21話 儚い君の横顔
六限目が始まったが、心配で仕方がなかった。鏡子が水泳で溺れたときもこんなふうにつまらなくて心配な時間を過ごした。
鏡子の分も授業内容を頭に叩き込まないと。
ノートを広げて、先生の話を必死に聞く。
しかし自分の記憶力に自信がなく、スマホの録音アプリを使って、授業の音声も録音していた。
バレれば没収となるだろう。
鏡子は賢いから自宅学習で遅れた分の勉強ぐらい取り戻せるかもしれない。
そうだとしても、鏡子のためになにかしたかった。
あんな辛い顔じゃなくて、笑顔をいち早く見たい。授業終わったら、購買部でチョコのお菓子を買っていこう。
部活の時間よ、言い出すだろう。しかし、今日は絶対部活をさせない。
「それでは授業を終わります」
六限目が終わり、終わりのショートホームルームになった。先生は教室に入ってきて、一通り話した後、鏡子の席をちらりと見た。
「志賀の荷物を保健室に誰か届けてくれないか」
先生が教卓に手を付き、クラスを見回す。
皆の前で手を挙げるのは、少し恥ずかしいけど、そんな事を気にしている場合じゃない。
「私行きます」
すっと手を上げる。
クラスメイト数人が先生の視線を追って、私を見る。
「橘頼んだぞ」
「はい」
ショートホームルーム後、自分の荷物を作り終え、鏡子の鞄に手を付ける。
「手伝うよ」
「えっ、あ、ありがとう」
突然のことに驚き、声がつっかえる。
鏡子が転校してきた当日、休み時間、一番に鏡子に話しかけにいってた野分さんだ。
面倒見がよく、授業中うるさい男子をぴしゃりと黙らせていることがある。
「志賀さん、なにかあったの?」
「熱中症で倒れちゃったみたいで」
野分さんが教科書を鞄に入れる。
なんだかんだで最近クラスでは鏡子とばかりいたせいか、他の女の子と話すことに緊張を覚えた。
「そうなんだ、大変だね。早く元気になるように伝えておいてね」
大人びた笑みを作り、鞄を閉じると私に託した。
「それじゃ、私部活あるから。じゃあね」
と野分さんは足早に走っていった。
二つの鞄を持って、購買部……食堂へ向かう。
体育館へと続く廊下を渡っていた時、自販機の前で腕を組んで悩んでいる野球部の男子を見つけた。近づくほど、相手の顔がはっきりと分かる。
「あ、川内くん」
ほろりと名前をこぼすと、川内くんはにぃと笑った。
「橘さん!」
「ジュース選んでるの?」
「新発売のマンゴーミルク味の炭酸水か、スポーツ飲料かで悩んでるんだよ」
マンゴーミルクの炭酸水、なんだかクリームソーダみたいなあまーい味がしそう。
「これから部活なら、大人しくスポーツ飲料にしておいたほうが熱中症対策にもなっていいと思うよ」
「ふむ、そうだな。さんきゅ!」
納得すると、ポケットから百円を出して入れた。ボタンを押して、下に落ちたスポーツ飲料を取る。
「橘さんこそ、鞄二つ持ってどうかしたの」
「鏡子がちょっとね……」
「そうか……」
川内くんはまたお金を自販機に入れると、悩んでいたほうのもうひとつを押して、抜き出すと、私に突き出した。
「これ、志賀さんに渡しておいてくれ。
じゃあな」
私の手には、鞄二つと炭酸水が残った。
川内くん、優しい。
食堂に入り、チョコのアイスを買った。一口サイズのものがたくさん入ってるやつ。
溶けないうちに、と保健室まで走った。
「失礼します」
ソファに座っていた宇佐見先生がぎょっと目を剥く。
私は、片手に鞄二つ、もう片方の手にはアイスと飲み物をもっていたからだ。
そして、宇佐見先生はおかしそうに笑い、ベッドへと通してくれた。
「アイス、冷やしとくわ。貸して」
アイスを預けて、カーテンを閉じた。
鏡子の頬はまだほんのりと赤いが、安らかに眠っていた。頬に炭酸水を当てると、肩を震わせ、瞼が動いた。潤んだ黒い瞳が目尻に流れ、頬に当たったものを確認する。
「……お水?」
「飲んで見る? 川内くんからの差し入れだよ」
ラベルが見えないようにタオルを巻いて、渡した。
鏡子が体を起こして、キャップを開けようとする。しかし、力がうまく入らないのか、手だけがまわる。
「開けようか?」
いつもの鏡子ならペットボトルのキャップぐらい一人で開けられるし、無理だとしても「このくらい一人で開けられるわ」と頑張るのだろうけど。
鏡子は、口をむっとさせ、黙ってペットボトルを差し出した。
指に力を入れ、軽々とキャップを開けると、鏡子は口をごもごもさせる。
「今日はうまくいかなかっただけ。指が言うことを聞かなかったのよ」
と言い訳をした。
体調悪いときに言い訳なんて必要ないのに。
ペットボトルを鏡子に渡すと、薄く唇を開いて炭酸水を喉へと流し込んだ。
一瞬ビックリした表情を見せ、すぐ穏やかな表情に戻った。
「お熱はかりましょうねー」
体温計を持った妙に上機嫌の宇佐見先生がカーテンを開けて入ってきた。
ペットボトルから口を離し、キャップを締める。ペットボトルと体温計を交換する。
電子音がかすかに聞こえ、体温計を宇佐見先生に見せると、宇佐見先生はにっこりと笑った。
「熱下がってるやん。おうちのひとに迎えに来てもらうことはできる?」
鏡子は静かに首を振る。
「きっとお仕事だろうから」
「じゃあ、先生が送っていくわ。ゆっくりでいいから準備して」
鏡子は私と宇佐見先生を泣きそうな顔で見つめた後、ベッドから腰を下ろした。
「あ、宇佐見先生、チョコ」
私のつぶやきに、鏡子の瞳がキラリと光る。
鏡子はソファに座り、宇佐見先生を見た。
宇佐見先生は、やれやれとため息を漏らし、冷凍庫からアイスをとりだした。
鏡子は一度リボンを解き、三つ編みを結い直した。きゅっと引き締まった三つ編みは鏡子のアイスを食べるぞと言う心を表しているようだ。
チョコのアイスを見るやいなや、鏡子はすぐに全部食べてしまった。
このまま一人で帰らせても平気なんじゃないだろうか。
「先生、帰りましょう!」
「は、はい……」
保健室のドアのプレートを「外出中」に変えて、車を校門前につけた。
出発する寸前、私達を見つめる伊知さんの姿を見つけた。
話しかけようにももう時すでに遅し。車は出発してしまい、坂を下っていた。
鏡子はぼーっと外を眺めていたが、伊知さんには気づいていなかったようだ。
鏡子を自宅まで送り届け、ついでに私も家まで送ってもらった。
その日の夜、伊知さんからLINEが届いた。
『大丈夫ですか、鏡子先輩になにかあったんですか』
『大丈夫だよ』と返事をして、スマホを置いた。




