ランプと階段。影。
ピンクの空を背後に、それから遠ざかる方向。すなわち、廊下の先へ。窓のある突き当たりをスタート地点とするならば、そこからゴールを目指すように、一寸先は闇の道を私は歩きだす事にした。何処かへ向かって。
記憶がどうのこうのという困惑・混乱・不安、すなわち無人島に流れ着いた漫画アニメの主人公が抱くようなそれも、私の背後に降り注いでいるピンク色彩の現実にかかれば、意図も容易く砕け散り、私の心境はというと「とにかく先へ。生きていけるか、否か。」という、良く言えばポジティヴ。悪く言えば精神崩壊、どうにでもなれ、let・it・beの境地にまで到達しつつあったのである。
しかし、恐怖の感情もしっかりと芽生えていた。
例えば、想像してほしい。私達が暮らしている(いた)肌色人間ワールドで、全身がピンク色のピンク人間が商店街に突如出現すれば、恐らく全ての肌色人間は畏怖し、戦慄するであろう。投石、罵倒、通報を成す者もいると思う。
パン屋やサカナ屋も、ピンク人間には商品を販売しないかもしれないし、そもそも雇用してくれる企業なぞ在るわけもなく「我社の社風には、ピンク色は合いませんので。」などと、差別され、淘汰され、金銭を確保する手段すら無く、ルンペンになろうにも先輩ルンペンから気持ち悪がられ、居住しているハウステリトリーは常に近所のガキに侵害される可能性が非常に高く、と、なると人里離れた山などでイノシシと暮らすか、道端で朽ち果てて、医学者に肌の細胞・色素を分析・解析され「ピンク人間の肌」として実験室のカプセルに保存されピンク人間資料室にて、研究熱心な学者の見世物にされ「すごい…すごいな…」などと、アンドロメダ星雲を偶然観測した宇宙好きの小学生のような眼差しで、尊敬と侮蔑の狭間のような感情を一生の後にまで、ホルマリンの防腐効果で、半・未来永劫、抱かれ続けてしまうのが関の山なのである。
つまり、何が言いたいか。以上は肌色人間ワールドの話で、肌色人間がスタンダードになっているからの律なのである。
しかし、ここはピンク人間ワールドなのかもしれない。だから、スタンダードも勿論、ピンク側。肌色は変扱い。迫害、差別、解剖、されるのは、肌色の私なのかもしれないという事だ。「生きていけない」という事を、この時点で私は最も恐れていた。
それと、同時に、もし、肌色ワールドに帰れたらピンク人間には優しくしようとも、思った。
暗い廊下は予想以上に長く、突き当たり、左手に下りの階段が廊下の果て、行き止まりに到達する頃には唯一のアイテム、食料である「おいしい緑茶」を飲み干してしまっていた。特にどうでもいいのだけれど。
私は突き当たりの右手角にある、机のような台においしい緑茶の空き缶を置かせてもらった。空き缶の隣には、アンティカルで小振りなランプが、平日の二度寝を許された時のような、幸せ色の柔らかい光を放っており、空き缶と私の影をゆらゆらさせてくれた。
空き缶を置いてしまった事は、他人の家だったらまずいが、私の家の可能性も、0ではないから、構わないと思った。
それに、仮に他人の家だったとしても、ここに辿り着くまで部屋は無かったし、誰かに出会ったらすぐに挨拶を済まし、引き返せば、空き缶放置という所業を、自らの手で隠滅できたからだ。
その後、落ち着いて話をしようと思った。
私は根拠の無い、喜びと興奮に近い感覚をなぜか感じながら、階段を降りていく。
「階段」という昇降するための存在が、なんだか。転校初日に学校まで送ってくれる母親の車、に近い印象を私に与えていた。希望、可能性、恐怖、不安、新鮮、変化、未来。そんなやつらが混じり合って、私の体に侵入。蠢く。蠢く。やや快感。
冒険でもしている気分。
今、階段の上から二段目。先は良く見えない。
それにしても、素敵なランプだった。と、思う。また会いたい。