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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
1章 文学少女は本を胸に抱く
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9話 道化の仮面は割れる

 翌日の放課後、部室に行くと机の上にチーズケーキが置かれていた。お皿の下にメモが挟まれてあり、決して綺麗とは言えない字で「二人で食べな」と書かれていた。

 宇佐見先生、気が利く。


「詠ちゃんよかったね」


 自分のことのように喜ぶ鏡子。

 私は鞄を置いて椅子に座るとお皿を引き寄せた。鏡子も、フォークを持ってお皿を手前に寄せる。

 フォークをケーキで切り分ける。上に乗ったはちみつとしっとりとした柔らかな生地がフォークに乗る。

 チーズケーキは冷たく、どうやら机の上に置いてそう時間は経っていないようだ。


「宇佐見先生って他にどんなお菓子作ってくれたの?」

「クッキーとか、ブラウニーとか……」


 それを聞くと、鏡子は目を輝かせた。首を横に何度も振って、目を垂らす鏡子は私を羨むように見つめる。鏡子の視線から目を背け、ほぼ真下を向いてチーズケーキを食べる。

 スイーツに目がないのか、チョコに目がないのか。もしくは両方か。

 鏡子は、私より後にチーズケーキを食べ始めたのに、私より先に食べ終わると、胸に手を当てた。鼻からゆっくりと息を吸い、口から息を吐き出すと、目にやる気が灯った。


「さあ、糖分補給もしたことだし、暗号解読開始よ!」

「お先にどうぞ。私はまだ食べてるから」

「詠ちゃん、きっと私の名推理に舌を巻くわよ」

「はいはい、頑張って」


 鏡子は気合を入れて、暗号の解読に手を付け始めた。私は鏡子の頑張りを見ながら、じっくりとチーズケーキを味わう。控えめな甘さながらはちみつとチーズの香りと味が味覚と嗅覚を刺激する。

 宇佐見先生、腕を上げたな。

 幸せな気分に浸りながら、人の頑張りを見るのはとても楽しい。鏡子がああでもないこうでもないと頭を悩ませる隣で私は呑気にチーズケーキを食べている。

 愉快愉快。

 とは言え、私も心の片隅では暗号の解読になるヒントがないかと考えていた。

 三時遅れ。さんじおくれ。サンジ遅レ。さんじ……。

 三字遅れ?

 私はフォークを置いてシャーペンを握った。

 前回つかった表をもとに、あいうえお順を三つずらして、「あ」を一文字目に含めず「え」から始めた。


「鏡子、これみて解いてみて」


 ノートを差し出して、私はまたチーズケーキに手を付けた。

 鏡子はノートと日記を見比べながら、新しいページに書き綴っていく。

 私がチーズケーキを食べ終えた頃、鏡子は走らせていたペンを置いた。

 鏡子は笑みが浮かんでいる。


「私の名推理、とくとご覧あれ」


 そう言って、私の前に解読した文を突き出した。

 ノートを受け取り、目を通す。



 四月十日。三時遅レ。

 わたしはけっこんしました。

 されど、あのひとをわすれられません。

 わたしはわるいひとです。



「なるほどね」


 私が解読の鍵を渡して、鏡子が鍵を使って解いた文。鏡子の名推理かどうかは置いておいて、解読は成功したようだ。

 鏡子が自慢げに鼻を鳴らしたかと思えば、今度は口先を尖らせた。


「四枚目がわからないの」


 四枚目の日記を三つずらした表で解くとまったく意味のわからない文が出来上がった。

 きっと「あの人」に向けた気持ちを綴ったものか、結婚したという事実から子どもが生まれたとかそういう日記だろうと予測はするが、真相は闇の中だ。

 意味を持たない誤ったカタカナの羅列がぐるぐると頭の中を回る。

 窓の外はこんなにも晴れていて、太陽からこぼれた光が部屋を満たしているのに、私の心は正反対に、暗くジメジメとしている。



「なにうなだれとんねん」



 顔をあげると、目の前に宇佐見先生がいた。


「あー、先生! チーズケーキごちそうさまでした。ほっぺたが落ちそうなほど美味しかったです!」


 宇佐見先生に気づいた鏡子は急いで日記とノートを机の下に入れて、席を立ち頭を下げた。肩から三つ編みがこぼれ落ち、毛先が床に付きそうだ。


「ええってええって。また作ったるわ」

「楽しみにしてますね!」


 こうして宇佐見先生と鏡子の絆は深まっていった。宇佐見先生は自分の部屋のように、ソファに座り全体重を預ける。完全にリラックスモードで、上品さのかけらもなく、足を広げて座っている。この姿を他の生徒が見たらどう思うか。

