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千歳5

 そのまま凛を連れて東地区のエスカレーターに乗り込む。

「あ! 結構匂い付くから一回帰って着替えた方いいかも」

 乗ってから美柑がそう言う。凛が制服姿だからだ。焼肉の匂いが制服についてしまう。

 いまから戻るには頑張ってエスカレーターを逆走するか隣のレーンに手すりを越えて乗り込むかだ。

 お嬢様の凛のことだからそんなことはしないと思うが千歳はそれを妄想した。

「そうなの? ……いえ、このままでもいいわ」

「お前、今めんどくさがったのか?」

「そんな訳ないでしょ……制服の代えがあるのよ」

 この時の凛の少しのが何かを考えているように見えた。

 美柑の部屋はエスカレーターを降りた場所から近く、先輩のお下がりだという。

「ここに住めたのはね、友達の姉が学園を卒業するから、入れ替わりにもらったんだ」

「これは一軒家、というのかしら」

「プレハブ住宅だよ、ワンフロアの家、でも広いんだよ?」

 カギを開ける。美柑と凛が先に入って千歳も入ろうとしたら凛に追い返される。

「なんだよ?」

「いま美柑が部屋を片付けてるからもうすこし待って」

 そういうことらしい。

 確かに急なことだったから友達を入れる準備をしてなかったのだろう。

 千歳と凛は挨拶をして入ると確かに部屋は広かった。

 玄関を通ると、いきなり大きなリビングでそこに食器棚とタンスに小さなテーブル、奥には冷蔵庫とテレビがあって壁に押入れが付いている。

 壁紙はオレンジの花柄で美柑のイメージに合っている。そのせいか、オレンジの甘い匂いが部屋に漂っている。

 個室は浴室と洗面所とトイレで、キッチンが無かった。

「へー凛の部屋より広いじゃん」

「何もないだけだよ、凛ちゃんの部屋はベットがおいてたからね」

「これがプレハブ? キッチンは無いの?」

「一応携帯用のガスコンロがあるよ、外に洗う場所があるし」

「そこで洗い物するの?」

「そうだよ、冬は寒そうだよね~」

 それは寒そう、と凛は体を抱いている。

 さっそくホットプレートを収納したケースを開ける。その中にはたくさんの器具が入っていて一つ一つ取り出すたびに、

「専用のトングまで付いてるんだね、うわーこれでたこ焼きができるんだー!」

「一気に二〇個も焼けるみたいだな、こっちは大判焼きができるみたいだぞ」

「すごーい! これならなんでも焼けるねー! 正に夢の道具だよ!」

 と千歳と美柑が騒いでいる。

 それを見かねた凛はテーブルの前に行儀よく座るのだ。

「うふふ、お楽しみのところいいかしら? 私は早く焼肉が食べたいのだけれど?」

 凛は夕食を食べたあと帰らなければいけないのだ。

 そう笑顔で言われると千歳も美柑も敵わない。

「そだよ! まったく君は!」

「……お前も騒いでたじゃねーか」

 小さなテーブルにホットプレートを乗せると少し筐体がはみ出るが気にしない。そのまま焼肉を開始する。

 千歳が取り扱い説明書を読まずに、コンセントにプラグを差して電源を付けてホットプレートに熱を灯す。

 美柑は食器棚から皿などを運んで、冷蔵庫からタレを出し深めの皿に注ぐ。

 凛はその様子を見てタレの匂いを嗅いだりしている。

 それは初めて嗅ぐようで何度も興味ありげに嗅いでいた。こちらを向く。

