2話 粘ってもダメだった
知らない天井...さえ無い。
目を開けた瞬間、見えたのは白。
白い、何処までも白い空間。
これは天井とはいえない。
「はぁ...なんじゃこりゃ」
随分と硬い真っ平らな地面に転がりながら、真也は現実逃避気味につぶやいた。
答えを期待しない一方的な呟きであったが、意外にも返す言葉がささやかれた。
それも真横で。
「説明すると長いのじゃ」
「っとー!びっくりしたぁ!」
すぐさま飛び起きて距離をとる。
「フォッフォッフォッ、良い反応じゃの」
声をかける際に屈めた腰を戻しながら、髭を撫でる老人。
白いローブに白い髭、白い髪に白い目、なんとも目に悪い。
「どちら様ですか?」
「お主こそ誰なんじゃ?」
「え?」
「ん?」
おまけにこれだ。
初対面だというのにおちょくるような態度。
最初からこちらの話を聞くつもりが無い、答えるつもりも無いこの態度は、本来なら真也が一番に嫌うところであった。
日常であれば先ず気分を害したであろうが、非日常の連続である今、真也の反応も日常通りとはいかなかった。
簡潔に言えば、現状に一杯一杯で気分を害する暇もなかったのだ。
(質問に質問で...ってかマジで誰よ)
(わしじゃよ...)
「あ!?」
「まこと良き反応じゃの、ふふふ...」
(こいつ...直接脳内に!?)
意図せずお決まりの反応をしてしまう中、真也の脳内はとてつもなく混乱していた。
普通ならそうだろう。
あいにく、このような状況でやけに落ち着いていられる程、真也の人生は紆余曲折を経ていなかった。
普通の人生だったのだ。
こんな出来事の耐性があるわけがなかった。
まして思考に割り込まれては、こうなる事はもはや必然。
「あ...お、おま...」
動揺してうまく言葉が出ない。
老人を指差す手は震え、冷や汗が頬を伝う。
ドクドクと脈が早まるのが解り、呼吸は乱れる。
その姿たるや、秘密を知ってしまったが為に路地裏で始末される脇役。
人相の悪さゆえ睨みつけるように目線を通している辺りが正にそれらしい。
そのような真也の様子にまたもや面白がるかと思われた老人は、しかし今度は困り始めた。
「むぅ?脅かし過ぎたかの...?」
一瞬思慮顔になった老人だったが、直ぐに元の表情に戻る。
恐らくは「そんな事はない、こいつが驚きすぎだ」という考えに至ったのだろう。
それが証拠に、老人は真也に喝を入れだした。
「この程度で動揺するでない!」
「この程度って言えるレベル超えてんやろが!」
もはや限界を超えたのか、はたまた老人の喝が効果を成したのか。
真也もヤケクソ気味に叫んで答えた。
「そう、それでいいのじゃ」
「もうなんやねん...クソが...」
反応に満足したのであろう老人は笑み、動揺がイライラに変わった真也は悪態をつきながらその場に座り込む。
そんな真也を気にした風もなく、老人は再度話しかけてきた。
「そういえば、なんじゃがのぅお主」
「あ?」
それに対して真也は不機嫌を隠そうともしない。
もうどうにでもなれ、言われずとも分かる程態度でそれを示していたが、相変わらず老人はどこ吹く風で気にした様子もない。
そんな事は関係ないと言わんばかりに老人は話を進めた。
「異世界に勇者として行く、となればどんな能力を持ちたいかのぅ?」
ピタリと、真也の動きが止まった。
イライラとした仕草もなりを潜め、ハッとした顔で老人を見る。
そして今度は焦り始めた。
自身が置かれた環境が少しづつ理解出来始めたがゆえに。
(...この空間、地平線まで白いこんな空間、地球じゃありえん
しかもさっき見た『アレ』...これは恐らくマジ
クソがよぉ...糞がよォ!!
俺は普通に生きてるだけでええねん!
こんなんごめんやってのに!)
やがて絞り出すように、
「...俺じゃないとダメなやつ?」
と質問するも、
「拒否権無しじゃ」
と断じられる。
「ぐ...」と親指の爪を噛みながら声を漏らす真也。
カタカタと立てた膝を揺らし、マジかよマジかよと連呼する。
しかし、老人は待たなかった。
そんな事は関係ないとばかりに答えを迫る。
「して、決まったかの?」
疑問系ではあるが、こちらに選ぶ権利など無い。
威圧感とも圧力とも言えるものがそこにはあった。
この小時間で考えがまとまる筈も無く、同じ考えばかりが頭をめぐる。
そんな真也の答えは...
「...まだオカンとオトンに恩返して無いんです!
育てて貰って、お金もかけて貰って!
返さなあかん事が沢山あるんです!
後生です!ほんまたのんます...ほんま...」
飛ばされるならば、もう戻れないならば決して叶えることの出来ない親孝行、それをついた情に訴えかける作戦だった。
嘘など無い。
そこに俺の利害が重なるだけで、全くの偽りの無い気持ちだ。
それも涙と土下座を交えた渾身の出来。
しかし、老人は止まらない。
「心配無い。
あちらでのお主の存在は無かった事になるのでの」
予め用意されていたのであろう、息を吐くように答える。
土下座など、まるで見えないように無視して。
そして真也にとっては死刑宣告とも言える言葉を叩きつける。
「答えは出たかの?」
「ぐぅぅ.....!!」
頭を地面に擦り付けたまま、真也は唸る。
しかし、いつまでもはそうしていられない。
この老人が答えを急く理由。
恐らくだが、それが肌で感じ取れていたからだ。
(無理か...腹くくるか)
そう考えた俺は、顔を上げ、叫んだ。
「支援系の付与魔法でおなしゃす!」
「あいわかった!」
やはり愉快そうに笑う老人。
その姿も、もはや霞んでいる。
やがて全てが見えなくなる刹那。
老人が口にした言葉を、消えかけの聴覚が拾った。
「期待しておるぞ...平民の勇者よ!」
次から異世界です。