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鏡写しの君と桜の下  作者: とうにゅー
1章 文学少女は本を胸に抱く
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プロローグ

 小説は私を救ってくれる。


 私は重い体を無理やり起こし、ベッドから出ると一気にカーテンを開けた。朝日が少し顔を出していて、反対側の空はまだ夜を残している。太陽の光が部屋に差し込み、部屋を満たしていく。

 私は眩しさに目を細めた。窓を開けると、冷たい風が入ってきて、生ぬるい空気を追い出していく。学習机の上に置いていた小説がめくれてパラパラと音を立てた。新鮮な空気を肺に入れると、私はパソコンに向かう。小説の隣にノートパソコンを置いていた。パソコンを立ち上げて小説を書き始める。

 身支度をするまでの僅かな時間を利用して小説を書くのが日課だった。書いた小説をどこかのサイトにアップするわけでもなく、出版社の公募に応募するわけでもなく、ただの自己満足に過ぎない。

 キーボードに指を乗せて何か文章を打ち込もうとするが、言葉が出てこなかった。映像は思い浮かぶけど、その映像にぴったりと当てはまる言葉が生まれなかった。言葉の連想ゲームを繰り返して、単語を探していくけどだめだった。

 私はため息をつき、右下に表示された時間に目をやる。

 そろそろ準備しないと。


 ソフトを閉じて、パソコンの電源を落とす。席を立ち、腕を天井に向けてぐーっと伸ばした。壁にかけられた制服を手に取り、着替えを始める。

 今まで何も書けなかった朝はないのになぁ。

 そんなことをぼんやり考えながら姿見の前に立つ。紺色の三角形のネクタイを折りたたんで結び、長さや角度を微調整する。


「よし」


 ネクタイを調節し終わると、手を頭に伸ばした。ボサボサで寝癖のついた髪を櫛で梳かして直す。梳かれた髪は、艶を取り戻して手触りの良い髪になった。


「髪伸びたなぁ」


 肩につくほどの黒髪、後ろの髪より横の髪の方が長くて結構気に入っている。左目の上で分けられた前髪はすだれのように右目を覆っていた。正直鬱陶しいのだが、顔を隠していたい気持ちのほうが上だった。寝癖がないか最終チェックをして、鞄に小説が入っていることを確認すると、鞄を掴み部屋を出た。


「おはよう」


 キッチンで私の弁当を作っているお母さんに挨拶をした。


「おはよう、よみ


 朝ごはんがテーブルの上に置かれていて、私は椅子に座り、手を合わせた。心の中でいただきますと言い、はちみつが塗られているトーストを口に運んだ。甘いはちみつが口の中に広がり、匂いが鼻腔を刺激した。あとからパンがはちみつの粘りを絡め取っていく。


「学年上がって、どう? そろそろ友達できた?」


お母さんはお弁当を袋に包みながら聞いてきた。


「うん、出来たよ」


 嘘。


「お友達とはクラスが離れたって聞いてお母さん心配してたのよ」


 それも嘘。一年のときは一人で過ごしていて、友達なんていなかった。

 どこのグループにも属さないだけであって、それに当たり障りの無い話ができる知り合い程度の人間ばかりだった。

 見栄を張りたいだけなのか、お母さんに心配をかけたくなかっただけなのか分からないが、私がお母さんに話したことは嘘に間違いはない。

 食事を終え、お母さんから弁当を受け取ると鞄にしまった。

 ローファーに足を通し、玄関のドアを開けた。


「行ってきます」


 私の通学はとても早い。

 まだ人の少ない通学路を歩いていく。春のあたたかな風が頬を撫で、スカートを揺らした。四十五分ほど経った頃、目の前に長くゆるやかな坂が現れる。

 そこを登れば学校だった。坂の下から学校までは桜並木が続いていて、桜が満開の時期には地面をピンクの絨毯が敷かれていた。


「おはよう、今日も早いのね」


 朝の散歩を欠かさないお婆さんに声をかけられた。


「おはようございます」


 顔に笑顔を貼り付け、挨拶をする。

 腰が曲がっているものの、自分の足で立って歩くこのお婆さんを私は尊敬していた。私も年を取った時は、杖を使わず、自分の足で立っていたいものだ。

 坂を登り、『灯ノ丘高等学校』と書かれた校門をくぐった。本館に入り、靴を履き替える。二年一組の下駄箱を確認し、「たちばなよみ」と書かれた名前のロッカーにローファーをしまった。代わりに上靴を取り出して履いた。

 階段を登ると、すぐに二年一組のプレートが掲げられた教室の前につく。

 朝の七時半には教室に着く。いつも一番だった。教室の窓を開け、窓のそばにある自分の席で本を読む。これが日課だった。

 教室に入ろうと、ドアに手をかけた時、中から鈴の鳴るような声が聞こえてきた。

 下駄箱に他の人の靴はあったか? 記憶を掘り返すが、そこまで覚えていない。


「なかなかきれいな景色なのね……」


 体がかたまり、完全に動きが止まる。

 しかし、ずっとドアに手をかけたままじっとしているのも如何なものか。

 そうだ、あたかもいま来たところで誰かがいたなんて驚いたなあ、みたいな感じで教室に入ろう。

 意を決して、ドアを開ける。

 大正時代にタイムスリップしたのかと思った。

 窓の外を見つめている長い三つ編みを左右に一つずつ垂らした女子生徒が目に入った。

 セーラー服と三つ編みが合っていたからだ。

 古風な女子生徒は私に気づき、振り向いた。

 三つ編みが軽やかに揺れる。


「おはよう」


 女子生徒は小さく笑った。

 こんな女子生徒、うちの学校にいたかな。


「おはよう」


 挨拶を返す。

 女子生徒は、くるりとまた窓の外に体を向けた。

 私はいつものように窓を開け、自分の席で本を開いた。

 ブックカバーをしているため、小説のタイトルは見えない。何を読んでいるのか知られることがとても嫌だった。文字を目で読み取ると、映像や声が浮かび聞こえてきた。だから本が好き。指の腹に感じる紙の少しザラッとした質感、それもまた好き。

 ページをめくる度、少しずつ空気を割いていつしか本の世界へと転送される。

 現実逃避だと分かっていた。

 教室の明かりをつけず、太陽の光が教室を照らし、涼しい風が教室に舞い込み、廊下へと逃げていく。そんな中で読書ができる、至高のひとときだった。

 文字を読んでも、何も想像できない、きこえないという人もいるらしく、そんな人達にとって理解できないであろう喜びを全身に浴びていた。


「『人間失格』かしら、それ」


 澄んだ声が耳元で聞こえ、私の意識は現実へと引き戻される。

 私の肩越しに本を覗き込んでいた女子生徒。

 全く気づかなかった。透明感のあるキメの細かな肌に思わず息を呑む。


「なんでわかったの?」


 女子生徒は体を起こして「勘よ」と薄ピンク色の唇を動かした。そして、女子生徒はまた窓の外を眺めた。

 八時を告げるチャイムが鳴ると、女子生徒は私に笑いかけ「じゃあまたね」とスカートを揺らしてどこか消えていった。

 私は再び読書を始めたが、頭の隅に女子生徒は居座り続けた。

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