第1話「接しづらい部下達……」
「あんた、何だかんだ言って上手くやってるみたいじゃない」
「そうか?」
同僚の言葉にマイティは疑問を抱きながら、カレーライスを口に運んだ。
ここはPNPの官庁ビル内にある食堂。昼休みに入ったため、多くの隊員が利用しているので今はかなり混雑している。
二人はカウンター席に座り、昼食を取っていた。グレイスはリゾット、マイティはカレーライスである。
「部下に適切な指示を出せる――。私たち香車や桂馬みたいな、現場の指揮を取る人間にとっては重要なことよ。指揮官の基本ね。ま、正直あんたにそれが出来るとは思わなかったわ」
感心するグレイスの目の前で、マイティはつまらなそうな表情を浮かべながら、皿の隅に居座る“らっきょう”をスプーンの先でつついていた。
なるべくカレーの中に入ってこないようにするために、隅へ隅へとらっきょう達を追いやる。が、力加減を間違えたためか、その内の一個が皿からポロリとこぼれた。
マイティは溜め息をこぼす。
「……端末越しだからな」
「端末越し?」
「そうだ」
マイティは面倒臭そうにこぼれたらっきょうをつまみ上げ、自分の皿に戻した。
「端末越しなら相手の顔を見ないで済むし、声が上ずったりすることもない。落ち着いて話せる。ただ――」
「ただ?」
ちょうど食べ終わったのか、グレイスはスプーンを皿に置いて、マイティの次の言葉を待つ。
数秒の間を置いて、マイティはゆっくりと呟いた。
「面と向かって話すとなると、どうもな……」
またも溜め息をするマイティ。皿には、らっきょうしか残っていない。
「溜め息ばかりしてると、幸せ逃げるわよ」
軽口を叩く同僚に「ほっとけ」とマイティは言う。
「ま、今はそんな感じでいいんじゃない? 特に厄介な事件もなければ、MALUSの方も全然動きがないままだし」
「MALUSか……」
反政府組織MALUS――「見えざる真実を啓示し、神の支配から人民を解放する」などというスローガンを掲げる、危険な集団だ。「林檎に巻き付いている蛇」という、なんとも悪趣味極まりない紋章のため、狂信的な宗教団体だとも言われている。旧約聖書においてイブが楽園を追放される原因となった、知恵の実であるリンゴと、彼女をそそのかした蛇をイメージしているのでは、と考える専門家もいるくらいだ。
「あれから五年が経つけど、何の音沙汰もないわね」
「自分達のやっていることがアホ臭くなって、解散したんじゃないのか? 政府に逆らうなんて、無謀なだけで特にメリットも無いし」
「あるのは、よくわからない狂った理念だけ、か。ほんと、得体が知れないわ」 マイティはスプーンを、らっきょうだけ取り残された皿の上に置いた。
「今、活動しているかどうかさえわからない連中のこと考えてたってしょうがないさ。俺はそんなことより、部下達と上手くやっていけるのかの方が心配だ」
「切実な問題ね」
「まあ、いいさ。ところで、お前の方はどうなんだ? 上手くいっているのか?」
そうね、とグレイスは考え込む仕草をする。
「まー、ぼちぼち、ってところかしら」
アハハ、と笑ってごまかすグレイス。それにつられて、マイティも「何だよ、それ」と笑った。
「一人、変なやつがいるけどね……」
マイティは眉をひそめる。
「ん? 何か言ったか?」
「別に」
それより、とグレイスはちらりと視線を上へ――マイティの頭部へと向ける。
「言っても無駄だとわかってはいるけど……、せめて食事中はゴーグル外したら?」
「外してるぞ」
「そうじゃなくて――」
グレイスはマイティの頭につけられたゴーグルへ手を伸ばす。瞬間、マイティが反射的に身体を反らし、グレイスの指先が彼の鼻先を掠めた。
「ちょっと、動かないでよ」
「いや、動く他無いだろ」
マイティは左手でゴーグルを押さえた。
「何度も言うが、こいつは俺の魂みたいなもんだ。ランドルフさんのベレー帽と一緒だ。別に規約に違反していないから、常備してたって問題は無いだろ?」 「規約じゃなくて、マナーの問題よ! いいから外しなさい!」
