14話 子犬と星空の姫
伊知さんのことから二週間が過ぎた。
「これおいしー! こっちもおいしー!」
鏡子は、チョコのお菓子とチーズのお菓子を両方持ってきて、一人でバクバク食べていた。鏡子は太らない体質なのか、頻繁に一人で多くのお菓子を食べているにもかかわらず、ひとつも脂肪に変わらない。相変わらず、華奢な手足をしていた。
季節はすっかり夏になり、日々、蝉たちが交配相手を求めてうるさく鳴く。容赦なく太陽の日差しが地面に突き刺さり、陽炎を映し出していた。
溶けそうなお菓子は、部活までの間、保健室の冷蔵庫を貸してもらいそこで保存されている。あれ以来私は宇佐見先生との関わりを避けるようにして、接触するとしても鏡子といるときだけにした。そのおかげか、宇佐見先生は「先生」を保ち、危害を加えてくることはなかった。
私は三十分間の時間を与えられ、「茶碗」というお題とホラーというジャンルの縛りを設けられ、それに従って物語をかいていた。
茶碗とホラーってどういう組み合わせなの。
エアコンもない部室で、暑さに耐えながら、物語を書くのは修行なのだと自分に言い聞かせる。窓を開けても、入ってくる風は生ぬるく、不快感が増すだけだった。
夏服に衣替えをしたけど、やはり暑いものは暑い。
梅雨の時期とは違った暑さだ。
そんなとき、ドアが勢いよく開いた。
「きょうちゃん!」
きょうちゃん?
鏡子は口に運んだ指を抜き、目をまんまるにしている。
女の子はくせっ毛のある髪を左右で結び、犬の耳のようだった。きょうちゃんと鏡子を呼び、鏡子に抱きつく。
私に気付くと、女の子は眉にシワを寄せ「だれこの女」と吐き捨てた。
それはこっちの台詞だ。
鏡子は女の子を引き剥がし、チョコを掴むとにっこりと微笑んだ。
「りっちゃん、どうしたの?」
りっちゃんと呼ばれる女の子は、ニコニコと無邪気な笑顔を鏡子に向ける。鏡子の頬にスリスリと自分の頬をくっつけると、掴んでいたチョコを食べてしまった。
「あーおいしい! ねえきょうちゃん、りぃもこの部活に入れて?」
なにからなにまで急で私は理解が追いついていない。
そもそも誰なんだ、この子は。
鏡子は困った顔をして、目で私に助け舟を求めた。こほんと咳払いをして、私は声を出す。
「あなた、名前は?
入るにしても入部届を書かないと……」
女の子は顔を歪め、舌打ちをした。
本当になんなんだこの子は。失礼極まりないぞ。
鏡子から体を離すと、私の前に立った。高圧的な目つきで私を見下ろす。お互いの視線が絡み合う。甘い視線の絡みではなく、鋭くピリピリしたものだ。
お互いに目をそらさない。
怒りで引きつりそうな顔で無理矢理笑顔を作り、できるだけ優しい声で名乗った。
「鏡子と同じクラスの橘詠です」
女の子はふんと鼻を鳴らし、ただ一言「根暗女」と言葉を投げつけた。
根暗だということは自覚している。じゃなきゃ前髪なんて無駄に伸ばしていない。
ネクタイの色から察するに一年だ。生意気な一年様だこと。
見かねた鏡子が女の子と私の間に入り、女の子について説明をした。
「詠ちゃん、この子は一年の遠藤リツハよ。 こら、りっちゃん。詠ちゃんにそんなこと言ったらだめでしょ」
鏡子は遠藤さんの額を指で弾くと頬を膨らませて叱った。遠藤さんが額を押さえ、涙目になる。目をうるませて、鏡子に「ごめんなさい」と謝った。謝る相手間違ってませんかね。
「入部するのは構わないのだけれど、詠ちゃんの言う通り、入部届出してもらわないと。
今日は仮入部ってことでいいかな」
仮でも入部させるんだ……。
遠藤さんは、その場で何度も飛び跳ねて喜んでいた。そんなに文芸部に憧れていたのだろうか。それともお菓子が食べれるからだろうか。
それとも……。
鏡子はスマホの画面を確認すると私に手を差し出した。
「時間よ、見せて」
途中だろうと時間になったら見せることが原則。渋々原稿用紙を手渡す。
遠藤さんは鏡子の隣に椅子を持っていき、お菓子を食べながら私の原稿用紙を覗いた。
「綺麗な字……」
遠藤さんが微かに口を開いてそういった。
そしてハッとして、お菓子を口に詰め込んだ。美味しそうにお菓子を食べ、私の物語を読んでは顔をしかめる。表情の変化が見ていて面白かった。
鏡子は、遠藤さんの声が聞こえなかったのかじっと原稿用紙を見つめている。一枚目を読み終わり、二枚目を読み始めた。
私がほとんど手を付けることなく、お菓子は姿を消していく。
途中までしか書かれていない物語を読み終えると、机の上に置いて、ニッコリと笑った。
「途中までだったけど、良かったわ。その調子」
「きょうちゃん、文芸部って物語かいたり、お菓子食べるの?」
