ハローワークからごきげんよう
かちかちと画面をスクロールさせてみても、ぴんとくる求人が見つからず、私は溜息をついた。
いやそれは正確な表現とは言えないかもしれない。
「求人」らしきものに見えないのである。
くるりくるりと丹念に周囲を見回す。
間違いなくハローワークである。
自慢じゃないが、ワタクシ、泣く子も黙るバブル崩壊3年後の四大卒業女子。いわゆる「ロストジェネレーション」というやつでしてね。
契約社員だの派遣社員だの嘱託職員だのを繰り返して繰り返して三十路半ばを越えましたので、ハローワークは馴染みの場所よ。
「だいたい30年前後の予定、ユーラシア大陸東部、仏教国、両親の仲は良いが資本主義化の波に乗り遅れたか、臓器を売られるほど貧しくはないが裕福とも言えない。一人っ子政策のため兄弟は無し。男子ならそのまま養育されるが、女子なら売られる可能性あり」
これ求人じゃないよね?
どう見ても求人じゃないよね。
いや、求人といえば求人なのか?
でも全体的にこんな感じなわけですよ。
アテクシが知りたいのは、厚生年金とか社会保険とか雇用保険とか、交通費支給なのかとか上限ありなのかとか、年間休日数とか、資格の必要な職なのかとか。
そういう穏健な労働条件であって、臓器売るとか娘売るとか、そういうレベルのお話にイっちゃうほどシビアなお仕事は探してないんです。
それともナニ? 日本はもうそこまで景気が悪化したのかしら。いつの間に?
資格も持たないくせに、董だけ立ち過ぎた派遣社員は、もう腎臓売れとか、そういうこと?
イカン、とディスプレイの前で頭をふるふるっと振った。
なんというかこう、アレよね。デジタルな情報だけで悲観的になったり興奮したりっていうのは、良くないと思うんだ。
伊達にいろんな職場を転々としてきたわけじゃないのよ。
情報を取り出すための効率的な道具としてコンピュータを活用するのは良しとしても、やっぱり鈍くさいようだけどアナログな手順を踏んだほうがいいときってあるのよね。
求人情報のインデックスページに戻すと、私は小さく再び溜息をついて立ち上がった。
うん。
検索した結果じゃよくわからないんで、窓口のほうにまずは御相談、という手順を踏ませていただきます。
窓口備え付けの機械で、受付番号票を取ると私は待合の椅子に腰かけた。
まったくツイてない。
今度の職こそは正社員待遇だったのだ。
無資格のままじゃいけないと思って、前回の失業時に職業訓練を受けてコンピュータと簿記の資格を全部で6つぐらい取得した。
そして晴れて、不動産会社の経理事務という形で潜り込み、社長から「会社で費用出すから宅建取ってみないか」と言われその気になっていた。
でも、あっさり解雇、かぁ・・・ん?
解雇?
解雇、よね。だって私、辞める気別になかったもん。
古参の事務員のオバさんには日々ちくちくと嫌みを言われてはいたけれど、そんなのよくある話だしねぇ、と受け流してた。
だから依願退職でなかったことは確実。
でも、解雇・・・されたっけ?
え?
記憶ないんですけど。
依願退職の記憶も、解雇された記憶もないよ。ない。
えー・・・じゃあなんで私はハローワークにいるんでしょうかー・・・。
「135番でお待ちの方」
「え、あ、はい」
反射的に立ち上がり、いくつかの窓口の上に掲げられている番号の中から、点滅している「135」の文字を見つけると、その窓口へ向かった。
のだけれど。
「え?」
「やあ」
窓口にいたのは、モンゴロイドではない感じの20代前半と思しき青年。
しかもあろうことか、金髪。
いやそれはいい、いいよ別に。人種的な特徴としての髪色なんでしょう。
でもさ。
白いTシャツに、耳にはずらりと複数個のピアス?
──オマエに仕事があってなんで私にないんだ
そう言いたくなった私は心の狭い子ですか?