「な、なによ?」

「……いや、凛は何もしないんだなって」

「仕方ないでしょう? 私はゲストで、あなたたちはホストなんだから」

 そう、凛はお嬢様なのだ。

 それに焼肉を知らないみたいだから動こうにも手伝おうにも、邪魔になると判断していた。

「じゃあ、お肉とかを並べよ?」

「並べる? あぁ、なるほどね……」

 買ってきた野菜やお肉の包装紙を破き、でかい長皿にそれを並べる。

 美柑は適当に置いていったけど、凛は几帳面なのか丁寧に置いて、肉を重ねるスペースも野菜の色も考えて彩りよく飾っていく。

 出来た皿はどっちが美柑ので、どっちが凛のか分かりやすかった。でも、凛のは食べるときに形を崩すのがもったいなくなりそうだ。

 そうして、ホットプレートが温められ美柑と千歳が野菜や肉をとって鉄板に置いていく。

「これは置いて焼かないと食べれないルールなの?」

「ううん、焼けたらどんどん食べていんだよ」

「お? こっちのは焼けたからどんどん持ってっていいぞ」

 流石最新式のホットプレートだ。肉が焼けるのが早い。豚肉だからかもしれない。

 焼けた肉をホットプレートの端に寄せて山ができる。

「……それじゃあいただきます」

 凛はその肉の山から肉をひと切れ掴むとタレにちょんっと漬けて食べる。

 その顔は少し綻んでいたので美味しいかったのだろう。

「あのね、肉をとるときはこうだよっ」

 美柑が肉の山をガバッと掴みドカッとタレに漬ける。

「そして、ご飯と一緒にこうっ!」

 その肉の山を口に入れて頬張り、続けてご飯を掻き込む。

 千歳もそういえばそう食べてたな、と思い出し肉をご飯と一緒に食べる。

「それって少し行儀悪くないかしら?」

「全然、これがうちの食べ方だよ」

「別に急いだ食事をしているわけでもないんだから落ち着いて食べた方がいいと思うけど……」

「まぁ、ご飯と一緒に食べれば美味しいってことだ」

 千歳が焼けたピーマンを美柑の皿に入れる。

「あっ、ちょっと~わたしピーマン嫌いなのにぃ~」

「でも肉たくさん食ったろ? なら相当の野菜を食わないとな」

「へぇーそんなルールもあるのね」

「ルールじゃないけど、宿命っていうか~避けて通れない道なんだよぉ……」

「そんな大げさなものでもないけどな」

「それってそんなに苦いの?」

 凛が鉄板の上のピーマンをとる。まだ生焼けだ。

 千歳はそれを理解していたが面白そうなので傍観した。タレに少し漬けて口に入れる。

「……あまり美味しくはないわね、でも歯ごたえはあっていいと思うわ」

 よく分からない味、と言った様子。その苦さをあまり理解していない顔だった。

「凛ちゃん……わたしもっ」

 それを見た美柑も、勇気づけられてのかピーマンを齧った。齧ると苦いだろうに。

 そんな感じで焼肉は続いていく。

 しかし、千歳には気づいてしまったことがあった。

「君、さっきから焼いてばかりだね? 食べないの?」

「あ、あぁ……あまり腹減ってないんだ……」

「……そういえばあなた、食べたりして大丈夫なの?」

 そうなのだ。千歳は昼にも凛の食べ残したパスタを食べたが、味がしなかった。

 味がしないと食べる感覚がなくなってしまう。

 それ以前に腹が空かない、満たされないと食べている気がしない。

 どこまでもいつまでも食べられる気はするが、それだと肉や野菜の生産者を馬鹿にしているというか、大自然に感謝をしていないという大げさな気分になってくる。