「宇佐美先生」や「エロ先生」と呼ばれなくなり、なんと呼ばれるのだろうか。

 尊敬の意を込めて呼ばれることは少なからずなくなるだろう。

 なんと呼ぶ。


「このソファ、ええやつやろ。きもちいいわあ」


 白衣のボタンを外し、脱ぎ捨てると胸元が大きく開いたブラウスが露わになった。白衣の下は先生という職業を考慮して真面目かと思えば、そうではなかった。

 なんでこの人、先生になったんだ。


「先生、下着見えますよ」


 私が呆れ気味に注意すると、いらずらな目をしてブラウスのボタンに手をかけた。


「なんや、見たいんか?」

「興味ありません」


 私はきっぱりと断った。

 宇佐見先生はブラウスから手を離し、外を虚ろな目で見つめると独り言のように言葉を垂れ流し始めた。

 鏡子は本を手に取り、ページにの間に指を挟んだまま動かさない。焦点は本に合わず、どこか遠くを見つめるような、そんな目で宇佐見先生の話を耳に通した。


「先生な、子ども嫌いやねん。あの無邪気な笑顔とか、ありえへん。無知をいいことに、色んな事しでかすし、邪魔」


 突然何を。

 宇佐見先生の口から溢れる言葉はどれも信じがたく、しかしそれは嘘ではない。声に感情は込もっておらず、淡々としている。何かを思い出しながら話しているのか、眉間にシワを寄せたり、眉を吊り上げたり、かと思えば、泣きそうに苦しそうに目を細めたり。

 女性らしい腕が髪へ伸び、髪をくしゃりと掻いた。

 無色の声に暗い色が混ざっていく。


「先生、男子生徒にエロい目で見られてるやろ。気持ち悪い。女子なんかより男子のほうが嫌い。汚らわしい。存在しなければいいとすら思う」


 絶望の混じった瞳が空を見つめている。

 知っていたのか。知っていながら、知らないふりをしていたのか。生徒が時々、宇佐見先生に対して卑猥な質問を投げかけていたり、プライベートな質問をしたりしていたけど、それを宇佐見先生は、唇に人差し指を当てて「内緒よ」と答えていた。

 生徒に向けていた笑みは、本当に偽りだったのか。ただの猫かぶりじゃなくて、嫌いだったから。


「ひどい先生やろ。自分でもなんで先生になったんやろって思うわ。人間に、生徒に、子どもに囲まれる毎日なんて生き地獄。

 宇佐見うさみ優香ゆうかなんて先生存在しない」



 ――詠、あんたは生きるんやで。



 ふいにそんな言葉を思い出した。

 去年の、私がまだ一年で、たしかとても冷えた冬のある日のことだったと思う。

 嫌いな授業をサボって、保健室に逃げ込んでいた時、パソコンの前で作業をしていた宇佐見先生が口にした。

 私は何のことかわからず、「はい」としか答えるすべがなかった。

 皆が思うお上品な愛されている宇佐見先生も、私の知るお上品さのかけらもない宇佐美先生も、いない。

 幻だというのか。

 じゃあ、ソファに座り赤い唇を動かし続けているこの先生は誰だ。

 宇佐見先生だ。

 宇佐見先生は存在する。

 鏡子はどこかを見つめたまま、つらそうにまぶたを伏せていた。


「詠や鏡子ちゃんにこんなこと言って、嫌われるんやろなって思ってる。先生が生徒にこんな事を言うのは教師失格だとおもう。

 先生な、昔からこういう人間だったわけじゃないんよ。

 宇佐見優香は今の私であるが、宇佐見優香は一度死んだ」


 宇佐見優香は一度死んだ。


 言葉を吐き出すと、宇佐美先生は大きく息を吸い、いつものお上品な猫をかぶった宇佐見優香先生へと戻っていた。


「さーてと、そろそろ保健室帰るわ。怪我した生徒が来てたら大変やし。放送で呼び出し食らうのも勘弁やからな」


 明るく振る舞う宇佐見先生だったが、まだ瞳には陰が落ちていた。


「ほなね」


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