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お盆休み直前、盆飾りなんて物は家には無いから、せめて墓と仏壇に供える花を何時もより豪勢にしよう。いつも通り、金曜日に花屋へ足を運ぶ。お盆休み前でタイミング的には少し早めだが、俺のスプーン一杯の幸せのため御先祖様たちには我慢してもらおう。
夕暮れ時の歓楽街、まばらな人影の中をゆっくりと歩く。
初めてあの花屋へ行った時とは大違いの気分だ。あの時は、こんな所を歩くのすら落ち着かず、良い歳したおっさんなのに何か悪いことをしている気すらしていたのに。今ではここの浮ついたざわめきすら楽しく感じる。ここを通ればあの人に会えるのだと。
人通りを抜け、あの店の前まで来る。何時もより早い時間帯、店内には数人の煌びやかな客がいる。和装の女性に、派手なスーツの若い男、黒服の男とこの街では良く見られる類の人々だ。いつもなら見かけない自分以外の客の姿に、あぁ、そういえば飲み屋はまだ開店前か、と納得する。それほど広くは無い店内だ、ここで俺が入ってもゆっくり出来ないだろう。もう少し暗くなってから来ようと、花屋を背にする。
一旦帰ろうかとも思ったけれど、たまにはこういった場所で飲むのも良いかもしれないと、既に開いている店を探す。花屋から程よい距離に暖簾を掲げる店を見つけた。古びた外観とカウンターだけの狭い店内には先客が二人。どちらも独りの様で、少しだけほっとした。端の席に腰掛け、ビールと肴を適当に注文した。すぐに目の前にビールと突き出しが出てくる。頼んだ肴を待ちながら、突き出しをつまみにビールをちびちびと舐める。実はビールは苦手だ。こういう店自体ほとんど来たことも無いし、酒にも強くない。それでも、飲みたくなる事もある。そんな時、ビールぐらいしか思いつかない。
ビールの苦味を濃い味のつまみでごまかしながら時間を過ごす。このビールを飲みきったら花屋へ行こう。その頃にはきっと、どこの店も開店して花屋への客はほとんど居なくなるだろう。そうすれば、少しはあそこでゆっくり出来るかもしれない。
俺は小さな幸せを思い描きながら、ビールの苦味に眉を寄せた。
小一時間ほど過ぎた頃、グラスも皿も全てが空になった。その頃にはカウンターも殆ど埋まっていた。ビール一杯で随分と席を占めていた事を申し訳なく思いながら会計を済ませた。
店の外は未だ夕暮れの名残を残して明るいが、辺りの店はどこも営業を始めているようで、目立たないが看板が明るくなっている。
酩酊するほど飲んではいない。確かな足取りで花屋への道を行く。いつもよりその道がいくらか楽しく感じるのはアルコールのせいか、それとも夏の夜のせいか。どちらにしろ不思議な高揚感で店へと向かう。
たどり着いた店内に、今は客の姿はない。ほっとして店内へ入ると花を眺めていたのか、少し惚けた顔の店員がこちらを向いた。
「あ・・・いらっしゃいませ」
いらっしゃいませの声とともに満面の笑顔を見せる。いつも通りのほわんとした笑顔に俺も釣られて笑顔になる。
「先程はせっかく来て頂いたのにお相手できずすみませんでした」
一度店を覗いたことに気がついていた様で、本当に申し訳なさそうに謝られてしまう。俺としては、外から覗いただけの俺に気付いてくれていたことの方が嬉しかった訳で。
「気にしないで下さい。急ぎの用事でも無いですし」
ここでゆっくり花を眺めるのも結構気に入ってるので、他のお客さんと時間をずらしたかったんです。冗談の様に態と軽口を叩きながら、本音を口にする。
「じゃあ、ゆっくりしていってください」
ふにゃりという擬音がしっくりと来る笑顔。たとえ社交辞令だとしても、客という立場を大いに利用する事にしてこの店で過ごす時間を楽しむことにする。
のんびりと花の入ったバケツを眺めながらお盆用にいつもと少し違った物を二組欲しいのだと伝えると、今までは組んだことの無い花をいくつか指し示しながら説明をしてくれる。俺はいくつかの花の中から白の竜胆と紫のトルコキキョウを入れてもらう事にした。菊の方は相変わらず店員任せで選んでもらった。
いつもよりも更に華やかな雰囲気の組花を迷い無く、なおかつ楽しそうに左右対称に組み上げる店員の姿に、自然と頬が緩む。
花、本当に好きなんだろうな。
いつもは菊だけの仏花だったけど、たまには季節の花とかを入れるのも良いかもしれない。そうすれば笑顔が見れるかもしれない、会話も増えるかもしれない。
今後の戦略をぼんやりと考えている内に花は組み上がったようで、こんな感じてよろしいですか、といつもの様に掲げて見せてくれる。ありがとう、とこちらもいつもの様に返す。いつも似た様なやり取り。それが当たり前になっているのが嬉しい。例え、俺以外のお客に対しても同じ様なやり取りをしていたとしても。今、客は俺だけで、向けられる笑顔も俺しか見ていないのだから。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
二人の話はまだまだ続く予定ですので、最後までお付き合いいただけると幸いです。
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