第6話「疑惑」
その狭いとも広いとも言えない部屋にあるのは立派な机一台と、一台のディスプレイだけだ。それ以外には特に何も無い。窓から射し込んでくる夕陽の光が、そんな殺風景な室内をほんのりと朱色に染めていた。
その中で彼女は欠伸一つ漏らさずに、目の前のディスプレイに意識を集中させていた。ただ黙々と手元のコンソールを操作しながら、ディスプレイ上の書類ファイルを読んでいく。
誰か訪ねに来たのだろうか。部屋の扉の横にあるランプが紅く光る。
女は「ふう」と息を吐いて、白髪混じりの黒髪を掻き上げると、椅子の背もたれに体重をかけた。
「入りなさい」
訪問者が誰だかわかっているからか、女は扉に目もくれなかった。
ランプが青へと変わる。
「失礼します」
声と同時に現れたのは、ゴーグルを頭に着けた男。歩兵時代の上司の影響を強く受けたためか、彼女の直属の部下でこんな格好をしているのは彼だけだ。
男はおずおずと女の机の前に歩いてくる。彼の足音が途切れたところで、女はようやくディスプレイから目線を上げた。
「来ましたね。桂馬・マイティ」
部屋の片隅から聞こえてくる、空調とディスプレイの駆動音。急に辺りの温度が下がったように感じて、マイティは思わず身震いした。単に空調が効きすぎているだけと思いたいところだが、そうでないことは自分がよくわかっている。もちろん、部屋の薄暗さや殺風景な内装も関係ない。目の前に座っている上司が原因であることに間違いないだろう。
ふんぞりかえって座っている彼女から発せられる威圧的な雰囲気。オルカの攻撃的なものとは違って、こちらの考えていることまで全てを見透かすような嫌なものだ。
彼女の本名はメイヴィス・クルーエル。「桂馬」や「香車」といった現場の指揮官達を統轄する「銀将」のランクを有する隊員の一人だ。その証として、しわ一つ無い紺の制服の襟では、銀のラインが僅かに輝きを放っている。
マイティにとって彼女は以前の上司、ランドルフのように気楽に付き合えるような人間ではない。桂馬の身では馴れ馴れしく接するのは立場上難しいというのもあるが、それ以前に価値観の違いやら性格が苦手やらで、彼女とはどうにもウマが合わないのだ。
「サー・メイヴィス。一体、何の御用でしょうか?」
呼び出しておきながら何も話す様子を見せない上司に、マイティは柔らかな口調で訊いた。
実年齢より老けて見える彼女は一度ディスプレイに目を向け、すぐにマイティに視線を戻す。
「部下とは良好な関係を上手く築けていますか?」
上司の質問にマイティは返事に困った。
正義感は強いが、自信過剰で独善的な部下。そして物静かで何を考えているかわからない部下。彼らと良好な関係を築いているとは、お世辞にも言えない……。
「まあ、それなりに……、築いています」
取り合えず曖昧に返答してみる。
メイヴィスは「そうですか」と言って手元のコンソールを引き続き操作する。
……それだけ? わざわざ呼び出しといて、訊くのはそれだけか?