 それでも一応、肉を食べると舌が成分を解析し喉から体のどの器官に運ばれるかくらいは手に取るように分かる。

「ああ、それについては問題ないようだけど」

「そういえば、いままで君って何食べてたの?」

「俺?」そんなことを聞かれても千歳には凛に仕えていた時の記憶はないのだ。

「……これは推測なのだけれど、きっと油を飲んでたわ」

「油だって?」

 千歳が油を、しかも飲んでたという事実。

「そういえば、昨日の買い物も油が多かったよね」

「燃えないゴミの日は大量の空の瓶や容器が捨てられるのよ、どれも油を入れたものだったわね」

「ま、マジかよ……」

 自分が機械の体なので油を飲んでいた事実にショックする。

 おそらくそうしないと体の調子がおかしくなるのだろう。油が必要不可欠なんだとなんとなく分かる。

「だ、大丈夫だよ、お肉にも油は含まれてるんだし」

「そうだな……ありがとう」

 だから千歳は油を飲んで得るよりも、肉を食べて得ることにした。


 部屋のオレンジの匂いがすっかり焼肉臭くなって二人の腹が満たされると焼肉は終わった。

 凛が制服の上着を着て帰り支度を始める。

「ごちそうさま、とても楽しい食事だったわ」

「凛ちゃん、食べたあとに動くのは体に良くないよ?」

「大丈夫よ、腹八分目で食べたから」

「でも、外は暗いし女の子一人じゃ危ないよ?」

「大丈夫、いざとなったらこの武器を使うから」

 そう言ってカバンから棒状のようなものがシワを作る。

「そ、それって拳銃!?」

「いや、拳銃じゃないみたいだぜ?」

 それはただの人差し指だった。千歳には拳銃の類の反応があったらすぐ気づく。

「言わないでよ、余計帰りづらくなるじゃない」

「あー、そういうことだったのか」今更ながらに狙いに気づく。

「もう少しゆっくりしないの?」

「明日は学園があるからね、それともなぁにぃ~? もしかしてここに泊まっていって欲しいの~?」

「うん!」

 即答。美柑は素直に頷く。それに凛は少し困ったようにこちらを向いた。

「そういえば、あなたの住むところは決まったの?」

 ついにそう聞かれた。

 凛は一緒に帰るという意味で聞いたのだろう。

 千歳は凛にそのことを話したくなかったのだがついに話さなくてはならないようだ。美柑も下を向いて顔を逸らしていた。

「あー、そのことなんだけどな、俺ってノーネームだから住む部屋が無かったんだよ」

「……部屋がない? ノーネームてそんな不便なルールがあったのね……」

「だから、あのな……ここに住むことにしたんだ」

「え?」

 凛はその言葉の有無を確かめるために美柑を見る。それにただうなづく美柑。

「あなた何を考えてるの? ひとつ屋根に男と女の子が住んでいいわけないでしょ?」

「いや、提案してくれたのは美柑の方で、俺はそれをありがたく思ってるんだ」

「なにありがたく思ってんのよ! それじゃあ、私が卒業するまで美柑は私の部屋に住みなさい」

「え、でも、そんなの凛ちゃんに悪いよ、それにここ私の部屋だし」

 美柑はどうしても自分の部屋に住みたいようだ。

「それじゃあ、俺が凛の部屋に行こう」

「ダメよ、それが一番ダメ。ていうかあなた事あるごとに私の部屋に行こうとしてない?」

「いやそんなこと……ないけど」

「考えたわね?」