「断る!」
再度、伸びてきた手をマイティは右手で掴む。隣同士で行われる、必死の攻防。とはいえ、数秒も経たぬうちに攻防は終了した。
グレイスはフッと笑みを浮かべる。
「やるわね」
「あのなあ……」
やれやれとマイティは呆れ顔をして、手を離す。グレイスは宙で手を軽く振った。
「惜しいなあ。あともう少しだったのに……」
次こそは、と意気込む彼女にマイティは何も言う気になれなかった。
雲一つ無い快晴の空の下、いくつもの高層ビルが群を成してそびえ立っている。どの建物も汚れ一つなく清潔感さえ感じられるのだが、人の気配がまるで感じられない。
きっちりと整備されているにもかかわらず、車一台も走らない、無人の道路。風の音さえ聞こえないこの静かな空間に、キールは一人立っていた。栗色のショートカットに紺のジャケット、黒いズボン。人目見ただけでは、男性と見間違えられてもおかしくはない格好だ。
うっとうしく感じたのか、キールは顔にかかっている髪をふわりとかき分ける。現れた端整な顔立ちからは、無表情さが相まってか、凛とした雰囲気が発せられている。
辺りを見渡し、キールはジャケットへ右手を忍ばせる。この時、彼女の背には将棋の駒のシルエットが浮かび上がっていた。
「ターン・」
突然、前方の物陰から放たれた光線。キールは横へと跳んで、ギリギリこれをかわす。と、同時にジャケットから素早く手帳を取り出した。
「アップ」
一瞬の閃光。
着地した時には既に、「歩兵」と刻まれた強化ギプスを装着した武装棋士へと姿を変えていた。
直後、物陰から全身白タイツの人が四人現れる。フェンシング選手のような装いをした彼ら四人の内、二人は光線銃を携え、もう二人は警棒のようなものを振り上げ、彼女へ向かっていった。
どこからともなく現れたボウガンをキールは右手に握る。“光線ボウ”と呼ばれる専用武器を構えると、彼女は走ってくる白タイツに狙いを定めた。
一発、二発、三発、四発――轟く銃声。
無駄の無い、正確な射撃技術だ。赤橙色の光矢はまっすぐと覆面の中心へ、寸分の狂いもなく突き刺さり、白タイツ達を行動不能に陥らせる。彼らはその場に倒れた。
武装棋士となってから、わずか数秒。キールは体勢を整えると、西部劇のガンマンの如く光線ボウをくるくると回転させた。
「これで――」
光線ボウを回転させつつ、
「ラスト」
瞬時に振り返り、引き金を引いた。矢は彼女の後方で光線銃を構えていた白タイツの覆面へ、深々と突き刺さった。
「プログラム終了デス。オ疲レ様デシタ」
どこからか流れる抑揚の無い電子音声。途端、白タイツ達の姿が、道路やビルにゆらりと溶け込んでいった。
VR訓練室の外にあるトレーニングルーム。辺りにはトレーニング器具が等間隔に設置されている、この広間の一角にある休憩エリアのベンチに彼は座っていた。
「命中率百パーセント、か。いつ見てもすごいな」
マイティは手元のタブレットを見て、感嘆の声を漏らす。
タブレットに映し出されているのは、訓練室内の様子だ。立体ホログラムの街は一瞬にして、格子状のパネルが敷き詰められた部屋へと姿を変える。夜空に輝く星のように、黒いパネルでは黄色の光点が輝いている。その空間の中心に、彼の部下がいる。映像の中では、彼女は額の汗をハンカチで拭いながら、訓練室を今、出ようとしていた。
開く訓練室の扉。
室内から現れた彼女は、すこし息が上がってはいるものの、疲労の色は見えない。
早速ベンチから立ち上がり、マイティはキールの側へ近づいた。
「よう、残って自主練なんて偉いな」
“馴れ馴れしさ”を意識しながら、労いの言葉をかけてみるマイティ。だが、緊張していたためか声がいくらか上ずってしまった。
「……」
これに対し、キールはゆっくりと顔をマイティに向けただけ。何も言わずに、虚ろな瞳で彼を見てきた。
マイティは、冷や汗が背筋を流れるのを感じた。
今の自分の言葉、何か問題でもあったのだろうか?