マイティの中で疑問と期待が膨れ上がる。彼女の真意は何かという疑問と、早く帰れるのではという期待だ。
だが、メイヴィスの次の一言で両方とも解消されることになった。
「あなたの部下――歩兵のオルカは容疑者を殺害しようとしたそうですね」
痛いところを突いてきた。これを確かめるために呼び出しをかけたのだろう。
マイティは顔をひきつらせて、「はい……」と答えた。
「そこを、偶然居合わせた香車・グレイスに止められた。間違いないですね?」
「間違いないです」
横顔に、つうっと流れる汗。彼はポケットから、くしゃくしゃのハンカチを取り出して、顔の汗を拭った。
メイヴィスは瞬き一つせずに続ける。
「武装棋士の身でありながら、容疑者に手をかけようとするとは。あなたは一体、彼にどのような指導を行っているのですか?」
「どのようなと言われましても……。取り合えず普通に」
「普通の指導をすると、容疑者を殺害しようとするのですか。それは大変です。一度、指導方法の見直しについての会議を開いた方がよろしいですね」
「いえ、そうではなくて」
「では、あなたの指導に何か問題があるということですね」
反論を許さないメイヴィス。マイティはハンカチを握り締めるが、やがて観念して、絞り出すようにして言った。
「……自分の、力量不足です」
そうでしょう、とメイヴィスはやや語気を強めて言う。
「至急、何とかしなさい。あなたは彼の上司ですからね。彼の責任はあなたがとるということを忘れないでください」
「了解しました」
項垂れるマイティ。
部下の失敗については上司に責任がある――かつての上司であるランドルフから聞いた言葉だ。歩兵だったあの頃は何とも思わなかったが、桂馬の身となった現在、その言葉の意味をようやく思い知った。
丸まったハンカチを無造作にポケットに突っ込み、マイティは部屋を出ようとする。が、
「では、ここからが本題です」
メイヴィスが強引に呼び止めた。
「本題?」
足を止める。まだ続くのかとマイティは内心で舌打ちをしつつ、メイヴィスの方へ振り返った。
「もしかして昨日の件についてですか?」
「ええ、その通りです。あなた達はOブロックの自警団の援護に向かい、連続殺人犯のウィリアム・トロイ容疑者を逮捕に協力したのですよね?」
「はい。とはいえ実際に容疑者を捕えたのは、偶然その場に居合わせたグレイスですけどね。それが何か?」
「殺されましたよ」
あっさりと言ったメイヴィス。マイティは「へ?」と間の抜けた声を出した。
メイヴィスは手元のディスプレイを動かして、マイティにも見えるようにする。書類ファイルが表示されているディスプレイへマイティは顔を近付けた。
送信元は、Oブロック自警団だ。
「本日未明、容疑者ウィリアム・トロイが獄中で死亡、……死亡?」
「調査隊としてグレイスのチームを既に派遣しました。彼女達からの報告書はまだ届いていませんが――」
メイヴィスはディスプレイを元の場所に戻すと、探るような目付きでマイティを見上げる。
「自警団からの報告ですと、死亡推定時刻は午前三時四十分」
午前三時四十分、自分達が区役所を出た三時間後だ。
「犯人は監視にあたっていた看守を気絶させ、容疑者の独房へ侵入し、そのまま殺害に及んだ模様です。彼がどのようにして区役所内の留置区域へ侵入したのか、容疑者の殺害方法は何か、といったことは現在調査中とのことです。そして――」
待ってください、とマイティが遮る。
「調査中も何も監視カメラの記録を見れば簡単にわかることではないのですか? 留置区域なんだから監視カメラの一つや二つあるはず……」
「それがですね、残念ながら、故障のためうまく機能していなかったようです」
「故障のため、ですか。ツイてませんね。それとも犯人はそれを知っていたからこそ、行動に移したのでしょうか。いや、そもそも本当に故障が原因なんですかね? 何というか、都合が良すぎるというか……」
「さあ。それも含めて現在調査中とのことです。それに――」
ここでメイヴィスは一旦区切る。
「そんなことは、どうだっていいのです」
聞き分けの無い子供に言い聞かせるような口調で、メイヴィスは言った。
マイティは眉を潜める。
「どうだっていい? それはどういう意味でしょうか?」
「そのままの意味です。その類いの情報は、後程届くであろう香車・グレイスからの報告書にまとめられていると思われるので、考えるだけ無駄です」
メイヴィスはそう言うと、ゆっくりと身体を起こした。
「……さて、あなたをここに呼んだ理由について説明しておきましょう」
どうやらオルカの殺人未遂について、ではないらしい。そして単にウィリアム・トロイ容疑者の殺害のことを知らせてくれた、だけでは無いようだ。
「単刀直入に言います。歩兵・オルカに気を付けなさい。“内通者”の可能性があります」
一瞬、我が耳を疑った。
「今、なんと?」
「内通者。歩兵・オルカはその犯人と通じている可能性があります」
オルカが、内通者? あの自分勝手で、けれども正義感だけは強いあいつが?
