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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
1章 文学少女は本を胸に抱く
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1話 転校生は虫でした

 ショートホームルームのとき、先生は出席を取る前に一つ報告があると告げた。


「転校生を紹介する」


 教室がざわつく。

 桜は散り、葉桜へと変わった頃に転校生とは。

 そういえば、今日は私の隣に真新しい机が置いてあったっけ。

 先生が、咳払いをすると、ざわついていたクラスメイトは口を閉じた。

 ドアが音を立てて開いた時、クラス全員の視線は入ってきた生徒へと注がれた。

 私は一瞬呼吸の仕方を忘れた。

 歩くたびに揺れる紺色のスカート、まっすぐに伸び、切りそろえられた前髪、そして、黒猫の尻尾のように長い三つ編み。

 今朝の女子生徒だった。



 ――じゃあまたね。



 今朝の言葉の意味はこういうことだったのか。

 女子生徒は教卓の横に立つと、両手で鞄を持ったまま一礼した。肩から三つ編みがこぼれ落ちる。

 女子生徒の容姿を褒める声が男子の間で上がる。


「初めまして、志賀しが鏡子きょうこです。これからよろしくおねがいします」


 自己紹介が終わると拍手がわき起こった。

 アニメや漫画で以前出会った人が転校生として登場することがよくあるけれど、実際にこんなことがあるのか……。

「橘の隣の席な」と先生は空いた席を指さした。志賀鏡子は先生に軽くお辞儀をすると、三つ編みを揺らしながら生徒の間を通っていく。私の隣を通り過ぎる瞬間、机の横に鞄を置く仕草をした時、小さな唇が動いた。



「そこで考え出したのは、道化でした」



 小声で囁く。

 背筋がゾッとした。

 今朝、私が読んでいたページにはどこにもそんな文字の並びはない。しかし、その文字の並びは私が読んでいた小説の中に確かに存在する。

 どうして今ここで言う必要があった?

 なぜそのフレーズなの?

 私は志賀鏡子の意図がわからず怖くなった。

 志賀鏡子はおしとやかに席に座ると、桜のようなかわいらしい笑みを私に向けた。

 授業中、志賀鏡子は教科書とノートを開いて、机の下で本を読んでいた。なんの本かは分からないが、目は真剣そのものだ。目で文字を追う。追いかけ、追い回す。ページをめくる指が止まらない。

 最初から最後まで、読書に集中していた。

 授業が終わると志賀鏡子の周りには人だかりができ、私は読書に集中できなくなり図書室へと移動した。

 

 この学校の図書室はとても広く本の種類も豊富で図書館と形容してもいいほどだった。

 図書委員はおらず、図書担当の先生が受付の前で本を読んでいた。

 棚の前に立ち、一冊一冊本の背を指でなぞっていく。

 ある一冊の本が目に止まった。本を抜き、パラパラとページをめくる。

 私が唯一嫌いな本。数年前、大ヒットを生んだこの作品は漫画化や映画化を果たした。

 作者が過去最年少だったためか、出版業界にインパクトを与え、世間からもてはやされていた。

 こんなありきたりで、アメリカのお菓子みたいに甘い物語、嫌いだ。

 大嫌いだ。


「詠ちゃん、そろそろ次の授業が始まるわ、帰りましょう」


 声が聞こえ、そちらを振り向くと志賀鏡子が立っていた。慌てて本を棚に戻す。

 あの人だかりをどう対処したというのだ。そしてなぜ私のところに来たのだ。

 志賀鏡子は凛とした表情で言う。


「あら、どうして名前を知っているのという顔をしているわね。それはクラスの子に聞いたからよ」


 誰もそんな事思ってない。

 志賀鏡子は私の手を掴むと、そのまま廊下へ引っ張り出した。引きずられるような形で教室へと連れ戻される。すれ違う生徒や廊下の端でおしゃべりをしている生徒が私達に好奇な視線を送る。


