wanna be
昔はただ感想をつけてもらうことはありがたいこととされていが
ネット小説が普及した現在では
じゃあ実際に素人がつける感想が役に立つのか?というのが問題にしはじめていると
思う
実は何のプラスにもならないんじゃないかと思う
苦しい批評にたえてこそという人がいるが
当たり前だがたいていのネット小説は娯楽でかいているのであって
苦しい批評なんかにたえてやる義理そのものがないのである
仕事をしながら、あるいは趣味でかいているだけなので
それ以上の労力を要求するのならそもそもかかない
感想の持つ意味が段々かわってきているのはたしかだ
苦しい批評にたえてこそという人がいるが
当たり前だがたいていのネット小説は娯楽でかいているのであって
苦しい批評なんかにたえてやる義理そのものがないのである
仕事をしながら、あるいは趣味でかいているだけなので
それ以上の労力を要求するのならそもそもかかない
感想の持つ意味が段々かわってきているのはたしかだ
ネット小説の場合
何のために小説をかいているのかというと自己満足でかいているのであり
読者のためにかいているのではない
つまり元々読者の感想すらいらないのである
それげ現在はその自己満足の最たるものであるなろうがうけてアニメ化されているのである
つまり、読者不在の小説こそがうけているのだ
段々、純粋に作者の娯楽のためというように
小説の持つ意味がかわってきているのである
昔は読者のために苦吟してかくのが小説だったが
もうそのような技法は作者自身に受け入れられなくなりつつあるのである
それくらいだったら小説なんて書かない
ということである
もちろん私が小説を書くのも自己満足のためであり
感想もその範囲内においてだけ受け入れるだけである
つまりほめている感想以外はいらないのである
別に自分の文章力や小説を書く力を向上させるためにかいているわけでもなんでもなく
自分が楽しむためにだけ書いているだけだからである
つまり文章力や小説を書く力を向上させる感想そのものが
もう需要がないのである
そのことに感想をつけるがわがそろそろ気づくべきだろう
時代はかわり
素人がえらそうにつける感想なんてもう作者様はきいてはくれなくなったのだ、と
大事なことは
プロになることでもなんでもない
小説をかいて楽しみ娯楽とすることであって
小説の技術を向上させることなんかではない
そんなのはおまけなのだ
小説というものを通じて楽しむコミュニュティこそがネット小説の作者と読者の関係であり
もはや腕の向上などはどうでもいいのである
楽しくもないことなんかやってなんの意味があるの?
生きるための仕事ならふつうにリーマンをやるさ
大事なことは書いて楽しむことであって
腕の向上や読者をたのしませることなんて
おまけであり二の次なのである
これがネット小説が生んだ新しい小説の形である
というより商業主義がごまかしていただけで、本来小説ってそういうものである
プロになることはくるしいかもしれないが
プロになるためにかくわけじゃないのである
そんなのどーでもいいのだ
小説はプロになる為にかくわけでもないし
読者のためにかくわけでもないし
ましてや腕の向上なんかのためにかくわけでもない
という自己満足の原則を取り戻しつつある