初めてのズル休み
僕はこの四月から中学校へ通うようになった。今は六月。今日は平日だが、僕は家の近くにある、河川敷の土手に座り込んでいた。学校はどうしたかって? ズル休みしたのだ。
僕は人づきあいが得意じゃない。中学校に入ってふた月、友だちはあまりできない。
僕が無口なせいか。
だが、同じ小学校から上がったシュンだけは、僕の友だちでいてくれた。シュンは昼休み、弁当を食べ終わると、「ユウスケ、一緒にサッカーしようぜ」と誘ってくる。
僕はそのたびにかぶりを振る。「ごめんな。一人にしてくれないか」
「そうか、じゃまた今度な」シュンはさっぱりとした性格だ。僕のぶしつけな態度にも気を悪くしない。ありがたいことだ。
土手に座り込んでいると、保育園の園児たちが保育士さんに連れられて散歩をしているのが見えた。園児たちは二人ずつ手をつないでいる。
見ているだけでほほえましくなる。ああやって無邪気に過ごした時間もあったんだな、と僕は思う。
今日は学校へ行くつもりで、制服を着て家を出たが、途中で気が変わったのだ。
ズル休みする勇気はあるんだな、と自分で自分に感心した。
カバンからハーモニカを取り出す。二段式で半音がでる、本格的なものだ。
でたらめに吹いていると、向こうから自転車でやってきた男性が、不審そうな顔をする。
平日の午前中なのに、詰襟を来た中学生が一人で河川敷にいるのだ。だれだって不思議に思うだろう。
僕は男性の視線に気づいたが、あえてそちらを向こうとはせず、ハーモニカを吹き続けた。
「ハーモニカだけが僕の友だちさ、なんてな」自分にツッコミをいれた。
そしてぼんやりと小学校時代のことを思いだしていた。
小学生の頃の楽器といえばリコーダーだ。細長い布の袋に入れて、ランドセルに差して登校したものだった。
特別な朝礼の時は、高学年の児童がリコーダーを吹き、低学年の児童が音楽に合わせて行進する、なんてこともあった。
小学校をでてすぐの通学路には、横断歩道がある。
そういえばお母さんが話してくれた。昔、お母さんが子どもの頃は「緑のおばさん」っていう人がいて、横断歩道で小学生たちが道を渡るとき、黄色い旗をかかげてくれたそうだ。
市の臨時職員なのか、ボランティアなのか。
いまでも黄色い旗はあったが、それを掲げる人はだれもいない。あの保育園児たちも、保育士さんに手を引かれながら、道路を渡るのだろう。
僕は五月に入って、なんとなく気分がすぐれない日が続いた。お母さんにそのことを話すと、お母さんは「ゴガツビョウ」と言った。四月に中学に入ったときの緊張感から、その反動が起こり、やる気がでなくなってしまうことをいうそうだ。
お母さんは担任の先生に電話をして、僕の状態を説明した。担任の先生は、じゃあ今度、三者面談をしましょう、と提案した。
そして五月の下旬。お母さんは勤めを休み、放課後、担任の先生と僕との三者面談に臨んだ。
「気分はどうだい?」体育の授業を受け持つ担任の先生が口火を切った。
「はい、今まではちょっと気分がすぐれなかったのですが、もうだいじょうぶだと思います」と僕は応えた。
僕は体育が苦手だ。担任の先生の言うことなど、はなから相手にしていない。それをさとられまいと必死の微笑をつくる。
心の中では「ほんとうはいやなんです」と口ごもる自分がいた。
お母さんも「いまのところなんとか学校に行けてるようですし、時間が解決してくれると思うのですが」と言ってくれた。
「それではもう少し様子を見てみましょう」と担任の先生がお母さんに言い、僕には「具合が悪くなりそうだったら早めに相談してくれよな」と言う。
「はい、わかりました」と僕は素直に応える。
その日、家に帰ると、お母さんが僕に言った。
「ほんとうにだいじょうぶなの」
心配してくれるのはありがたいが、学校は休んでいないのだから、あまりくどくどと言わないでほしい。
「うん、だいじょうぶ」僕は笑顔を返す。
僕は五月、六月と、気分がすぐれないまま、学校にはかろうじて行っていた。ズル休みしたのは今日が初めてだ。
今頃みんなおとなしく勉強しているんだろうな、と思う。
僕の宙ぶらりんな心を映すかのように、白い雲が風に流されていった。
ハーモニカをしまって、これから一日どうしよう、と考えた。陽気はいいので、寒いということはない。しかし、これといって行先も思いつかない。
そういえば学校には休むことを連絡していなかった。今頃、家の留守電には学校からの問い合わせのメッセージが入っているかもしれない。ウチは共働き家族なので、昼間は家にはだれもいない。
今からでも学校に行くか、と思った。
学校に着いたのは四時間目が始まる前だった。僕は休み時間の間に、職員室へ行って担任の先生に言葉をかけた。
「すみません、朝気分が悪かったので連絡もせずに休んでしまいました」
「心配したぞ。もうだいじょうぶなのか」
「はい、ごめんなさい」
「いまなら四時間目に間に合う。教室に急ぎなさい」
担任の先生は僕の行動を咎めずにあっさり解放してくれた。
なにくわぬ顔をして教室に入った。何人かの生徒たちがこっちをじろじろ見ている。
シュンが話しかけてくる。「ユウスケ、どうしたんだ」
「いや、ちょっとね。気分が悪くて」
「もう担任の先生には言ったのか」
「うん。いまさっき職員室へ行ってきた」
「で、具合はどうなんだ」
「外の風に吹かれたら、気分がよくなったよ」そう言って僕は笑った。
家に帰って、お母さんが帰ってくる前に留守電のメッセージを消去した。
三題噺「ハーモニカ」「黄色」「口ごもる」です。
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