「ちょっと……志賀さん?」

「鏡子でいいわ」


 志賀鏡子は前を向いたままで後ろをむこうとしなかった。

 教室に入ると、ちょうど頭上でチャイムが鳴った。教室に入った時、クラスメイトの視線が私達に注がれ、その場から消えたいと思った。目立つのはごめんだよ。

 次の休み時間も鏡子の周りには人がたかっていた。そしてすっかりお昼休みになった。

 食堂や中庭でお昼ご飯を食べる生徒もいるため、教室にいる人数がグッと減る。しかし、転校生が来たと聞きつけた他のクラスの生徒が廊下から教室の中を覗いていた。


「お嬢様らしいぜ」

「超絶美人らしい」

「許嫁がいるんだってさ」


 と噂が聞こえてくる。

 そんな声が鏡子には届いていないのか、鏡子は弁当を持って私の机にやってきた。


「一緒にご飯食べましょう」


 私の返事を聞く前に、鏡子は椅子を私の机まで持ってきて、弁当を机においた。薄紫色の包みが鏡子のイメージにぴったりだ。

 いただきますと手を合わせ、鏡子は弁当を食べ始めた。

 特に仲がいいわけでもないので、無言が気まずい。私はご飯を咀嚼しながら話題を探した。

 ご飯を飲み込み、鏡子に話題を振った。


「一限目、何を読んでたの?」


 鏡子は口の中の食べ物を飲み込むと「『銀河鉄道の夜』よ」と答えてた。

 そして「旧版」と付け加えた。

 『銀河鉄道の夜』は旧版と新版で違う箇所がたくさんある。例えば、旧版で登場していたブルカニロ博士が新版では登場しなかったり、新版では学校で授業を受けるところから話が始まったりと。変更点は多い。

 旧版では夜の間だけの話が、新版で新たな章が加わったことにより、昼から夜へと時間が伸びる。

 ご飯を食べ終えると、頬杖をつき、鏡子は澄んだ瞳で窓の外を見つめた。しばらくして、鏡子が私を一瞥すると、ポツリと呟いた。


「ねえ、詠ちゃん。けれども本当の幸いは一体なんだろう」


 その言葉は『銀河鉄道の夜』に出てくるフレーズだった。

 私は銀河を旅したジョバンニやカムパネルラでもないし、人生二周目を迎えた人間でもない。家族がいて、衣食住に困ることがない、それが本当の幸せだとしても、鏡子の質問とはなにか違う気もする。


「分からない」


 それが私の答えだった。


「鏡子は何だと思うの?」

「わたしにも分からないわ」


 その瞳はどこか寂しそうだった。


「鏡――」

「志賀さーん」


 名前を呼びかけた時、女の子が廊下から鏡子の名前を呼び、私の声を打ち消した。

 鏡子は私に目で、ごめんねと伝えると席を立った。私はただ、歩くたびに揺れる三つ編みと華奢な背中を見つめることしかできなかった。



 六限目は数学だった。最近頭頂部が禿げてきた先生はしゃがれた声で、例題を用いて公式の説明を始める。理解しようと、頭の隙間を広げ、公式を並べて先生の言うとおりにしてみる。しかし、どうしてこうなるのかとやはり理解に苦しんだ。

 もう無理だ。分からないと決断を下し、私は理解することやめた。

 理系は私と相性が悪い。誰しも苦手なものはある。仕方がないのだ。

 数学の問題を解くぐらいなら、難しい学術誌や訳のわからないどこかの文明文字を眺めている方がましに思える。

 先生は黒板に問題を書くと、机と机の隙間を縫うように歩いた。

 鏡子は隣で黙々と問題を解いてた。

 数学は得意なのだろうか。

 鏡子を横目で見ながら、問題を解くふりをした。数字や記号の羅列は私の頭を混乱に突き落とす。一通り先生が見回ると黒板の前に立ち、手を叩いた。


「では問一の答えを……」


 あたるな、あたるな、あたるな。全力で当たらないことを祈った。必死に問題を解くふりをして、まだ解いている途中ですよというアピールをした。目を細め、適当に文字を書き、首をひねって、消しゴムを乱暴につかみ、文字を消す。傍から見ても答えがわからないけど問題を解いている風には見える、はず。

