「 」.mp3
詰めの甘さで、いつも損をしてばかりの人生だった。
おまけに、好きなこと――音楽の才能もないという二重苦。
他の部分ではそれなりに恵まれていても、この二点が駄目という時点で、自分の人生はクソだと言い切っていいだろう。
見慣れた光景であるがらんとしたライブハウスで、鼻血が出るほど考え抜いて作ったありきたりな曲を、血反吐が出るほどの練習で得たありきたりな歌声で飛ばす。
でもそうした所で、誰も振り向いてなんかくれない。
受け手は努力なんか見てくれないからだ。
それは別に構わない。当然だとも思う。
でも、必死の思いで作った作品がまるで見向きもされないと、傷付き、文句の一つも言いたくなるのもまた事実だ。
文句や愚痴を、周囲の人間やネットで言ったら言ったで、辛辣な言葉が返ってくる始末。
普段、作品の反応はよこさないくせに、こういう時ばかりはレスポンスが早い。
いい加減音楽からすっぱり手を引いてしまおうか。
いや、まだしがみついていたい。だって音楽が大好きだから。
寝る前、ベッドの上でそんないつも通りのせめぎ合いに揉まれていた時のことだった。
神様か潜在意識かは分からない。
とにかく、どこからともなく才無き自分へと、こういう曲を作れと、雷のように強烈な一つのひらめきがやってきたのだ。
それは――人間の断末魔の叫び"だけ"で構成された音楽。
一切の楽器を用いず、ヒトの声だけで全てを表現する曲。
もちろん雑音などをカットしたり、ある程度のミキシングなどを行う必要はあるが、その他の加工などは一切しない。
それは犠牲になってくれた人々に対する最大の冒涜だからだ。
ありのままの声を乗せなければならない。
ひらめきと共に、不思議と心境にも変化がもたらされた。
大勢の人間の理解を得られなくても構わない、分かる人にだけ分かってくれればいい、といった風に。
いや、最悪……自分自身だけでも納得が行けば、それでいい。
これまでとはまるで逆の価値観だった。
何だろう、この清々しい気分は。
早速明日、早起きして作ろう。
いや、今から取りかかれ。心がそう言っている。
この湧き上がる、殺人衝動とは似て非なるインスピレーションを、抑えることはできない。
覚醒した夜からろくに休息を取っていないが、全く問題はない。
疲れや眠気もどこかへ吹き飛んでしまっていた。
更に不思議なことに、次々とアイデアが湧いてきて、作業が滞ることは一度としてなかった。
必要なものは全て内から与えられ、完璧に記憶され、いつものように何かに書き起こしたり、レコーダーに吹き込んでおく必要さえなかった。
コード進行も、スケールも、拍子も、そんなものは一切関係ない。
理論なんかもう邪魔なだけ。
ジャンルという存在も煩わしい。
囚われるな。
自由にやれ。
犯れ。
殺れ!
するべきは、命令に従って、欲する"フレーズ"を集めていくことだけ。
無音の虚空へまず吹き込むのは、曲全体を支配し、蔓延する"痛み"。そして"絶望"。
男と女、両方が相応しい。
仲睦まじい夫婦を使おう。
条件を満たしていれば、誰でもいい。
適当な場所と時間を見繕って、通りがかった名前も知らない夫婦をさらい、準備しておいた場所に連れて行き、互いの目の前で、身も心も、徹底的に痛めつける。
マイクが、2人のプレイヤーから奏でられる声を、絶命するまで余す所なく拾っていく。
痛みも。悲しみも。怒りも。恐怖も。恨みも。絶望も。
2人は期待以上のプレイをしてくれた。
この激しくも美しい声を是非とも文字に書き起こしたい所だが、無粋すぎるので割愛する。
代わりに、自分がやられたと仮定して想像してみて欲しい。
理由も分からず、見知らぬ人間に延々と殴られ続ける様を。
致命傷を避けて、刃物を浅く刺したり切ったりする様を。
傷口に、普段忌避する害虫を這わされる様を。
煙草を粘膜に押し付ける様を。
肉の焼ける臭いを。
鉄が生き物になったみたいな血の臭いを。
灼け付く熱を伴う痛みを。
雑菌を擦り込まれるような、おぞましい愛撫の感触を。
実際はもっと色々あるが、省略する。
充分に想像し、追体験できた所で、今度は視点を入れ替えてみて欲しい。
これまで説明してきた全てのことを、今度は自分の目の前で、自分の最も愛する者が受けている場面を。
もちろん、こんなことをして良心が傷まない訳がない。
己のしていることは鬼畜以下の所業と理解してもいる。
でも、仕方がない。全ては芸術のためだ。
どうか我慢して、従って欲しい。
こうして、初の音録りは大満足のうちに終わった。
後に残った死体は、丁重に葬る。
もちろん、協力してくれた感謝も忘れない。
もう一つ、決して忘れてはいけないのは、協力者の名前。
いくら詰めの甘いうっかり者な自分でも、こればかりは絶対に覚えておかなければならない。
大切なスタッフたちなのだから。
おっと、満足感に浸っている暇はない。
頭の中で既に出来ている完成品を正確に現実世界へ産み落とすには、まだまだ足りない音はたくさんある。
もっともっと、集めなければ。
中盤辺りに渇望が欲しい。
女との行為の最中に首を絞めた時の、必死に酸素を求めてもがく、呼吸とうめきの混じった音が最適か。
前半部、土台となる低音が欲しい。
屈強な男の内臓をドリルでかき回せば得られるだろうか。
クライマックスへ導くための道となる高音が足りない。
声の高い女の、ギリギリ理性を失わない範囲での悲鳴が必要だ。
何がいい? 電気か? 火か?
