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第3話 通りすがりの不幸

二人が予約を入れていた民宿「陽光苑」にタクシーで着いたのは、もう薄っすら陽が陰って来た頃だった。

一階で軽食喫茶も営んでいるその民宿には、ほんの4部屋ほど宿泊出来る部屋がある。

どちらかというと、宿泊施設の方がオマケという感じだ。

後ろは竹林。前面は県道を挟んで、のどかな田園風景が広がっている。


「おどろいた。本当に何もないド田舎ね、ここは」

2階の自分の部屋に入るなり、外を眺めながら、すっかり回復した美沙がつぶやいた。

「泊まるところがあっただけマシだよ。ここがなかったら僕らは野宿だ。他の民宿はみんな潰れちゃったみたいだからね」

美沙の失礼な発言が民宿の女将さんに聞こえはしなかったかと、少しばかりハラハラしながら春樹は言った。

そして、もうひとつ、心配そうに付け加える。

「ねえ美沙。部屋、別々にして貰って、予算は大丈夫?」


そう訊く春樹の方をチラリと見た後、美沙は苦笑いを浮かべた。

「ここの民宿のおばちゃんが、あんたと私を見ながらニンマリ笑って『お部屋は一つでいいですよね?』って言うからさ、何だかムカついて『仕事仲間なんで2部屋用意してくいださい』って言っちゃった。今にも『お布団は一つでいいですよね?』とか訊いてきそうだったからさ」

美沙の言葉に春樹は声を出して笑った。

「ありえないね」

「そうよ、ありえない。だけど、あのおばちゃんに余計な妄想抱かれるのは戴けないしね。きっぱりと分けたよ。それにここは、あのシュレックみたいなおばちゃんが趣味でやってる民宿だから、結構安いのよ。気にしなくていいから」

「シュレックって・・・」

いくらなんでも、あの怪物に例えるなんて・・・と思ったが、春樹は笑をこらえるのに必死だった。

けれど、そんな乱暴な美沙の発想も、春樹は嫌いではない。


「それよりさあ・・・春樹・・・」

急に美沙は、トーンを落としてつぶやいた。

「え?」

「あんた何かあった? 私が酔いつぶれてる時。何か悪さしなかった?」


シフォンのロングスカートの下であぐらをかき、ラフな白Tシャツを着たこの美人上司の洞察力は、時々春樹をドキリとさせる。

春樹のほんの少しの変化を、彼女は見逃さない。

それは春樹に取って安心感でもあり、脅威でもあった。


「・・・うん」

「別に怒ったりしないわよ、あんたの能力だし。それを私も時々利用させて貰ってる以上、責める権利は無いからね。ただ、気になっただけ」

春樹はホッとしたように力を抜いた。

「さっき川のそばで、若い男の人とぶつかりかけたんだ。初対面なのに、僕を見てとても驚いてた。だから、どうしてなのかな、って思って・・・」

「ぶつかりかけたんなら、そりゃあ驚くでしょ」

「そうじゃなくて、僕の顔を見て、とても怯えてたように見えたんだ」

「それで、触っちゃったの?」

「ちょっとだけね」

美沙に責める気がないのだとわかると、春樹は途端に安心し、からりとした口調に戻った。


「で? なんでだった?」

「その人の子供の頃の友達に、僕が似てたんだ。僕には・・・似てるのかどうか、よくわからなかったけど」

「なんだ、昔の友達に間違われたのか」

「でもね、その友達はもう死んじゃってるんだ。小学校の頃に」

美沙は眉をひそめた。

「あら」

「だから、僕を見て驚いたんだよ」

「へえ」

たいして関心も無さそうに美沙は相づちを打った。

「もっと聞きたい?」

「興味ないね」



実際、美沙にはそんなこと、どうでもよかった。

行きずりの男の人生にどんな不幸があったからと言って、それに気を揉むほど暇ではないし、情に厚くもない。

自分自身の性格はよく分かっていた。

唯一美沙に関心があるのは、そんな事にいちいち気をそそられ、首を突っ込んでしまう目の前の18歳の少年のことだけだった。

「遊び半分で人の心の中を覗くのはやめた方がいいよ、春樹。何度も言ってるけどさ、あんた自身がしんどいでしょ?」

「意識してる訳じゃないよ。気が付くと触ってるんだ。気になる物の匂いを嗅ぐのと似てる」

「じゃあ、意識してその悪い癖を直しなさいよ」

「人の心を読むなって、学校では教わらなかった」

春樹はイタズラっぽく笑った。

美沙はわざと眉をひそめて怖い顔を作って見せた。


自分の能力が忌み嫌われるタイプのものである事を、春樹はちゃんと知っている。

何度も辛酸を舐め、苦しんできた。

その春樹がこうやってそんな冗談を言えるようになったことは、美沙にとっては嬉しいことだった。

けれど反面、不安でもある。


美沙が本気で怒っていないことが分かるのだろう。春樹はまた無邪気に笑った。


「美沙はすぐ顔に出るから、触らなくたって何考えてるか全部わかる。心配しなくたっていいよ。美沙には死んだって触らないから」

「そう願うわ」

美沙は感情を込めずに、サラリと言った。


“全部分かる? じゃあ、言ってみなさいよ。あんたに何が分かる? あんたが一番分かってないのは私のことよ。あんたの一番近くに居る、この私のことよ!”


自分の胸の内で複雑に絡み合った感情が熱を帯びて吹き出しそうになるのを、美沙は必死で飲み下した。




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