凛檎2
◆
次の日が来て凛檎は違和感と共に起きた。
布団が身体に掛かってないのだ。おそらく、美柑が引き寄せて奪ったんだと思うが隣を見ると美柑も毛布も何もなかった。
ただ、自分の頭の下には枕がある。
「……日陽さん?」
――どこに行ったんだろう? トイレかも知れない。毛布を持って?
上体を起こすとそれはすぐ分かった。落ちたのだ。ベットから。
「ふふふ、ベットから落ちるってどんな寝相よ」
もしかしたら今まで布団で寝ているのかもしれない。
立ち上がるとさらにすごいことが分かった。
ベットの真下でうつ伏せになっている機械人形の体に布団をかぶせるように一緒に寝ていたのだ。
その光景がとても優しく見えた。
「私は彼のことを物として見ている、でも彼女は人間として見ているのかしらね」
凛檎はいつもより二時間も早く起きたのだが機械人形は動こうとしなかった。
もしかしたら美柑が邪魔をしているのかもしれない。
いつもは凛檎の起床に合わせて食事なり作ってくれるのだが今日はそんなことはなかった。
「命令が効いたのかしら?」
それか、自分のお腹が減っていないのか。実際まだお腹は減っていない。
とりあえず、美柑を起こすことにして揺すろうと思ったが手が止まった。
美柑が寝返りをうったのだ。その手が機械人形の顔を撫でる。長い髪が除けられ閉じられた目が顕になる。
その顔は死体のように無表情で無呼吸。サイレントフェイス。
「…………」
小さい頃、機械人形と初めて会った時に閉じた目を強引に開けたことがある。
そこには白目が広がっていて気味が悪かった。
その時からロボットと決めつけていたのかもしれない。
「今は……どうなっているんだろう?」
寝ている人の目を開けると、目は泳いでいるか、動かないかだと聞く。実際に見たことはない。
でも、ロボットはどうなんだろう?
あの時は可動テスト前で人間に置き換えれば寝ている状態。だから白目だったのかもしれない。
そっと手を伸ばしてみる。まるで、凶暴な犬の餌を気づかれずに取るような悪戯のような緊張感。
瞼は薄い皮膚で柔らかく睫毛がこそばゆい。
人差し指と中指を瞼の上下に置いて後は広げて開くだけ――
「あぁ!」
「きゃっ!」
美柑が起きた。オレンジの髪をぼさぼさにして目をこすって上体を起こす、その隙に現場から離れる。
「み、見た?」
「……ん~? うーん、うん、ふわぁ~」
曖昧な返事。欠伸をして起き上がった様は寝ぼけているようにも見える。
「そう……でも、誤解とかしないでね、あれは不意に魔が差したというか……」
「あれ? なんでここに君が? あれぇ?」
そこで、自分がベットから落ちたんだと気付く美柑。慌ててベットによじ登る。
「も、もしかして私ってば布団ごと君の上に落ちちゃった!?」
「……そうよ、ええそうなの」
その問いに凛檎が答えてやる。
美柑は千歳のことを君と呼んで話しかけるのである。答えたことは一度もない。
「そっか……あ、凛ちぁゃん、おはよぉうぅござぁいますぅ~」
「おはよう、あなた朝は弱いタイプなのね」
学校だったら「おはよー!」と突撃してくるはずだ。
「えー? そうかなー? んー? ぐわぁ……」
考え込む美柑の前にむくっと音もなく機械人形が立った。
すぐさまキッチンに向かい朝の料理を作り始める。撥条を巻いたようなスイッチの切り替わりようだ。
「君は朝がすごく強いんだね……んわぁ……」
もう何回目か分からない欠伸をする美柑の様子に凛檎はホッとする。
どうやら見られてないようだ。
寝ている人の目を開けるなんて他の人に見られたら少し引かれる。
「それより急がないといけないんじゃなくて?」
「あ! そうだよ、今何時?」
「六時だけど、ご飯たべていくんでしょ?」
「うん!」
スマホのコマンドプログラムに『美柑の分の朝食を用意』と書く。
「うわっ美味しそう! ていうか作るの早くない?」
ほかほかのご飯にあったかい味噌汁、二つの深めの皿には卵のそぼろと鳥のそぼろ、ほうれん草のおひたしという和食が用意される。