「そうよ」
「お菓子食べるだけじゃだめ?」
捨てられた子犬のような目をして、鏡子を見つめる。くぅんという鳴き声も聞こえてきそう。結んだ髪を揺らし、鏡子に詰め寄る。
鏡子は眉を下げ、子犬を拾ってきて飼いたいとねだる子どもに根負けした親のように「いいわよ」と答えたのだった。
鏡子、遠藤さんに甘すぎやしないか。
遠藤さんは席から立ち上がり、くるっと一回転すると満面の笑みを浮かべ、「じゃあ明日入部届提出するね」と部室を去っていった。
ドアが閉まり、私は鏡子を見据えた。
「やだ、そんな怖い顔しないで」
「ほんとに入部させる気なの」
「うぅ……でも、いいよって言っちゃったし」
ため息が漏れた。
「今日は部活は終わりよ、でもちょっとついてきてほしいところがあるの」
「いいけど……」
シャーペンを筆箱にしまい、鞄を手にとった。
靴を履き替えて、裏門の前へ着くと足を止めた。雨風に晒され続けた門はところどころ塗装が剥げていた。
「この奥よ」
この奥って山じゃ……。
鏡子は私の気も知らず、門を力いっぱい開けると山の中へと入っていった。私も後を追って山へと入る。獣道かと思いきや、草は刈られ、地面が見えてちゃんと道があった。
いったいどこに続いているというのだ。
後ろを振り返ることなく鏡子は道を進んでいく。鬱蒼とした草木の隙間に日の光が差し込みキラキラと輝いている。木の幹に蝉が張り付き、静かに鳴いていた。気温が下がってきて、蝉は静かになっているのだろう。
しばらく歩くと、白いドーム状の建物の前に来た。それほど大きくはなく、ドームの壁には蔦が一部這っている。
不気味というより、不思議な感じ。
「なにここ」
「内緒の場所」
鏡子はこっちよと手招きをして、中へ私を入れる。
どうしてこんな場所知っているのだろう。
床には赤い絨毯が敷き詰められ、入ってすぐ正面にある観音開きの扉の横には予定表が貼られていた。ここは以前、プラネタリウムだったようだ。
電気は通っている、ということは誰かが管理しているというのか。
鏡子は廊下を歩き、関係者以外立ち入り禁止と書かれた札を無視して地下へと続く階段を降りていく。足元を照らす照明が、映画館とかと同じだなとぼんやりと思った。
螺旋階段を降りると、重そうな扉が現れた。
鏡子がリズムよくノックすると、中から「どうぞ」と返事があった。
ドアを開け中へ入る。
望遠鏡や星座が描かれた地球儀、本棚と宇宙や星に関するものばかり置かれた部屋だった。
ソファに腰を預け、図鑑を膝の上で開いている一人の女性。
あれ、よく見たらこのソファ、部室にあるものと同じだ。
「あら、キョーコ、あ、後ろの子はヨミね」
どうして名前を知っている。
女性は席を立ち、金色の髪かきあげ、優雅さを振りまいている。
今日は知らない人と出会いまくりだ。主に鏡子経由で。
「この人は三年の……」
鏡子が女性の説明をしようとすると、女性は私の前に来て手を差し出した。
「九重アリスよ、よろしく。アリスって呼んで。文芸部唯一の部員、橘詠」
手を合わせ、握手をする。
「アリス先輩、鏡子とはいったいどういう」
アリス先輩はちらりと鏡子をみてにやりとした。
「こ、い、び、と」
鏡子は慌てて訂正する。
「違うでしょう。ただの友達? いえ、恩人かしら……。とにかく恋人じゃない」
「立ち話もあれだしそこのソファにでも座って」
スカートにしわがつかないように、注意をはらいながら腰を下ろす。アリス先輩はパイプ椅子を引っ張ってきてそこに座ると、話し始めた。
「鏡子はアタシと昔からの付き合いなのよ。で、キョーコが引っ越しちゃって少し疎遠になっててね、アタシがこの学校に入って一年がかりでキョーコを説得してこっちに呼び寄せたわけ」
「そうだったんですね」
と答えたものの微妙に納得がいってない。鏡子を説得したとしても親はどうなんだ。まさか鏡子だけ引っ越しさせたわけじゃなかろうな。
「で、鏡子が私にアリス先輩を会わせた理由ってなに」
「きっとこの先、わたしだけじゃ頼りないこともあるだろうし、りっちゃんのことで構ってあげられなくなるだろうし……。
わたし以外にも頼れる人いたほうがいいかなって」
アリス先輩は膨らんだ唇を釣り上げて、にんまりと微笑んでいる。
私は二人にとって何歳の子どもに見えているのだろう。そんな子どもじゃないのに。一人でいることだってなれているし……。
鏡子は私のこと考えて言ってくれたんだし、言葉に甘えよう。
「ありがとう」
「このアタシがヨミの子守をしてあげようじゃないの」
胸を張り、あっはっはと誇らしく笑った。
子守って、もう……。