「いや、これはやましい気持ちなんてないぞ」

 ただ、凛が卒業してあの部屋を千歳に使わせてくれるのなら今から住んでもいいのではないか? と考えていたのだ。

「やっぱり、わたしと君がここに残ろうよ、初めからそうだったんだし」

 美柑は決めたことは曲げない性格なのだ。それに本心からそう言っていた。

「分かったわ、でもなにかあったら電話をちょうだいね、あなたも変なことしたらメンテナンスの時に追放するんだから」

「メンテナンス?」

 美柑が首を傾げる。

 おそらく、千歳の機械の体を点検することを言っているんだろう。

「そういえば言ってなかったわね、これについては少し長く説明がかかるから、時間があって二人の時に話そうと思うの」

「ああ、なんとなくわかった」

 凛に教えてもらうまでもなく、千歳はその言葉の意味を考えれば頭に浮かんでくる。

 それでも、いつか凛と相談するべきだろう。

「それじゃあさようならね、焼肉楽しかったわ、たまには庶民の暮らしもいいわね」

 凛が外に出るとそれを追っていく美柑。どうやら軽く送迎でもするみたいだ。

「うん、また今度誘うね。あ、君は風呂掃除お願いね」

 部屋に残る千歳はそう言われる。そういえば前もそんなことを言っていた気がする。

「わかったよ」

 浴槽へ向かう。風呂掃除と言われてやり方を覚えていないが道具を見るとその意味が分かって取り組む。

 五分程度で終わり、風呂にお湯を詰めて沸かす。

 後は待つだけなのでリビングへ戻ると美柑の姿は無かった。

 まだ帰ってきてないのかと思ったがそうでもない。テーブルの上の皿やホットプレートが綺麗に片付いていたからだ。

 瞼を閉じて美柑の生体反応を調べると外に反応があった。玄関の鼻と目の先だ。

「なにやってんだ美柑?」

「あ、君! もう終わったの?」

 そこでは玄関の明かりで皿を洗っている美柑がいた。

「それ洗ってたのか、俺がやるのに」

「いいよいいよ、これぐらいなんてことないし、あ、でもこのホットプレートは重いから手伝ってくれる?」

「おう任せろ」

 美柑が茶碗や小皿などの小さな洗い物を済ませると、千歳がホットプレートの鉄板を水に当てながら浮かせる。しかも片手だ。

 鉄板に美柑がスポンジを押してて洗剤と共に流していく。

 最新式で新品なのか汚れはあっという間に落ちる。水を止めて綺麗になった鉄板を千歳が水切りし、美柑が布巾で拭いていく。

「なんかさ、楽しいね」

「楽しい?」

「うん、友達と食べて、後片付けして、このあとはお風呂だよ、協力っていうのかな? そんな感じ」

 美柑は誰かと一緒に何かを成し遂げるのが好きみたいだ。

「俺も楽しいかな、なんていうんだ……人が見てるから俺もしっかり? いや違うかな、絆みたいな……」

「一人よりみんな?」

「おおーそういうの、みんなと遊びながら、楽しみながら過ごす感じだ」

 いつでもそこにいて、おしゃべりが出来て、生活を協力して、そうやって暮らしていけたらすごい楽しい。

「うん、わたしもそうかな……もしかしたらホームシックなのかも」

「……ホームシック」

 その意味を考えると意味が浮かんでくる。

「家族が恋しいのか?」

「うん……そんな感じ……さっ!早く片付けてお風呂入らないとっ!」

 美柑は話を切るように小皿を家へ運んでいく。それに習い千歳もホットプレートをケースに片付けるのだ。

