ってきた。
この高い湿度、高い気温のなか、その元気を保てているなと感心する。野球部ということもあり、外で練習をしているため暑さには慣れているのだろうか。
「川内くん、どうしたの? 遠藤さんも一緒だし」
川内くんが視線を下ろし、遠藤さんをほらと前に引き出す。遠藤さんは肩をすくめて、私と鏡子の目を見る。
遠藤さんは、私に感情をぶつけてから一度も顔を出しておらず、だから今日久々に見た。
スカートを握ったり離したり、指を開いたり閉じたり。
小さく息を吸う音が聞こえ、遠藤さんは勢いよくお辞儀をした。突然のことに私は驚き、呼吸を忘れた。
頭を上げて、私の顔を見ている。
「ヨミ先輩、叩いたりしてすみませんでした。ヨミ先輩のおかげで、ちゃんと気づくことが出来ました。
ありがとうございます!」
鏡子はなんのことかわからず頭にハテナを浮かべていて、川内くんは穏やかな笑みを遠藤さんに向ける。
ちゃんと気付いてくれたなら良かった。
「いいんだよ、ちゃんと気付いてくれたなら」
「りっちゃん、詠ちゃんを叩いたってどういうこと?」
遠藤さんは泣きそうな顔をして、ただ一言「ごめんなさい」と謝り、川内くんの後ろに隠れてしまった。
川内くんはため息を漏らすと、遠藤さんの代わりにあの日のことを話し始めた。それから私の知らない、あのあと――遠藤さんが部室を出ていってからのことも。
あの日、遠藤さんが出ていったあと、自宅に戻り、私の言葉を思い返した。それから、自分の記憶をたどって、鏡子への好きはなんなのか、じっくり考えた。次に川内くんの事を考えた。川内くんへの気持ちは依存がないことに気付く。じゃあ心に残ったこの気持は何なのか。川内くんが他の女子と話していた感情はなんなのか。
遠藤さんが出した答え。鏡子への気持ち。川内くんへの気持ち。
川内くんは、遠藤さんの顔を愛しそうに見つめて、鏡子の瞳を嬉しそうに見てから凛と告げる。
「俺、リツハと付き合い始めたんです」
ついに叶ったんだ。片思いが実ったんだ。
川内くんは恥ずかしそうに笑って、遠藤さんは、照れ隠しだろうかふんと鼻を鳴らした。鏡子はぱちぱちぱちと拍手をして微笑んだ。
「りぃちゃんに彼氏ができたのねー。おしあわせに!」
「おめでとう、川内くん」
「ありがとう! 二人のおかげだ!」
二人が出ていったあと、忘れていた暑さが襲ってきて、私達は部活を切り上げ保健室に逃げ込んだ。
「保健室が涼しいのはわかるけどな……、明日から夏休みなんだから家に帰ればよかったんじゃないの?」
「帰るならもっと涼しい時間に帰りたいなって」
ソファに体を預けると、ちょうと空調の風が体にあたって涼しい。かいていた汗は風が拭ってくれた。鏡子は、やる気を出したのかまた本を読んでいる。
鏡子は本当に本の虫だ。
「志賀さんは、本が好きなんですか?」
私達より先にいた鳴瀬先生が話しかける。が、本に集中していて、返事がない。鳴瀬先生は、頭をかいてもう一度「志賀さーん」と呼びかける。やっぱり気がついてない。ページをめくる指が止まらない。
好きなものに集中するとホントまわりが見えなくなるからなあ。私が呼びかけても最初は反応してくれなかったし。
「鏡子、鳴瀬先生が呼んでる」
「えっ、あ、えっと、先生どうかされました?」
読書中の鏡子の名前を呼んで反応してくれるようになったのはつい最近。
「志賀さんは、本が好きなんですか?」
鏡子は、読んでいた本を両手で抱くと、笑顔で「はいっ!」と答えた。
さあ始まるぞ。鏡子のマシンガントーク。
「わたしが好きな作家は、宮沢賢治ですね。先生は読んだことありますか? 読んだこと無いのであればぜひ読んでみてください! わたしのおすすめは――」
鏡子がいきなり話し出すものだから、鳴瀬先生は顔をひきつらせ、驚いている。止まらない鏡子の会話。
宇佐見先生は慣れたもので、紅茶を優雅にすすりながら鏡子の話に耳を傾けているようだった。澄んだ声が耳に入ってきて、ちょっと幸せだななんて思ってしまう。鏡子の声は、聞き慣れた声だけど、優しくてあたたかくて好きだった。
鏡子が話終えたのは一時間ほどだったあとだった。