「久しぶり、って言うべきなのかな、セレス」
「はぁ?」
ああ、たぶん私、今、求職者にあるまじき悪いお顔になっている。きっと。絶対。
誰だよセレス。
青年は目をまん丸にして「うっわ。まだやる気?」と軽薄な口調で驚いて見せた。
──何をよ。つか、働かなきゃ食っていけないでしょうが。やる気云々別にして
「いやいやいやいや。僕のこと、思い出せない・・・みたいだね」
「えーっと。すみません、私、仕事探してるんですけど」
コーカソイド青年のナンパに付き合ってやる心の余裕はまったく持ち合わせていない。
そういう気持ちを込めて、窓口の前の椅子に腰かけながら私はきっぱりと言った。
しかし、私を「セレス」と呼んだ青年は首を傾げて「・・・あのさ、君には今ここがどういう風に見えている?」などと言い出しやがったではないか。
「・・・ハローワークの求職窓口」
その答えを聞いた青年は、「っく・・・苦し・・・セレス、すごいよ君。マジ尊敬する。そんだけ苦労しといてまだやる気ってところが・・・」などと腹に手をやって苦しみ始めた。っていうか、笑ってんだな、こいつ。
「あの、仕事探してるんですけど!」
人の気も知らないで笑ってんじゃないわよ。
「ごめっ・・・く・・・いや、あのね? えーと。少し説明が必要みたいだ」
「は?」
「君、いつ仕事辞めたの。あるいはいつ解雇されたの」
「え・・・」
いつだっけ?
ていうか、さっきも思ったよね。
辞めた記憶も首になった記憶も、ない、と。
「まぁ、辞めたと言えば辞めた、のかなぁ。正確に言いますと、君はもう死んでます」
「・・・・・・はい?」
死んでまでハローワークに来てるってどんだけ労働者なのよ私。
「うん、僕もそう思うんだけど、僕ら的に言うとね、ここはハローワークじゃないんだ」
「じゃ、どこよ」
「ああ、いいなぁ。その冷静さ。そういうところはホント、何度生まれ変わっても変わらないんだよねぇ」
「いいから。じゃあ、ココハドコデスカ」
川もお花畑もないじゃないのよ!
「あ、そういうのはね、死後の世界として既存宗教のイメージが強かった人は三途の川とかお花畑とかに見える人もいるらしいんだ。だいたいの場合、三途の川を渡ったりお花畑で近親者の魂に迎えられて、それから魂を休める場所に行き、そこで次の生まれ変わりについて検討する・・・という手順になるのはそういうわけだね」
「・・・三途の川も渡ってないしお花畑にも行ってないわよ」
「そこが君のすごいところさ」
──なんかムカつくわね、こいつ
「魂を休めることすらせずに即生まれ変わる気満々だから、《次の人生》を選ぶステージにいきなり来ちゃった。しかも生きてた頃の感覚のまま、そこをハローワークと認識して・・・ぷくくくくっ」
なによ。私がどんだけ労働者なのかって言いたいんだったら言っていいわよ。自分でもそう思うわよ。
「ただ残念ながら、もう地球に君向けの求人はありません」
「・・・は?」
「実を言うと、君はさ、もう転生のステージをとっくに終了してて、ガイドになってなきゃいけないんだよね」
「ガイド?」
「うん。僕みたいな感じで、魂たちの人生を見守り、その選択を促す側に回ってなきゃいけないの」
私は思わず顔をしかめていた。
「まっぴらごめんです、っていう顔だね、毎度毎度。そこで、地球ではない別の」
「虫とかは困るわ」
「いや、聞けよ、つか、思い出せよ。人間から虫にはなれないでしょ? 人間は人間にしかなれません」
「じゃ、死んでまで失業者?」
「ハローワーク感覚、ホントに抜けないね。どんだけ苦労したのセレス。ま、いいや、地球には、って言ったでしょ」
「地球じゃないところにあるの?」
「ま、ちょっと次元が違う世界、異世界、とでも言うかな。ガイドになることを拒むなら、そこに行かせろと言ってきてる」
「・・・誰が・・・あ、いやいい聞きたくない」
「賢明だね。ただし、条件があってね。君はもう本来とっくにガイドになってなきゃいけないのに、単なる趣味でいつまでも転生者のままでいたわけだけど、もう《ただの転生者》でいてはいけない。これは鉄則だ」
「・・・・・・えー」
「そこで。まだあまり文明が発達してない世界があってね。そこでなら思う存分転生を繰り返していい、ただし、記憶は持ったままで」
「え・・・」
「つまり、魂のガイドではなく、その異世界に実体を持って生きるガイドであれ、と。そういうことだね。一人の人間に過ぎないわけだから、影響力には限度があるし、これまでの魂の記憶を持って、ままならない世界で生きることは苦悩も伴う」
「えー・・・」
「それが嫌ならガイ・・・」
「行きます」
こうして私は、異世界に就職することになったのだった。
え?
なんでそこまでして人間でいたいのかって?
別に人間でいたいわけじゃないのよ、ガイドになりたくないの。
他人の魂の軌跡を見守るとか、少しも面白くないじゃない?
見守るだけよ? 手出しは不可よ? 面白くないったらありゃしないでしょ?
人間でいたほうが、自分で動けるぶんなんぼかマシだと思ったのよね。