 家族のことは聞き過ぎたかもしれない。

 この学園は夢を探すために入学してくる人が多い。そして卒業まで、夢を見つけて叶えるまでこの学園にとどまらなければいけない。

 美柑もそのうちの一人だというなら、親に反対されただろう。

 実際、その方針が原因で今年の入学生は例年の半分だと言う。

 この学園で手に入れられるものはなんでも無料という制度に連れられて入学してくる生徒がほとんどで、本気で夢を見つけて叶えたい生徒はごくわずかだという。

 千歳と美柑、凛を入れた今年の入学生も三〇人だがその内、何人が夢目当てなのか分からない。千歳の見た感じでは半数が学園を楽しむために来ているようだった。

「暇なら君はこれを部屋にかけておいてね」

「ん? 分かった」

 芳香スプレーを渡される。焼肉の匂いを消したいのだろう。

 美柑はお風呂の準備をするためにタンスの下から三番目を開ける。そこには衣類が詰まっていていろんな色が見える。

 視界にその開けたタンスの中の物の名前が表示されて、それがシャツやパジャマだということが分かる。

「俺は後ろ向いてるからな」

 だから後ろを向いて早めにそう言っておく。

「え? あ……ごめんね、早く行くから」

「いや急がなくていいよ、気にしないからさ」

「う、うん……」

 瞼を閉じると体の何かが生体反応だの、音波探知機だのを始めて美柑の動きを知らせるので目は開けたままだ。

 てってって、と急いで洗面場に向かう美柑の足音。部屋の中にはもう何も危険はない。

 千歳は美柑に言われたとおり芳香スプレーを吹いたり、買ってきたシャツ、生活用品を開封した。

 テレビがあるので点けると学園の生徒が映っている放送番組が流れる。制服とコマーシャルの提供で分かる。

 どうやら、千歳が知っているチャンネルは無いみたいだ。

 案外面白いけど頭に入ってこない。今日という一日を考えていた。

 ずっと続いた暗闇に光が差し込んで、千歳の止まった時間が動き出した。

 でも、昔のことが思い出せない千歳の前に二人の女の子がいて助かった。二人がいなかったらどうなっていただろう?

 千歳には想像がつかない。

「そういえば凛は一人で大丈夫なのか?」

 ふと疑問が浮かんだ。

 凛はずっと千歳が使用人として身の回りの世話をしていたのなら部屋の家事はできるのだろうか?

「そうか……そういえばもうすぐ卒業するんだったな」

 凛はもうすぐ卒業するのだ。それがいつなのかは分からないが今月中ではあるだろう。もしかしたら来週かも知れない。

 短い間だけ部屋にいるのなら家事は最低限しなくてもいい。その後は千歳が掃除して住むのだから。

「君ー! ちょっと君ー!」

 君、と千歳のことを呼んでいる声は美柑の声だ。洗面所の扉を開けて大声を出している。

「どうしたんだー?」

「タオル忘れちゃったの! ホントに迷惑なんだけどここに持って来れるー?」

 準備に急いでいたからだろう。千歳は急がなくてもいいと言ったのだがこうなってしまった。

「タオル……どこにしまってるんだー?」

「タンスの下から二番目!」

 ――二番目ね。

 タンスの下から二番目を開けるとそこにはオレンジのラインが入った白の下着の品々。

『女性用下着、ブラジャー、パンツ、キャミソール、靴下、飴玉、髪の毛』

 ――タオルがない。どこにもタオルがない。どこにもタオルがないよーー!

