15話 仔犬の遠吠え
翌日、部室に向かっていたら、騒がしい足音が近づいてきた。
イノシシだ。
イノシシが鏡子に突進して、鏡子が吹き飛ばされる。
遠藤リツハというイノシシだ。
「きょうちゃーん! 今日からりぃも文芸部員だよー!」
鏡子に馬乗りになり頬を鏡子の胸に押し付けている。全くこの人は。
「そうなのね……」
目をくるくる回しながら、鏡子は答えた。
体を起こした鏡子は頭を押さえ「頭がガンガンする……」と呟いた。そんなこともお構いなしに遠藤さんは鏡子にべったりで、自分の腕を鏡子の腕に絡ませている。
こうして、おてんば娘の遠藤さんが部員となったわけだが、私はあまりいい気がしていなかった。しかし、そんな事鏡子にも言えないし。
腕に遠藤さんをくっつけたまま部室へと入った。
部室に入ると、鏡子の横に椅子を持っていってべったりべたべた。お菓子目的というより鏡子目的といった感じだ。
時間とお題を定め、遠藤さんも物語を書いて行く。物語を書きながら、ちらちら遠藤さんの方を見たが、書く手は止まることなく枚数を重ねていた。この子、もしや物を書くのが好きなのだろうか。それとも、文才があるのだろうか。
「はい、おわりー!」
鏡子が原稿用紙を取り上げ、読んでいく。
今日は十五分間でお題は「アルバム」だった。
私は母親をなくした娘がある日アルバムを見つけて、時間を忘れてアルバムを見続けるという話を書いたのだが、遠藤さんはどんな話を書いたのだろう。
遠藤さんの書いた物語に目を通した瞬間、鏡子の表情が固まる。文を読み進めるほど虫を噛んだように苦い表情へと変わっていく。
いったいどんな内容を……。
原稿用紙を机の上に置くと、ちょっとジュース買ってくるわとふらふらと部室を出ていった。
ドアが閉まると、二人きりとなった教室に蝉の鳴き声だけが響いている。にこにこ笑顔をを浮かべていた遠藤さんからは笑みが消え、つまらなそうな顔でスマホを触っている。
気まずい。早く帰ってきてほしい。
鞄から本を取り出し、読もうとするがなかなか集中できない。
あまりにも居心地が悪すぎる。
「ヨミ先輩って、きょうちゃんと仲いいんですね」
冷たい声で、視線をスマホに固定したままぼそっと呟いた。
「まあね」
「ヨミ先輩って背低いですよね」
「そうね」
「ヨミ先輩ってきょうちゃんとキスしたことありますか?」
はい?
本から視線を外し、遠藤さんを凝視する。
遠藤さんは私を一瞬見て、またスマホに視線を戻す。
文字を打っているようで指を画面の上で弾いていた。
「キスしたことあるかと聞いてるんです」
「な、ないけど」
遠藤さんの口元が微かに上がる。スマホを置いて、立ち上がった。机の上に手を滑らせ、私の前まで来ると私のネクタイを掴み、顔を近づけた。唇がくっつきそう。
まるまるとした可愛らしい目で私を見つめると、冷たい氷のような目に変わった。
「りぃはありますよ」
勝ち誇った笑みを浮かべ、ネクタイを離す。
「ただいまー」
ドアが開き、ジュースを抱えた鏡子が帰ってきた。
遠藤さんはにっこりと笑い「おかえりーきょうちゃん」と明るい声で返事をした。鏡子のうしろをついて歩き、席に戻る。
鏡子とキスしたことあるって、なんでそんな質問をしたんだ。
部活が終わり、鏡子を下校する。遠藤さんは自転車通学らしく、さーっと坂を下って先に帰っていった。
鏡子はいつもより元気がなく、読んだ本の話もちょっと話して終わってしまった。
「ねえ鏡子。キスって……」
「キス? キスは好きよ。キスの天ぷら美味しいわよね」
「魚じゃなくて、接吻の方。
キス、したことある?」
どうして真っ先に魚を思いつくのか。
頭を抱えたくなった。
鏡子はうーんを首をひねって、
「ないわね」
と答えた。
あれ、遠藤さんが言っていたことと違う。
きょとんとする私に、鏡子は首を傾げた。
「したほうがよかった……?」
「いや、ちょっと気になっただけ」
鏡子は俯き「りっちゃんのことごめんなさい」と謝った。夕日に映し出される影が悲しく見えた。
「りっちゃん、私以外の人に悪態をつくの。
注意したり叱ってるんだけどやめなくって……」
鏡子も遠藤さんを更生させようと頑張ってたんだな。
セーラー服の裾をきゅっと掴み、苦しそうに言葉を漏らす。そして、笑顔を作ると私に見せた。
無理して笑わなくてもいいのに……。
私は何も言えず、鏡子と同じように笑顔を作った。
「また明日ね」
鏡子は反対側の道を歩いていった。




