第2話「怖いもの知らずの新人達」後編
ドブネズミ――その言葉が戦闘開始の引き金となった。
黒服達が一斉に動き出した。四人の内、二人が青年へ、もう二人が少女へ向かって行く。
クロードはもう一歩下がって、黒服達の奮闘を部屋の外から見物することにした。
さすがは護衛のプロといったところか。まず青年へ向かっていった黒服達は標的との距離を一気に詰めた。しかし青年は涼しい顔をしたまま、特に動こうとはしない。逃げる素振りすら見せない。
見たところ青年の武器は一挺のショットガンだけ。飛び道具の中でショットガンは接近戦向けの銃だが、目標との距離が一メートルもない超近距離ではそもそも使えない。
懐に潜り込み、装甲に保護されていない頭や上腕部を狙っていけば、勝てる。黒服達は棒を青年の頭目掛けて振り下ろす。が、
「そうくるよな、普通。けどな――」
ショットガンの銃身が横一文字に勢いよく振られ、棒が強引に弾き返される。
渾身の一撃を返された黒服達は反動で大きく仰け反った。
その隙を青年は見逃さない。静から動へ――それまで受身だった青年は初めて踏み込み、二人の内一人の黒服の腕をショットガンで“殴った”。黒服の手がビクンと大きく震え、棒が手からすり抜け、床に落ちた。
腕の骨が折れたのだ。
腕を折られた黒服は唇を震わせながらも、青年を睨み付ける、暇など与えられなかった。
突然、黒服の身体が弾かれたように吹き飛ばされ、ドアの横――クロードが立っているすぐそばの壁に叩き付けられた。
「なっ!」
クロードが息を飲む傍ら、黒服はずるずると床に崩れ落ちた。何が起きたんだとクロードが視線を向けると、青年がちょうど右足を戻すところだった。
「まさか、……蹴り飛ばした、っていうのかよ」
残るもう一人が体勢を戻し、青年と距離を取った。超人的とも言える力を見せつけられては、迂闊に近づくことはできない。かといって距離を取りすぎると、それこそショットガンの餌食になる。近づくのもダメ、遠ざかるのもダメ。有効な手が何一つ無いこの状況下では、黒服は不利だ。
にやにやしながら青年が黒服に近づく。彼が一歩歩くと、黒服が一歩下がる。近付きすぎず、遠ざかりすぎず、一定の距離を保とうとした黒服であったが、
「まだ一人だけ? 仕事が遅いわね」
突如聞こえてきた少女の声に頭を振り向けた刹那、「ギャッ!」と短く悲鳴を上げて、その場に倒れた。
「……手早いな」
「私にはRSがあるから」
笑って答える少女は、工事現場で見るような大型のライトスティックを手にしていた。スティックは蛍光灯のように紫に発光しており、その先端には金属製の端子が付いている。そしてそこからは高圧電流特有の「ブーン」という低い音が微かに聞こえてくる。
「あーあ」と青年がガッカリしたように言った。
「案外あっけないもんだな。ボディーガードだから、もうちょっと骨があると思ったんだけど」
「何言ってるのよ、あんた。その力が強化ギプスのお陰だってこと、ちゃんとわかってる? 悪党の一人や二人、勝って当たり前」
少女は呆れたように言うと、部屋の隅――外のクロードからは死角になって見えないところへ、視線をやる。
あの様子では、二人のボディーガード達はあっさり返り討ちにあったのだろう。
少々舐めすぎた。いや少々なんてものではない。強化ギプスを着けているとはいえ、見た目は青臭い若造。戦闘のプロである自分のボディーガード達ならば、容易に倒せると高を括っていた。だが、実際はどうだ。まだ一分も経っていないのに全滅だ。
「あれが、武装棋士……」
彼らの力の末端を目の当たりにしたクロードは、その場を動けずにいた。頭では「今すぐ逃げるべき」とわかってはいるが、身体が動かない。逃げてもいずれ捕まる――そんな予感が彼の身体を硬直させていた。
「じゃ、この四人は公務執行妨害で逮捕するとして――」
二人はクロードへ顔を向ける。
彼らと目が合った途端、弾かれたようにクロードは部屋から走り出した。
「待ちやがれ!」
待てと言われて素直に待つ奴はいない。後ろから何発か銃声が聞こえてきたが、クロードは脇目も振らずに走る。
しかし向こうは強化ギプスで身体能力を底上げした身。このままではいずれ追い付かれるだろう。
だから、彼は卑劣な手に出た。
「来い!」
「ひっ……! な、何するんですか!?」
彼は受付のホステスを抱き寄せると、
「大人しくしていろ」
懐から光線銃を取り出し、彼女のこめかみに押し当てた。
すぐさまクロードは叫んだ。
「来るな! 来たらこの女の頭を吹き飛ばす!」
たった今駆けつけた二人は足を止めた。クロードは肩で息をしつつも、口元に笑みを浮かべる。
「人質とか卑怯だろ。クロード! 彼女を放せ!」
卑怯で結構。
ショットガンを構える青年を、クロードは「はっ」と笑い飛ばすと、こう要求した。
「お前ら。銃を、武器を捨てろ」
「はあ?」
眉を潜める青年。
クロードはもう一度言う。
「聞こえなかったのか? 武器を捨てろと言ったんだ。捨てろ! とにかく捨てろ! そうしないと、このかわいい娘に風穴を開けちまうぞ」
クロードはぐりぐりと銃口をホステスのこめかみに押しつける。彼女は恐怖のあまり顔面蒼白で、歯をカチカチと鳴らした。
「この外道が……」
少女は吐き捨てるように言うと、光る警棒を静かに床に置いた。
「グレイス!」
「仕方ないでしょ。民間人に危害を加えるわけにはいかないわ」
諦めたように呟く彼女に、青年は黙る。それでもショットガンを構えたままの彼にクロードは催促する。
