vol.8 君からの贈り歌。
「なぁ、何?それ」
愛が帰った後、貴は愛が置いて帰ったノートを読んでいた。
聖が指差したのは、その貴が読んでいたノート。
「あー…これは…」
貴が言い掛けた途端、携帯の着信音が言葉を遮った。
「誰だよ?またメール?」
「いや。電話」
「ごめん」と言って、貴は携帯の通話ボタンを押した。
聖は、所在無さ気に貴の部屋の本棚に視線を走らせた。
医学と宇宙、ドイツの哲学史、戦争に見るヒトの欲望…。
難しそうな書名が所狭しと並べられている。
相変わらず訳判んねぇ本ばっか…。
聖は、本棚の隅まで視線をやった。
そこで、右典の視線は一時停止した。
…というより、フリーズした。
“夢物語”。
そう記された本が、他の本に混ざって並べられていた。
聖がそれに手を伸ばした時、貴の電話が終わった。
「聖」
貴の声に、聖は伸ばしていた手を止めた。
今日はよく動きが止められる日だ…。
「外見て」
「外ぉ?何で…」
ぶつぶつ言いながらも、聖は貴の言葉に従い、窓を開けた。
外に立っていたのは――………自分の弟だった。
1分後。
悠は貴の部屋に居た。
「やれやれ。今日は突撃お宅訪問の日なの?」
頭の良い割りに、少し他人とずれている貴が、2人は好きだった。
聖は悠に意味深な顔を向けて笑い、貴は溜息を吐いた。
「…意味判んねぇ。んな事より。貴、これ」
悠は、ポケットから8ツ折にしたルーズリーフを取り出し、貴に渡した。
聖も、渡されたルーズリーフを横から覗き込んだ。
「これ…」
「またか…」
聖は息を呑み、貴は再び溜息を吐いた。
悠にルーズリーフを返しながら、貴は言う。
「で?これがどうかした?まさか、悠も意味が判んないとか言わないよね?」
「『悠も』?」
貴の質問には応えず、悠は疑問に思った事を口にした。
…やれやれ。
いつもの事だけど。
貴は心の中で呟いて、悠の質問に応えた。
「さっき、悠の『姫』が来たんだよ。同じように、夢で見た短歌持ってね」
「は?マナ、貴と知り合い?…あ、でも、家隣か…」
悠は貴の家の前に来た時の事を思い出した。
最近も見た景色だ、と思っていたら、着いた所はマナの家の隣。
不思議な偶然もあるものだ。
「愛とは幼馴染なんだ。今は、突発的に家庭教師やってる」
「「突発的?」」
聖と悠が声を揃えて言った。
…流石双子。
「聖は見たと思うけど。愛は、あぁやって急に来るんだよ。一応、部屋に入る直前にメールくれるけど」
「ふーん…」
「てか、ちょっと待って。アイツ、『アイ』っていうの?」
「「はぁ?」」
今度は、貴と聖が声を揃えた。
この3人、余程気が合うらしい。
「知らなかったの?」
と、貴が呆れ顔で問えば。
「あーあー、姫可哀想ー」
聖が大きな声で悠を詰る。
仲が良いのか悪いのか。
「知らねぇよっ。『アイ』って『愛』?」
「うん、そう。『愛』」
「あ…だから、『マナ』なのか…」
「どういう意味?」
「アイツ…夢の中だったら『マナ』って名前なんだよ。多分『愛』って書くんだろうな」
「あー…そうかもね」
「てか、姫の事は良いわ。お前、何しに来たんだ?」
聖が、やっと話を元に戻した。
悠は、忘れていた、とでも言うように、もう1度さっきの紙片を出して言った。
「これな、さっき寝てたら夢に出て来たんだよ。で、意味は判るんだけど、作者が判んなくてさ…」
「悠も、小倉百人一首知ってるんだ?」
「知ってるも何も…。毎年毎年、冬期休暇明けてすぐ百人一首やらされたらなぁ?覚えるわ」
「けど、姫は知らなかったよなぁ?」
聖が貴に振ると、貴も頷いた。
「はぁ?マナ、知らねぇの?」
「知らなかったぜ?さっき、訊きに来てた時も俺が言って初めて気が付いたみたいだし」
「へー」
「何だよ、その気のない返事」
「だって、俺、聖が知らねぇマナ知ってんもん」
「あー、自慢のしあいなら家でやって。てか、そんな勝ち誇ってるけど、僕、悠より愛の事知ってる自信あるから」
「や、俺のが知ってる!!」
「どっちが付き合い長いと思ってんの」
「だー!!!どっちでも良いわ!!話戻そうぜ」
「そうだね。悠、もう1回紙見せて」
「ん。ちょぉ、本貸して」
「どーぞ」
貴は再び歌を読み始めた。
「有馬山…」
「『猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする』」
「聖、覚えてんの?」
「これはなっ。俺が最初に覚えた歌だから」
「へぇー…」
『有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする』。
意味は…
『有馬山から猪名の笹原に風が吹くと、そよそよと笹がそよぐが、さあそのことだ、私は決して貴方を忘れはしない』。
その後に、こういった文が続く。
『貴方の心変わりこそ心配なのだ』。
貴は、それを悠の持って来た紙に書き始めた。
それを横で見ていた聖が、悠に聴こえないようにそっと呟く。
「これ、まんま姫の歌じゃん…」
「そうだね…」
その時、悠は嬉しそうに声を上げた。
「あーこれだっ。第弐三位?紫式部の娘かっ」
「へぇ…この歌の作者、紫式部の娘なんだ?」
「みたいだぜ。ほら」
欲しがっていたおもちゃを手に入れた子供のように、悠は開いているページを聖に見せた。
貴は、そんな2人を微笑みながら見つめ、読みかけていた愛のノートを手に取った。
その貴の様子に気付いた聖が、貴に言った。
「あー貴っ。それ、何なの?さっきも訊いたけど」
「あ、そうだったね。誰かさんのせいで、応えられなかったけど」
貴はちらっと悠を見た。
何も知らない悠は、きょとんとして貴を見る。
「で、何?」
聖が、興味津々で尋ねてくる。
「これはね…愛の詩」
「歌?」
「違うよ。『詩』。愛、詩ぃ書くの趣味なんだよね」
「へぇー…そうなんだ。俺にも見…」
「駄目っ」
聖が言い終わる前に、貴が拒絶した。
「えー?何でよ?」
「愛に了承得てないし、これを見て良いのは、僕だけなのっ」
貴は可愛らしく膨れると、机の引き出しにそのノートを仕舞い、鍵を架けた。