さっき起きてもう出来上がったことに凛檎は驚くが、この速度で朝食を用意できるのならば凛檎の起床時間に合わせて朝食が用意されるのも頷ける。
そんな朝食が二つ。
「二つ?」
たった今スマホに打ち込んだコマンドプログラムを確認しようと画面を見る。
ERRORと画面には書かれていた。
「質問を受け付けていない……?」
これはどういうことなのか。
昨日はコマンドプログラムに『暖かいものを取り入れた夜食、美柑の分も』と打ち込んだので美柑の分の夜食が用意された。
コマンドプログラムには父の書いた『凛檎を守り、その世話をしろ』が永久に作用して、機械人形は凛檎の分の朝食は作ってくれるが美柑の分は作らないと思っていたからだ。
もしかしたら、美柑の分の朝食を作るのは必然だったのか。でも、エラーの理由が分からない。
「考えすぎね……」
朝からの熟考は頭痛がでる原因になりあまりよくない。ご飯を食べて落ち着いたらまた考え直そう。
「ねー君、髪伸びすぎじゃない?」
「伸ばしてるのよ」
相変わらず、答えない千歳に聞いている美柑。それに答えを返すのも恒例になってくる。
「なんで?」
その理由を聞いてくる。
凛檎としてはさっきの行動を思い返すので少し恥ずかしくなる。
「目が開かないのよ」
「開かない?」
「閉じたままなの、目が閉じたまま歩いたり、物を掴んだり、授業をするわけにいかないでしょ? だから髪を伸ばして誰からも見られないようにしてるの」
「あーなるほどね」
美柑は鳥そぼろと卵そぼろをかき混ぜて食べる。
それを凛檎は行儀が悪いなんて思ってしまうが、美柑らしいとも思う。個性なのだろう。
「でも……いつかは切って整えてあげたいわね」
メンテナンスをしてくれる人たちは髪のことはあまり気にしていないみたいだけど肩にかかる髪は切ってくれている。
ロボットだからメンテナンスをするために背中がパカッと開いたりするんだろう。その際に後ろ髪は邪魔になる。おかげで前髪が伸び続けているのだ。
「本当に開かないの?」
目のことだろう。
「開かないというより、閉じたままなのよ」
「じゃあ、試したことはあるの?」
「試す? ってまさか……」
「目を開けるんだよ、どうなってるのかなー?」
美柑は凛檎と同じことを思っていた。
二人の意見は一致し後は行動に移るだけだった。
美柑がここにいる時間も残り少ない。
すぐさま凛檎がコマンドプラグラムに『横になりなさい』と打ち込んで命令を実行する。
でも、機械人形が横になるのは一瞬ですぐ仕事に戻る。
「私に貸して!」
今度は美柑が『もう寝ましょう』と命令する。
命令らしくないのが美柑らしい。
それでも機械人形はさっきと同じく一瞬寝てすぐ仕事に戻る。
まるでコントのように寝て起きてを繰り返す。
「それじゃあ、これよ!」
次に凛檎が『三〇秒横になりなさい』と命令する。
キッチンに行こうとする千歳はその場でやっとうつ伏せになった。
「……やっと寝たね」
「ええ、すこし手こずったけどこれで確認できるわ」
機械人形に近づいてその長い前髪をかき上げて瞼を顕に。
これはさっきと同じことをしているのだが、美柑は初めてだ。
「寝ている人の目ってどうなってるのかな?」
「大体は動いているか止まっているか、なのだそうよ」
「そうなの?」
「レム睡眠中は動いて、ノンレム睡眠中は動かないの、本で読んだことあるだけで実践したことはないんだけどね」
「ふーん、そのノンとかレムとかの睡眠ってなに?」
「脳が記憶の整理をしているのがレムで、脳もぐっすり寝ているのがノンレム睡眠よ、夢を見ているのはレム睡眠と言われているけど不思議よね、それじゃあノンレム睡眠中は何を思っているんだろって……」
そこでむくっと起き上がる機械人形。
三〇秒は短か過ぎたのかもしれない。凛檎が説明しすぎたのも原因ではあるが。
だから、次はコマンドプログラムに『五分寝ましょう』と打ち込んだ。
再び前髪をかき上げ瞼を顕にし、ついに手を掛ける。
「いくわよ」
目を開く役目は凛檎に任された。美柑はそれを見守る。
人差し指と中指が動いてその目が開かれる。
そこには黒い瞳孔があって世界を見回すように動いてた。