11話 三つ編みは風に揺れる
翌朝、体調は良くなかった。夢でも宇佐見先生が出てきたからだ。そして呪文のようにあの言葉をつぶやくのだ。目が覚めても、頭にそれがこびりついて剥がれることがなかった。
はちみつをぬったトーストを口に運び、咀嚼するが、味覚が鈍っているのか味があまりしない。
頭が重く、ぼーっとする。何もやる気が起きなくて、学校を休もうかと思った。
しかし、鏡子と「また明日」と約束したのだから行かなくてはと、体をベッドから引きずり下ろしてここまで動いた。味のあまりしないトーストを食べ終え、味のしない牛乳を飲み、「行ってきます」と伝え、家を出た。
家を出て階段を降りると、三つ編みの少女が塀にもたれかかっていた。
私を見て、微笑み「おはよう、詠ちゃん」と挨拶をした。
いったいいつから。
「お、おはよう」
鏡子を見ると体にのしかかっていただるさは吹き飛んだ。
「学校いこっか」
鏡子は片手で鞄を持つと、空いた手で私の手に触れた。
鏡子の優しさが私の心を包む。なぜか鼻の奥がツンとして、目の前が歪んで見えた。目をしばたかせ、鼻をすすって、深呼吸をする。
鏡子は何も言わず、私の手を握って前を歩いた。細く長い三つ編みが歩くたびに揺れる。
蒸しかえるような空気と、太陽の熱が私達にぶつかる。まだ日が昇って数時間というのに、汗がにじむほど暑かった。
あのことは、黙っていよう。
校門の前につくと鏡子は私の方を向く。
私に微笑みかけ、一つのお願いをした。
「教室に行く前に、ちょっとついてきて」
その言葉に従い、引き続き鏡子の後ろをついて歩いた。門をくぐり、本館を抜け、中庭へと連れてこられた。
空に向かって枝を伸ばす木々や、力強く生える草を風が揺らし、中庭を賑やかにしている。ここは日の光が直接当たることが基本的にはないので、とても涼しかった。
私の手を引っ張り、以前伊知さんと三人で食べた木の下へと歩く。
葉が擦れ、かさりと音を鳴らす。
手が解かれたのは、ハートのくぼみの前だった。さっきまで吹いていた風は止み、あたりはしんと静まり返る。
鏡子が私の前に立つ。
澄んだ瞳で私を見つめて、視線が絡むとにっこりと笑った。
きっと他に誰もいない。
私達しかいない。
この木の前で告白した男女は、結ばれる。
そのジンクスを信じているのだろうか。しかし、私達は同性だ。女同士だ。
鏡子は頬をほんのりと赤く染めて、スカートをぎゅっとにぎる。なにか言いたげに口を開けたり閉じたりを繰り返している。
木々が、草が、花が、私達を見つめている。
黙って様子をうかがっている。
安定していた脈が早くなり、頬を熱した。
この木の下で向かい合うということは、たぶんそういうことだろうから。
鏡子のことは嫌いじゃない。むしろ好きだ。
でも、それが恋愛感情の好きかと聞かれると答えることが出来ない。
汗が背筋を伝っていく。
「詠ちゃん」
空気に溶けてしまいそうなほど優しい声で私の名前を呼んだ。愛しそうに目を細め、耳まで赤くしていた。
私も体に火がつけられたように、肌が熱くなる。
「んー?」
何も分かっていない、そんなフリをする。
鏡子は下唇を噛み、一度私から視線を外した。
自然が見守っている。
空が見守っている。
また私を見つめて、小さな口を動かした。
「詠ちゃんが、すき」
はっきりと、そういった。
私を好きと言った。
私は言葉をつまらせた。なんて答えようか迷った。
泣きそうに微笑む鏡子が、なんだか今にも吹く風にさらわれそうで儚く見える。
なにか返事をしなきゃと口を開いた時、鏡子が先に言葉を発した。
「なんて、冗談」
しかしその声はどこかつらそうだ。優しく笑う瞳には悲しみが浮かんでいる。私は鏡子の顔を見るのが辛くなって視線をそらした。
私は、どう答えたらいいかわからずだんまりを決め込んでいた。
俯く私の手をひいて「教室に行こう」と元気に声をかけてくれた。
何もできない、返事すらしてあげられなかった私が情けない。前を歩く鏡子の背中は凛々しく、女神のような高貴さすら感じた。
教室に着き、日常がやってくる。しかし、そこに会話はなく、気まずい雰囲気がいやで私は腕に頭を伏せていた。狸寝入りをしていた。視界が使えない分聴覚が鋭くなる。私の後ろで窓に体を預けて本を読んでいるのだろう。ペラペラとページをめくる音が聞こえる。
鏡子はなんであんなことしたんだろう。機能のことでなにか察したから、私に元気をつけてもらうため?
冗談だとしても、告白されたのは初めてだったんだから。
顔が熱い。
頭はまだ若干重いけど、それどころじゃなかった。もし、あの告白が嘘じゃなくて、本当だったら? 勇気を出して言った本心だとしたら?
答えられなかった私は……。
告白されるってあんなドキドキするんだ……。
鏡子は息を吸うと言葉を風に乗せた。
「君がため、
惜しからざりし、
命さえ、
長くもがなと、
思ひけるかな」
藤原義孝の詠んだ歌だった。
あなたのためなら捨てても惜しくないと思える命でさえ、逢瀬を遂げた今となってはできるだけあなたのために長くありたいと思うようになりました。
恋文。
ますます顔を上げづらくなる。今顔を上げるつもりもないのだけれど。
なんて返事をすればよかったんだ。
私の頭に鏡子はそっと手を乗せる。優しく頭を撫でると、つらそうに呟く。
「あのことは忘れて、冗談だから」
と「冗談」にアクセントを置いた。私は黙って頭を動かし、頭を撫で続けらる気持ちよさに眠りに落ちてしまった。




