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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
1章 文学少女は本を胸に抱く
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25話 仔犬に噛みつかれた読書家

 翌日、鏡子は用事があるらしく先に部室へと足を運んだ。静かに読書をしていたら、ドアが開く。鏡子かなと顔を上げた途端。

 私の視界は左へと流れた。後から頬に鋭い痛みが走る。椅子が音を立てて倒れ、お尻を床に打ち付けた。

 舞い上がった埃が雪のように降る。

 つま先の赤い上履き、少し丈の短い紺色のスカート、私を睨む遠藤さん。

 遠藤さんの目尻から、透明な雫が垂れてきて、私のスカートに染み込んだ。

 どうして泣いているの。


「遠藤、さん……?」

「どうしてよ、りぃのきょうちゃんなのに!

 りぃはきょうちゃんを愛しているのに」


 静かな炎を燃やした声。激しい風が炎と混ざって勢いを増す。


「なんでヨミ先輩がっ……! りぃのきょうちゃんを返して!

 きょうちゃんはりぃの恩人なの。りぃがずっといじめられてて、それを助けてくれたの。きょうちゃんはりぃのなの!」


 静かだった部室に遠藤さんの叫びが轟く。

 倒れた私の上にのしかかった。お腹のあたりに重みを感じる。


「離して、遠藤さん」


 渾身の力を込めて、遠藤さんを押しのけようとするがびくともしない。

 手を振り上げて、私の頬を幾度も叩く。

 痛い。乾いた音が幾度も響き、肌の奥から感じる熱は引っ叩かれる度、温度を高め、視界は一瞬白みがかる。


「だれも助けてくれなかった、先生も見放した……。それなのにきょうちゃんは助けてくれたの! きょうちゃんがいてくれたおかげなの!」


 悲しい、痛みを帯びた心からの叫び。

 遠藤さんはいじめられたいた過去があって、鏡子が助けた。だから、遠藤さんにとって鏡子は恩人。英雄。

 絶望と苦痛のそこにいた遠藤さんに差した一筋の光。辛く悲しい日々に涙を流したであろう。

 人に嫌われて、笑われて、後ろ指さされたんだよね。

 辛かったよね。

 私も、いじめられたことあるから、苦しみを理解できるよ。

 誰も助けてくれない悲しみを。絶望を。

 誰かが助けてくれたときの嬉しさも。安心感も。

 助けてくれた人に抱く気持ちも。


 怒りと悲しみの混じった瞳を私から逸らさない。

 最初ににらみ合いをした時とは違う。

 警戒心のかわりに怒りがある。

 遠藤さんの涙が落ちて、セーラー服に染みていく。

 両サイドで結んだ髪を揺らして、手を振り上げた。

 叩かれる度、勢いはなくなり、ついに遠藤さんは私の胸に崩れた。


「きょうちゃんは、りぃのだったの……。でも、おかしいんだよ。りぃはきょうちゃんが好きなのに、あいつのことが頭にちらつく」


 今にも消えそうな声が、遠藤さんの口から溢れる。

 嗚咽を漏らし、私の胸元を弱々しく叩く。


「きょうちゃんは、……っ、りぃのなの……」


 繰り返し「きょうちゃんはりぃの」と主張する。

 繰り返し「どうしてりぃじゃなくてヨミ先輩なの」と主張する。

 頬の痛みも忘れて、慟哭する遠藤さんの頭に手を伸ばした。

 鏡子のように、優しく話しかける。


「遠藤さん、私の話聞いてくれる?」


 顔を隠していた長い前髪は横に流れて、両目でしっかりと遠藤さんを見ることが出来た。

 遠藤さんはしゃくりあげながら、顔を上げた。


「遠藤さんにとって鏡子は、恩人なんだよね。好きなんだよね」


 手の甲で涙を拭って、遠藤さんはうなずく。

 きっと、遠藤さんは勘違いしてる。

 依存から好意は生まれるものじゃない。

 依存から生まれるのは、

 独占欲。

 依存と好意は似ているけど違ったものだ。


「遠藤さんは鏡子のことが好き。でもそれは恋愛感情と違うんだよ」


 遠藤さんの目に衝撃が現れる。口を微かに動かして、目尻から溢れた涙が頬を滑った。

 苦しそうに眉を寄せ、頭を振った。

 私の言葉を拒絶している。

 ごめんね、遠藤さん。


「依存なんだよ。鏡子に助けてもらったから、嬉しくて、依存しているんだよ。

 好きを、勘違いしているんだ」

「違う、違う……」

「違わない」

「違う、そんなことない。りぃはきょうちゃんが好きなの。付き合えるなら付き合いたいの。でも叶わなかったの。それでもきょうちゃんが好きなの」


 私の胸元を叩く。違う、本当に鏡子が好きだと教えるように。


「じゃあ、川内くんはどうなの?」


 一瞬の沈黙。


「あいつは、嫌い……」

「嘘」

「嘘じゃない。鏡子が教えてくれたから。遠藤さんは本当に嫌いな相手なら、話すらしないって。

 ちゃんと自分の心に聞いてみて?

 誰が好きなのか。

 自分と向き合ってみて?」


 手が振り上がる。

 次の瞬間、頬に痛みが走り、口の中に血の味が広がった。

 私から退いて、髪を振り乱しながら遠藤さんは走っていった。頬がじんわりとした痛みと熱を纏う。

 本格的に遠藤さんに嫌われただろうか。もう、部活にも来ないだろうか。

 ヒグラシが寂しく鳴いている。

 生ぬるい風が、部室を駆け抜け、廊下に流れた。黄金色の光に満たされた部室を見回して、天井に視線を移した。

 天井の模様をどのくらい見つめていたのか。


「詠ちゃん、そんなところでお昼寝はだめよ?」


 ぼんやりとした意識を起こす優しい声だった。


「寝転びたくなっただけ」


 鏡子は、私のそばまでくると膝を折ってしゃがんだ。ひんやりとした指が私の叩かれた頬をなぞる。澄んだ瞳が潤み、私の頬を両手で包んだ。


「痛々しいわ……」


 頬の熱が奪われる。

 桜の匂いが鼻腔をくすぐり、何故か胸の奥が締め付けられた。鏡子から視線をそらして、ぼそぼそと呟く。


「大丈夫だよ」

「いいえ、だめよ。念の為保健室に行きましょう」


 姉のような優しい口調で、私を保健室まで連れて行った。

 中に入ると、宇佐見先生と鳴瀬先生が楽しそうにお茶を飲んでいた。私達に気付いた宇佐見先生は立ち上がり、「どうしたの」と声を掛ける。


「保冷剤いただけませんか」

「あるわ、ちょっとまってて」


 宇佐見先生は冷凍庫まで小走りで向かう。赤く腫れた頬を見て、鳴瀬先生が怪訝そうな顔をした。


「元不登校の橘さん、殴り合いの喧嘩でもしたんですか?」

「元不登校は余計です。ちょっと……打っただけです」


 保冷剤を白い布で包んだ宇佐見先生が私の頬に押し当てた。


「はい、ちゃんと返してね。お大事に」

「ありがとう、宇佐見先生」


 宇佐見先生は以前より心なしか瞳が生き生きしているように見えた。一瞬見えた左腕に新しい傷はなく、安心した。

 鳴海先生は穏やかな笑みを浮かべて宇佐見先生を見ていた。

 頬に保冷剤を押し当てたまま、「失礼しました」と言って保健室を出た。

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