「捨てろ」
「……クソッ!」
悔しそうな表情を浮かべて、青年はショットガンを床に乱暴に叩きつけた。
「よし、いい子だ。じゃあ、そのまんまじっとしてろよ。いいか、絶対に動くな」
ホステスを盾にしながら、クロードは少しずつ足を進める。彼はクラブ出口にあるエレベーターへと向かおうとしていた。
二人の武装棋士はクロードを睨んでいるが、その場を動くことが出来ない。人質を取られてはどうしようもなかった。
エレベーター前に到着すると、クロードは肘で下矢印のパネルを押す。パネルが点灯し、一階からエレベーターが上がっていく。その間、彼は銃でホステスを盾にし、エレベーターの到着を待つ。
チン、という音と共にエレベーターが到着。扉が開いた。
エレベーターを背にしたまま、クロードは一旦ホステスを解放する。
「まだ動くんじゃねえぞ」
「はい……」
しかし怯える彼女の背へはしっかりと銃口を向けている。そのためホステスはエレベーターの前で直立不動の態勢でいた。
彼女に銃口を向けながら、そして武装棋士達の挙動に注意しながら、一歩また一歩とエレベーターの中に後ろ向きに入ってゆく。中に入ると、終始こちらを睨み付けている武装棋士達から目を離さずに、空いた左手でパネルを操作した。
扉が、閉まった。
「勝った……」
一時的に閉鎖された空間で、クロードはホッと一息ついた。このビルにエレベーターは一台だけ。七階から一階まで降りるのにかかる時間は階段に比べ圧倒的に短い。例え相手が強化ギプスを着けていようと、エレベーターには追い付けないだろう。
問題はその後だ。今からお抱え運転士に連絡したところで間に合わないだろう。ここに到着するまでに奴等に捕まってしまう。ひとまず人通りの多い場所に出て、それからタクシーを捕まえるのが最善策だろう。
扉が開いてからが勝負だ。
光線銃をしまい、クロードは深呼吸する。幸いエレベーターは一度も止まることなく、すんなりと一階に着いた。
走れ!
ドアが開いたと同時に、彼はエレベーターから飛び出した。
しめた。連中はまだ来ていない。
そのまま無人の一階ロビーを抜け、外へ。
外へ出た途端、湿度の高い冷たい空気が顔に吹きつけてきた。つい先程まで小降りだった雨は、今ではすっかり止んでいる。
「ここから最も近い大通りは……」
クロードが左から右へ目を動かす。すると、おあつらえに一台のタクシーが向かいに停めてあるのが見えた。
これを使わない手はない。
早速クロードがタクシーへ駆け寄る。窓が全開の運転席からはベレー帽を被った男が煙草を吸っているのが見えた。随分とガラの悪い運転士だと思ったクロードだが、今は贅沢を言ってる場合ではない。
彼はタクシーに乗り込むと運転士に言う。
「とにかく発進してくれ。場所は――、とりあえず駅まで頼」
クロードが行き先を言おうとした途端、運転士がいきなり振り向き、フーッと煙を彼に向かって吐き出した。運転士の予期せぬ行動に驚き、クロードは咳き込む。
「お前、それが客に対する態度か!?」
咳き込みながらクロードは抗議をする。運転士は悪びれずに言う。
「悪いですね、お客さん。当タクシーの行き先は初めから決まっているんですよ。
留置所だけとね」
運転士は窓から煙草を投げ捨てる。クロードは自分の耳を疑う。
「留置所、だと?」
無意識にクロードは懐の光線銃へ手を伸ばそうとする。しかし、
「おっと、動くなよ」
運転席からリボルバー拳銃が突き出た。
「お前も、……お前もPNPの回し者か!」
「クロードさん、あなたも馬鹿だな。余計なことをせず、大人しく同行すればよかったものを」
運転士、いや、ベレー帽の男は呆れたように溜め息をついた。
「もうじきここへ自警団|(自治警察団体――地区ごとに結成された警察組織。PNPと違い、現地の自治体が運営している)が到着する。先日の無差別テロの件、PNPだけで片付けるわけにはいかないからな。まずは身柄を自警団の方へ預けるよ。たっぷりと地元の有権者達から糾弾されるといい。その後、迎えに来てやる」
「そん、な……」
クロードは全身から力が吸い取られていくような錯覚を覚えた。頼りになるボディーガードはもういない。
前々から覚悟はしていたが、まさか現実になるとは……。
絶望と喪失感にうちひしがれ、彼は座席の背もたれに力無く寄りかかった。
もう諦める他無い。諦めて留置所へ行くしか……と、天井を見上げたところで、ふと彼は気付いた。何かが自分の中から沸々と昇ってくることに。
何かをしたところで全くの無駄だということはわかっている。でも、このままやられっぱなしで終わるのは彼のプライドが許さなかった。何かしら一矢報わねば気が済まない。
最後の悪足掻きか、それとも負け犬の遠吠えか。この期に及んで、クロードは意地を張った。
「……MALUS」
「ん?」
「MALUSを、甘く見ない方がいい。奴等は本気だ。本気でこの国を変えようとしている。お前達、国家の駒を相手に――」
「わかったわかった。続きは取り調べで聞いてやるから。そんなことより」
クロードの話を強引に中断させると、男は手錠を取り出した。
「クロード・スミス。国家反逆の容疑、あと……その他もろもろであなたを逮捕する」
カシャン、とクロードの両手首に手錠がはめられた。公式に元老議員から犯罪者へ成り下がった瞬間だった。
「……これでブタ箱行き、か」
自嘲の笑みを浮かべるクロード。
サイレンの音が遠くから次第に近付いてきたが、もうどうでもよかった。