てっきり「こんばんは」や「お疲れさまです」といった返事が来るものだと思っていた彼は、予想していなかった彼女の反応に困惑した。何らかのリアクションがあれば、それなりに対処が出来るのだが、こうも無反応では手の打ちようがない。
こんな時どうすればいいんだ、と思った時だった。
「……のど」
「はい?」
「のど、渇きました」
ポツリと呟くキール。
喉が渇いた。で、どうしろと?
取り合えず辺りを見渡してみるマイティ。すると、休憩エリアにある自動販売機が目に入った。
まさか、とキールへ視線を戻すと、じぃっとこちらを直視してくる彼女と目が合った。
“買ってきて下さい”――そう彼女の目が言っているように見えた。
自販機の前に立つとマイティは小銭を入れる。ドリンクのボタンが点灯したのを確認すると、適当にボタンを選んで押した。スポーツ飲料のボタンだった。
ガコン、とペットボトルが取り出し口に現れる。
「こういうの“パシリ”って言うんじゃなかったっけ……」
取り出し口に手を突っ込み、マイティはペットボトルを取り出した。
その目は“買ってこい”と言っているのか?――そう聞き返せばよかったものを、相手の気を損ねてしまっては嫌だなと思ったがために、結局訊かなかった。そんな事をするよりは買ってしまった方が楽――そういう結論に至ったのだ。
さて、ペットボトルを片手にキールの所へ戻るマイティだが、そこで予想もしていなかった光景を目にした。
ラッパ飲み。
赤色の水筒を両手で掲げて、ラッパを吹くようにして水分補給している彼女の姿。それを見た途端、脱力感が一気に身体にやってきた。マイティは買ってきたペットボトルを思わず落としてしまった。その音を聞いてか、彼女は目だけをこちらに向けた。水筒から口を離すと、どこか冷めた表情でキールは彼に言った。
「……ペットボトル、落ちましたよ」
「何やってんだかな……」
ペットボトルを片手に持って、トレーニングルームを後にした彼は、白色灯に照らされた廊下をとぼとぼと歩いていた。こんなことならキールに訊けばよかった、と後悔するマイティ。
そのまま資料室の前を通り掛かろうとしたその時、一人の青年が出てきた。蒼髪で、眼鏡を掛けている。眼鏡の奥から覗く鋭い視線に、マイティは一瞬たじろいだ。
彼の名はオルカ。マイティのもう一人の部下であり、武装棋士だ。
「や、やあ、奇遇だな、オルカ」
無理に笑顔を作るマイティ。
「資料室で何やってたんだ?」
さりげなく訊いてみる。人間関係の基本は会話――そう同僚が言っていた。彼女のアドバイス通り、まずは身近なところからと話題を振ってみたのだが、
「別に。何でも良いだろ」 素っ気ない返事がきた。
会話終了、とするにはまだ早すぎる。マイティは馴れ馴れしく続けた。
「つれないな。教えてくれたっていいじゃないか。上司として、ちょっとは気になる――」
「何を読んでいたかまで、上司に逐一報告しなくちゃいけないのか?」
脅すような、攻撃的な口調。ギロリと睨んできたオルカにマイティは「ひっ」と声を漏らす。彼の馴れ馴れしく見せようとした態度は、一瞬にして瓦解した。
「いや、そういうつもりじゃなくて、ただ、……」
必死になってオロオロと弁明の言葉を探すマイティ。しかし、オルカは聞く耳を持たずといった感じだ。この時点でマイティは既に彼の威圧感に負けていた。
「じゃあな。俺は誰かさんと違って暇じゃないんだ」
マイティの身体を横へ強引に押し退けると、オルカは颯爽とその場を立ち去る。
彼の後ろ姿を呆然と見送りながらマイティは思った。少しは上に対する礼儀というものを知ってほしい、と。しかしそれを言えば、何を言われるかわかったものではない。
結局、口から出たのは溜め息だけだった。