「やっぱり一番下だったかもー!」

「一番下だったーー!」

 ついまじまじと下着を見てしまった。本気でタオルを探していた。なぜか飴玉があった。

 タンスから取り出したタオルを掴んで洗面所前に向かう。

 おそらく洗面所前に置けば美柑が手を伸ばしてとっていくだろう。

「入ってそこに置いといてー! 絶対入ってきちゃだめだよー!」

 入っていいのか悪いのか分からない。

 つまり洗面所に入ってその床に置いて、浴室には入っては駄目ということなのだろう。

 千歳が洗面所をそっと開けるとそこには誰もいなかった。いや、美柑のシャツやまた下着があった。

 そして、浴場のすぐ前に美柑が立っているのか肌色とオレンジ色がぼやけて見える。

「ここに置いとくぞ」

「うんありがと!」

 その色が揺れて、千歳は洗面所の扉を閉めた。

 いきなりの難事件だったが事なきを得たようだ。千歳は明日は我が身と次のお風呂の準備をする。

「ごめんねー! 今度からは気をつけるからさ」

「いいよこれくらい」

 準備してると美柑がリビングにやってくる。オレンジの甘い匂いがして、こうやって部屋に匂いがこもることを知る。

 美柑はタンスの二番目を引くと「うぅ……」と声を漏らしていた。

 タンスの中身を千歳に見られたからだろう。でも、美柑がそのリアクションを見るとよほど見られたくないものだったらしい。悪いことをした気分になる。

「……そういえば飴玉が転がってたぞ」

「飴玉?」

 不意にそんな美柑を励すつもりで口から言葉が出たのだがそれを知っているのもおかしいだろう。

 ただ、そんなことで嫌われたくはなかったのだ。

「いや、やっぱ何でもない」

「んー?」

 急いで浴室に向かう。洗面所を開けるとそこには洗濯機があってその上の籠。美柑の脱いだ服とまたまた下着。

「…………」

 なるほど、どうやら美柑は細かいことに目が回らないらしい。

 千歳はリビングに戻ると美柑が制服を広げて芳香スプレーをかけていた。千歳の分もしてくれるみたいだ。

「なー美柑、服ってどうするんだ?」

「服? なにか買い忘れてた?」

「いや、洗うとき分けるのかなって思ってさ」

「えーと……え?」

 そういえばなにも考えてなかったーとでも言っている顔をする。

「俺は汗をかかないみたいだから別に洗わなくてもいんだが焼肉の匂いがついてるからやっぱり洗ったほうがいいよな」

「う、うん当たり前だよっ」

「それじゃあ、時間がかかるけど二つに分けて洗うか……」

 そうしないと、美柑が生理的に受け付けないだろう。

「え? い、いいよ一緒で、だって時間もったいないし」

「いいのか?」

「それに汗かいてないんでしょ? なら別に……気にしないもん」

 正確には汗をかかないだが、美柑がいいなら別にいいか。

「それじゃあ今から回すからな」

「え? 私がやるよっ!」

 そういえば、籠の中には美柑の下着があったな。触られたくないのだろう。

「わかった。それじゃあ俺が浴室に入ったら回してくれ」

「うん、あ! でも見ちゃダメだよっ!」

「わかってるわかってる」

 ――もう見たけど。

 洗面所の前で美柑がスタートを待ち構え、千歳は浴室の前で服を脱ぐ。それをどこに置けばいいのか分からなかったが床に置いたほうがいいだろう。一緒に籠の中に入れるとまた一悶着ありそうだし。

「もういーい!?」

「……どうぞーー」

 美柑の声がして急いで浴室に入って言葉を返す。美柑が入ってきたのがぼやけて見える。

「君って床に服を落としたまま脱ぐんだねーー子供みたい」

「……そうだね」

 それは千歳が計算してそこに置いたのだが美柑にはそこまで考えが及ばなかったらしい。

 洗濯機の回る音がする。

 シャワーを浴びて体を洗う。千歳の肌は人間の皮膚をまとっているが情報によると普通の人間より脆いらしい。

 本物の人間の皮膚を使っていて、重要なのはその皮膚の下のナノマシンだ。

 ナノマシンは破けたり壊れた皮膚をすぐに再生してくれる。

 そして、ナノマシンを動かす度に千歳のエネルギーが使われるので、あまり強い力で洗わないように気をつける。

 髪も同様だ。髪の毛は剛毛らしいが火には弱いらしい。

「そもそも体を洗うことはないのか……」

 千歳の体は本来、洗わなくても全然大丈夫なのだ。汗もかかないし、一定時間ごとにナノマシンが皮膚を調べて悪いところや汚いところを消して再生してくれる。

 でも、千歳は人間なのだ。例えこれが無意味な行動だとしてもやめることはできなかった。

 体を洗って湯船に飛び込む。

「極楽極楽って言えればいんだけどな」

 温度は三八度。水に浸水状態。微細なナトリウムを検知。

 そんなどうでもいいことが頭に流れてくる。湯船の気持ちよさなんて全然分かりやしなかった。

「機械なんだな……俺って……」

 手で水をすくう。水が指を伝う温もりや流れる感じが分からない。

 手が三九度で指先が三八度で、手に浸水している水が六〇パーセントで、ナトリウムを検知。

 そんな記号じみた文字しか伝わらない。

 心が悲しくなる。でも、心はある。心が教えてくれる。

「これはお風呂だ……それは間違いない」

 一体何年ぶりだろう。それはわからないけど、確かなことは昔に入ったお風呂はもっと気持ちよかった。

 それを感じたいと思ってみるが無理だった。

 泣こうとしても涙は出なかった。笑えるのに。


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