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恋の花し  作者: 犬犬太
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 毎週金曜日は亡き両親の仏壇に供える花を買う事にしている。しかしながら、夏休みも目前の金曜日の今日は来週の頭に学生達に受けさせるテストの作成に時間を取られ過ぎた。いつもなら、近所のスーパー内にある花屋で既に仏花としてセット売りされた物を一対購入していたのだか、遅くなった今日はもうスーパーが閉店してしまっている時間だった。左腕の時計の針は午後九時半を少し過ぎた頃を指している。

 別に、必ず金曜日に花を替えなければならない訳でもない。けれど、数年の間に身についてしまった習慣は、それを成さなければどことなく収まりの悪い気持ちにさせる。

 この時間でも開いている花屋に心当たりはある。駅前から家への一番の最短距離の道で、いつもならわざと一本道を外して遠回りをして避ける通り。いわゆる歓楽街である。そこの通りの花屋であれば、キャバクラやホストクラブへの客からの注文などを見越して日付が変わる頃まで営業していたはずだ。仏花があるとはあまり思えないが、花を替えないよりかは自分の気も収まりそうではある。それでも、歓楽街という場所へ向かうのはなんだか落ち着かない。そんな所へ足を運んだとして、誰かに何か言われる年齢でもないのだけれど。

 先程までよりなんだか重たい気がする脚を動かし、あまり周りを見ないように、足下をじっと見つめながら目的地へとただひたすらに歩いた。目的の場所は、通りの中でもきらびやかな店の並びからほんの少しだけ離れた場所で、今来た道を振り返りさえしなければそこが歓楽街であるのを忘れそうになるような雰囲気だった。人の流れが途切れ、店内からもれる照明と街灯の光だけが辺りを照らしている。

 意外にも普通の、いや、くたびれた男が入るには少々敷居の高い店内にはいつも行くスーパーの花屋とはまるで比べ物にならない種類の花たちが並んでいた。予想通り、仏花は置いては無いようだったが。どうしようかと花を眺めていると、店の奥から店員がやって来た。

「どなたかに贈り物ですか」

 柔らかい表情が浮かぶその顔は、ああ、花屋の店員だなあ、と納得がいく。ぼんやりとそんな事を考えていると店員は少し首を傾げ、何かご希望のお花はありますか、と柔らかかった表情を更にふんわりと崩して笑った。

「えっと、輪菊って・・・無いですよね」

 さらっと見回しただけでもいつも買うような輪菊や小菊は見当たらない。

「お仏壇へのお供え用ですか。よろしければお組みしますよ」

 それじゃあと、お願いすると本数や色合いの希望を尋ねられる。今まで何も考えずに束になった物を購入していたから、何が良いやら悪いやら、困ってしまう。黙ったまま、いつも何本だったか、色はと先週活けた花を思い出そうと記憶を探る。

「仏器はどの位の物をお使いですか」

 黙り込んでしまった様子に手を貸すように声が掛けられる。その言葉に手を使って何とか大きさを説明した。三十路男がたどたどしく伝える様を真剣に見つめられるのは恥ずかしかったが、店員がどことなく嬉しそうに花を選ぶ姿を見て、説明して良かったと感じた。

「これ全部菊なんですか」

 花の入ったバケツから店員の手に抜き取られていく色とりどりの花たち。いつも行く花屋でも見かけた様な物がいくつか混じっている気がした。

 菊には案外種類があるんですよ、と店員がにこりと笑う。

「菊って言うだけでお仏壇や墓前に供える物ってイメージが強いみたいであまり好まれないんですけどね」

 そう言って少し淋しそうに笑う。けれどすぐにその淋しそうな様子は消えてしまい、いたずらっぽい笑顔を浮かべて言葉をつなぐ。

「でも、『 マム』って言うと皆さん気にならなくなるみたいなんですよね」

 そうして花の入ったバケツの値札を指さされ、俺はその指先に誘導されるように値札を見る。確かに、菊だと聞いたバケツの値札には『 スプレーマム』、『 ピンポンマム』などの見慣れない名前が書いてあり、見た目も色も今まで仏壇に供えていたものと全然違い普通に贈り物の花束にしても見劣りなどしないだろうと感じるものだった。

 花であふれかえる店内を物珍しいなと思いながら眺めている間に、一対の仏花の束が組み上げられた。その束は、今まで購入していた仏花とは似ても似つかないほどキラキラして見えた。それについ見入ってしまった俺に、店員が心配そうに言う。気に入らなければもう一度改めてお作りします、と。気に入らない訳が無かった。ただ、少し驚いて、戸惑っただけ。

「両親もこれ位綺麗な物の方が嬉しいですよね。きっと・・・」

 戸惑った理由を素直に口にすると、店員は嬉しそうに、そして少しだけ照れた様に微笑んだ。

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 会計を済ませ、花を手に出口へ向かう。荷物と花で手が塞がった俺の後を店員はわざわざ付いて来て扉を開いてくれる。そして、ありがとうございましたと笑顔を見せてくれた。

「また来ます」

 初めはなんとなく心の底で今日だけだ、仕方ない、と思って入った店。けれどいつの間にか、ほんの数分の間に来週もここで花を買おうと心に決めていた。

 後から思うと、この時に俺はあの店員に一目で恋してしまったのだとはっきり言えるだろう。それまでただの習慣だった仏花の購入は、あの店員に会うための口実へと変わってしまった。


読んでいただきありがとうございました。感想などいただけると励みになります。

なるべく早めに2話目を上げられるよう頑張ります。

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