言うべき言葉が見つからずに硬直するマイティに、メイヴィスは説明を始めた。
「まず今回の被害者であるウィリアム・トロイ容疑者。彼がおかしくなったのは、ここ二、三日のようですね。それまでは普通に区役所で勤務をしていたと聞きます。それが何の前触れもなく、突然……」
「自警団長からはそう聞きました」
「そして彼を監視していた看守の話では、彼はしきりにうわ言を呟いていたそうです。看守はその後、何者かに襲撃されたため、彼が殺される直前まで呟いていたかどうかは不明ですが……。あなたはこれをどう思いますか?」
「どう、って……」
「何故、彼は殺されたのでしょうね? そして留置区域に入ってまでして、犯人が彼を殺した理由とは何でしょうね?」
犯人が容疑者を殺した理由。そんなもの、見当もつかない。
メイヴィスは言う。
「私の考えはこうです。容疑者・ウィリアムは“何か”を見てしまった、もしくは知ってしまった。それも精神に異常をきたしてしまう程の、重大な“何か”を。“何か”が物体なのか、情報なのかはわかりませんが、彼にその“何か”を知られたことは犯人にとって都合が悪かった。そこで、明るみになる前に口封じに彼を殺害した――とは考えられませんか?」
いかにも肯定の返事しか聞かないといった、上司の態度に、マイティは「あの……」と声を出す。
「何でしょうか?」
「今のどこにオルカが出てくるのでしょうか?」
今の話の中には、オルカが怪しいといった根拠がどこにも含まれていない。少なくともマイティはそう感じた。
やれやれと言わんばかりにメイヴィスは「いいですか?」と身を乗り出す。
「ここで、犯人は何故留置区域にわざわざ侵入したのかが問題になってきます」
「それは標的が単に留置区域にいたからでは……。知られてはならない機密か何かを知っていたならば、留置区域でもどこでも殺しに行ったと思いますよ」
「それならば、なぜ自警団に発見されるまで彼を放置していたのでしょう? 機密を知っていたのであれば、自警団が駆けつけるよりも先に殺害すべきでは?」
「そう、ですね」
マイティは頷く。メイヴィスは続ける。
「私が思うに、おそらく犯人は自警団が見つけるよりも早く、被害者に出会ったんですよ。ただ……」
「ただ?」
「当初の予定では見つけ次第、その場で殺害するつもりが思わぬ邪魔が入ってしまった」
待ってください、とマイティは中断する。
「その“思わぬ邪魔”というのは、まさか……」
「香車・グレイスのことです。ばったりと鉢合わせになった二人はそのまま戦闘へ。その後、自警団が到着してしまい、犯人は被害者を殺害することは出来なかった。そこで、犯人が次に取るべき行動として考えられるのが――」
「留置区域への侵入、ですか」
「ええ。方法はそれしか残っていなかったはずです。でなければ、見つかるリスクを犯してまで被害者を殺害しようとはしませんね。――私の推測は以上です」
重い沈黙がマイティの周りに漂う。今の話が本当ならば、犯人はオルカということになってしまう。
……いや、待てよ。
「サー・メイヴィス。オルカは犯人ではありませんよ」
「その根拠は?」
「彼は零時半頃、我々と共に本部へ戻ったので」
「Oブロックは本庁からさほど離れてはいません。往復でも七、八十分程です。それならば再び区役所へ向かうのも難しくはないでしょう」
間髪入れずに飛んでくるメイヴィスの指摘に、マイティは押し黙る。
ふと、上司の老けた顔の口元が歪んでいるのが見えた。マイティはギリッと歯軋りする。彼には、この上司が楽しんでいるように思えた。この仮説が本当ならば、お互いただでは済まないというのに……。