 しかし、そのアピールも虚しく。


「橘」


 死刑宣告を受けた気分だった。


「はい」

「問一の答えは」


 席を立ち、何も書いていないノートを見つめた。なにか答えなければ。

 額の毛穴から汗がにじみ出る。鼓動が大きく早くなり、全身の血が沸騰したようだ。

 内心ものすごく焦っていたが、表面では冷静を装っていた。

 さあどうしよう。

 隣から腕が伸びてきて、小さな紙切れがノートの上に乗っけられた。


「十六です」


 紙切れに書かれていた数字を見て答える。先生は眉をピクリと動かし、


「正解だ」


 私は席につくと安堵の息を吐いた。紙切れの裏にありがとうと書き、それを鏡子に返す。

 鏡子は文字を読むと私を見て口角を上げる。

 授業が終わり、私はもう一度鏡子にお礼を言った。


「そのくらいいいのよ。

 ねえ、それより一緒に帰りましょうよ」



「わたし、宮沢賢治の小説や詩が大好きなの」


 校門を出た途端、鏡子はうっとりとした表情をして宮沢賢治の作品が好きということを暴露した。

 日が傾き、オレンジ色が空を染めている。


「あの独特なオノマトペがたまらないの。いいわよね、あの表現」


 確かに、宮沢賢治の作品にはどれも他には見ないようなオノマトペが散りばめられている。私は試しに「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と口ずさんでみた。

 私の言葉を聞いた鏡子は、目を輝かせ、今にも歌いだしそうに声を弾ませる。


「『貝の火』ね」


 そして、長いまつげを少し伏せ、穏やかな声色でその続きを暗証し始めた。止まることなく言葉は紡がれていく。たくさんの文字が風に乗りそのままどこかへ流れていくようだった。

 私は黙ったまま今日この言葉に耳を傾けていた。聞き惚れていた。

 鏡子はハッと我に返り、口をつぐんだ。


「ごめんなさい、わたしつい……」


 頬をりんごのように赤くする。


「鏡子、すごいね。暗唱できるなんて」


 私が褒めると、鏡子は恥ずかしそうに照れた。一体何回読んだのだろう。

 鏡子は恥ずかしさを振りほどくように首を振ると私に質問を投げかけた。


「よ、詠ちゃんは宮沢賢治の作品を読んだことある?」

「もちろん」

「例えばどんな?」


 バラバラだった歩幅はいつの間にか揃っていた。私はこれまでに読んだ作品を覚えている限り伝えていった。作品を一つ、また一つ伝える度、鏡子の興奮度は増していく。頬を紅潮させ、目はキラキラと輝き、三つ編みが何度も大きく揺れた。

 私は友達がいなかったため、当然のことながら本の話をする機会がなかった。しかし、鏡子と出会ったことで、本の話ができるようになり嬉しさを覚えた。

 桜の木の下で道が二手に分かれている。そこに来た時、鏡子は立ち止まった。


「わたしこっちなの。じゃあまた明日」


 鏡子は小さく手を振り、くるりと背中を向けてあるき始める。

 西に傾いた夕日が遠くにある山の斜面に身を隠して、淡い橙色の光が雲を茜色に染めていた。

 今日この姿が小さくなるまで見送った。



 部屋に入って、鞄を机の隣に置き、制服を脱ぎ捨てベッドに寝転がる。天井の一点を見つめて今日あったことを頭の中で整理した。

 転校生がやってみた。三つ編みの読書家。

 私より背は高く、本に関する知識が豊富で、私より歳上なんじゃないかと思ったほどだ。

 夕暮れ時、三つ編みを揺らして、『貝の火』を暗証してみせる姿はかっこよかった。



薄い唇がかすかに開いて。



――そこで考え出したのは、道化でした。



 またあの文章が脳裏に現れる。首を横に何度か振り、文章をかき消した。


「詠、ご飯よ」


 階下からお母さんの叫ぶ声が聞こえた。壁にかけてある時計に目をやると短針は七をさしていた。そのまま視線を下をずらし窓の外を見る。辺りはすっかり暗く、いろんな家から漏れる明かりが目立つ。

 体を起こし、椅子にかけてある部屋着に着替えた。枕元に置いていた白く横幅の広いヘアピンを掴んだ。長い前髪を耳にかけ、そのままヘアピンを使って留める、家でのスタイル。

 ご飯にありつくため私はドアを開け、階段を駆け下りた。

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