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金曜日。穏やかな空気が店内に流れる。その空気を作っているのはあの店員で間違いはない。
いつも通りに、優しいいらっしゃいませの言葉を貰う。俺もいつも通り、店内の花をのんびりと眺めながら場の空気を楽しむ。そんな俺に慣れたように、店員も花の手入れや水やりをする。
「珍しいですね」
店員に話しかけながら作業台の方を見る。そこでは見慣れない中年の男性がこれまた楽しそうにアレンジメントを作っていた。一見して熊を思わせる大柄な姿と髭、しかし目はとても優しい。店員とお揃いのエプロンを付けていることからおそらく彼が店員の父上殿だろう。
「今日は母が町内会の旅行で出掛けていて」
つまらなくて出て来ているのだと笑って教えてくれた。そして、手入れする手は止めず、ご両親の仲良しぶりを教えてくれる。クスクスとその時の様子を思い出しているのか、楽しそうにいろいろ話してくれる。それを聞こえていたのだろう父上殿は、少し照れくさそうで、恥ずかしいからやめろと言いながら決して内容を否定することは無かった。仲が良い家族なんだなと、今は亡き両親を思い出しながら自然と笑顔になった。
「今日はもういいぞ」
一緒に飲みにでも行ったらどうだ、と突然父上殿が店員と俺に向かって言う。俺としては大変ありがたい申し出だったのだか、店員はきっと困っているだろう。ただの客と店員の関係でしかないのに、いきなり二人で飲みに行くというのも気まずいだろう。俺が何も言わずにちらりと視線を店員に向けると、その人もこちらを見ていたせいで思いきり目が合った。どう言えばいいか何も思いつかず、とりあえずにこりと笑うと店員も笑顔を返してくれた。その笑顔にぎこちなさや寂しさを感じることは無かった。
「ご迷惑でなければ」
店員がこちらを窺うようにはにかんだ笑顔を向ける。こちらとしては願ったり叶ったりで、一も二もなく頷いた。
帰りに仏花を取りに来ると言うと店員は、じゃあその時に組みますねと笑って言ってくれた。父上殿が組んでおこうかと言ってくれたが、店員は少し黙ってからなるべく花が傷まない方が良いからと、後でやると言い残しさっさと店を出てしまった。まあ、俺としても少しでも長くあの人といられる時間が貰えるのであればそれでいい。父上殿にありがとうございます、と一言礼をして俺も店を後にした。
俺が外へ出ると店の前でなぜかしゃがみこんだ店員がいた。どうしましたかと顔を覗くと、少し恥ずかしそうな顔をして謝られた。曰く、父との言い合いを見られて恥ずかしい、挙げ句の果てに俺を置いて店を出てしまって申し訳なかった、との事らしい。ああ、可愛らしい人だなあと思う。それに普段は見れない顔を見ることが出来た。嬉しくて仕方がない俺は、ついつい声に出して笑ってしまった。それを見て恥ずかしいのか、拗ねているのか店員の顔がますます赤くなる。
「もう、何食べたいんですか」
語調は少しきつくなっているが、顔が赤いまんまなので怖くはない。
「この辺りのお店はよく分からないのでおまかせします」
半歩程後から追いかける様に歩く。俺の方が背が高いせいで二人の歩幅は当然ずれているのだが、歩調は同じ。
どこそこの何が美味しい、あれが美味しいと教えてくれる。俺が、あなたの好きなものは何かと訊けば、特に苦手な物は無いがどちらかというと魚介類の方が好きだと教えてくれる。それならばと、魚介類の美味しいお店に行きましょうと言うと、嬉しそうに微笑んだあと、はっとしたような顔で良いんですかと訊ねられた。俺もどちらかというと肉より魚が好きだと伝えると、ほっとしたようにじゃあ、あの店にしましょうとおすすめの店へと連れて行ってくれた。
店に入ると、この人はなかなかの常連だったようで、店内のあちこちから声がかけられていた。
「何にしますか」
と言われても、全部任せますとしか言えず、申し訳ないような気がした。そんな俺に気を悪くすることもなく、おすすめの品をいくつか注文していってくれる。飲み物は同じで大丈夫ですかと訊かれたが、注文の手際の良さに惚れ惚れしていて内容を全く聞いておらず、ついつい頷いてしまった。
少しして飲み物と突き出しが出てきてどうしようかと思った。目の前に出てきた飲み物は芋焼酎とポットのお湯。そして、あっという間に作られる二杯の芋焼酎お湯割り。
「乾杯」
と機嫌よくグラスを合わされ、目の前の人はさも旨そうにグラスを傾ける。俺はといえば、飲み慣れないアルコールに喉を焼かれながらちびちびと舐めるように飲み進める。
炭酸と苦味が無い分ビールよりは飲みやすいかもと思いながら目の前の人に視線をちらりとやると、いつも花屋で見せる笑顔とはまた違った笑顔でにっこりと微笑まれる。
「焼酎では芋が一番好きなんです」
届いた注文品をつつきながら無防備に笑う。目の前の人が好きな俺は、ついついこの「好きなんです」という言葉に心密かに反応してどきりとする。
「甘い香りですね」
言葉で赤くなりそうな顔をごまかすように酒に口をつける。アルコールと甘さが口に広がりふわふわと不思議な気分になる。目の前には美味い肴に美味い気がする酒、そして何より好きな人の笑顔。幸せな気分に浸りながら酒と肴と笑顔を堪能する。
目の前ではもの凄いハイペースで飲み進めるあの人。いや、これが普通なのかもしれない。俺は人と酒の席を一緒にすることは極力避けたし、両親も俺と同じで酒に弱かった。そんな見慣れないペースに見事に引っ張られ、かつて飲んだことのない量の酒を飲んでいた。
ふらつく足とくらくらする思考。何とか支払いを済ませ、仏花を買うために花屋へと歩き進める。かつてないほどの高揚感に自然と笑ってしまう。後で思えば気持ち悪いことこの上ないのだが。あははとか、うふふとか声を出して笑っていた。
「俺ね、酒飲んでこんなに楽しくなったの初めてです。それに、楽 しくなったのもずいぶん久しぶりです」
へらりと笑うとあの人も嬉しそうに笑ってくれる。
「じゃあ、また一緒に飲みに行きましょうね」
返してくれたその言葉がとても嬉しくて、ハイ、と小学生の様に返事した。
もう少しで日をまたぐ頃、花屋へ着いた。さすがに店は閉まっていて、裏口から店内へと通される。薄暗い照明の中、二人きりで花を選ぶ。ああ、不思議な気分だ。頭や体はふわふわするし、好きなあの人が目の前でにこにこと花を組んでいる。仏花であるのがちょっとあれだけど、とても幸せな状態なんだと思う。一人で笑っていたのを見られ首を傾げられる。この人は酒が入ると少し幼い雰囲気になるなあ。
「楽しそうですね」
ふふっと笑って俺を見てくれる。手にはとてもさっきまで大量の酒を飲んでいた人間とは思えないくらい綺麗な組み花が持たれていた。
「うん。だって、俺ここの雰囲気好きなんですもん」
酔ってはいても最後の理性で、あなたがいるからとか、そんな言葉はなんとか飲み込む。それでも心から本当に楽しくて表情は緩みっ放しで、にこにこが止まらない。
「そんなふうに言って貰えるなんて、初めてです」
二人向き合って笑い合う。酒の力って凄いと思った。今までこんなに話せたことなんて無かったのに、初めて一緒に飲んだ酒でこんなに仲良く話せている。まるでラグラスの穂にでもなったみたいでふわふわな気分だ。花言葉は・・・。
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