アクセントとして、綺麗な音を散りばめたい。
動けないように縛り付けた子供の耳に針を突き刺し、グリグリと動かせばいい音が録れそうだ。
他には何がいる?
あと何人、犠牲にすればいい?
最初の夫婦もそうだったが、途中で特定の人物の名前や、親類の名詞を声に出すのは勘弁してもらいたい。
気持ちは分かるけど、作曲にあたっては不純物でしかないから。
余計なものを、自分の作る音楽に混ぜたくはない。
まあ、今更だ。
既に必要な音は集め終わり、ミキシング、そしてマスタリングも今ようやく終わった。
完成である。
我ながらかつてない早いペースで、何より完璧に作業を進められた。
完成するまで自分が警察に捕まらなかったのは、きっと運命が曲を作り上げろと味方してくれたからだろう。
時代が後押ししているというのは、こういう状態を表すのだろうか。
しかし、流石にもう限界のようだ。
捕まってしまうのは時間の問題だ。
本当は作品の完成を祝って一杯やりたかったが、仕方がない。
これだけ大勢の人間を嬲り殺したんだ。
捕まった後はきっと死刑になるだろう。
世間の非難を散々に浴びる、といったオマケ付きで。
そんなダラダラとした展開になるのは、嫌で嫌でしょうがなかった。
理由は簡単。
アーティストは、死んで伝説になる。
よく言われていることだ。
死刑より自殺の方が美しいと思う。それだけだ。
外は激しい雷雨。
終わらせるにはぴったりの天気である。
最後にもう一度、完成した曲を最初から最後まで通して聴いてみる。
うん、最高だ。
最高級のスピーカーを通して、最大のボリュームで、最高級の音楽が世界に満ちて、世界を揺さぶる。
老若男女、数多もの悲鳴が、平等に、美しく、醜く、激しく、狂おしく、己が鼓膜を傷付けていく。
特定の宗教を信仰してはいないが、天国と地獄が共存している世界というのは、きっとこの音のようなものを指すのだろう。
自分の最高傑作であり、この世に二つとない最高の芸術品という自負がある。
皆さん、ありがとう。本当にありがとう。
自然と涙が溢れていた。
全員、一人も漏らさず、このノートに名前は残してある。
あとはマスコミなり何なりが、皆さんの名前を大々的に伝えてくれるはずだ。
どうか自分の名前と一緒に、全員の名が歴史に残りますように。
見ているか、過去の偉大なクラシックの作曲家たち。
音楽として洗練される前の時代、ただ本能と衝動に従って音を紡ぎ、叩き鳴らした名も無き人々。
殿堂入りしたミュージシャン。
ヒットチャートの頂点に君臨する者ども。
自分はたった今、諸君と比肩する存在になった自負がある。
自分の前にも後にも、このジャンルの歴史はない。
きっと自分以外の誰にも現実化不可能な、本当の意味での唯一無二の音楽の完成だ。
さて、感傷に浸っている暇はない。
モタモタしていたら、全てを成す前に警察が来てしまう。
その前に、誰もがこの曲を聴けるように、サイトへアップロードしなければ。
…………。
……。
ああ、そうだ。題名はどうしよう。
適当でいいか。この音楽に対して変な名前をつけたくはない。
聴いた人それぞれが、勝手につければいい。
…………。
……。
これで良し。
作曲以外でパソコンを操作するのは苦手なんだけど、恐らくちゃんと出来ているだろう。
では、さよなら。
この音楽を、一人でも多くの人に楽しんで頂ければ幸いです。