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第1話 革の手袋

真夏の太陽は、線路をも溶かさんばかりの勢いで照りつけ、陽炎を立ちのぼらせていた。

四方を山に囲まれた無人改札駅のホームには、この地方に多いニイニイゼミとアブラゼミの大合唱が響き渡っている。

その大合唱の観客は、ついさっき列車から降り立った若い男女のみ。

二人の他に人影はない。


まだ幼さの残る細身の少年は、少し心配そうに連れの年上の女を気遣っている。

少年の名は天野春樹。この春、高校を卒業したばかりの18歳だ。

一方、列車を降りるなり、フラフラとホームのベンチにへたり込んだ女は戸倉美沙とくら・みさ26歳。

少年とあまり変わらないほどの高身長、少し冷たい印象を与える勝ち気な大きな目、セミロングのゆるくウエーブをかけた髪。さらに、抜群のプロポーションの持ち主だが、そのだらしない性格は、自他共に認めていた。


「だから車内であんなにビール飲んじゃダメだって言ったのに」

春樹は昼間からアルコール臭をぷんぷんさせてベンチにうずくまる美沙に、ため息混じりの声をかけた。

「ああ、ガキにはわかんないのよねー。この暑い太陽に熱せられた新緑を窓越しに見ながら、ガーッとビールを飲み干す幸福感が!」

美沙はそういいながらも吐き気にえづいた。

「そうやって快楽に流されるから、いろんな失敗をするんだよ、美沙は」

あきれ果ててそうぼやく少年を、美沙は酔っぱらい特有の目で、じっとりと見上げた。


サラサラと風に揺れる栗色の髪、日焼けとは無縁のキメ細かい色白の肌、日本人には珍しい淡い琥珀色の瞳は、こんな腹立たしい猛暑の中でも涼しげに見える。

いつもなら、この優等生ぶったガキんちょに100ほども言い返すのだが、今は吐き気が止まらず、それどころでは無かった。

ボストンバッグのポケットから夏には不釣り合いな革の手袋を取りだし、自分の両手にはめると、その手を少年に差し出した。

「ダメだ、ギブ! 民宿まで連れてって、春樹。それか、せめて涼しい所。ダメ、もう死にそう・・・」


春樹は笑った。

そして手袋をはめた美沙の手を自分の右手で慎重に握ると、左手で二人分のボストンバッグをかかえ、美沙をゆっくり立ち上がらせた。

「悪いね」

「どういたしまして」

美沙は、ホテルのポーターのように礼儀正しくおどけて言う少年を、最悪の気分の中でチラリと見た。

少年の目は、相変わらず屈託なく優しげだ。

美沙の手袋に傷ついた様子はみじんもない。


そう。傷つくなど、あってはならない。自分がそういう風に訓練させたのだ。

そういう風に、少年を手名付けたのだ。

サイテーだ。

けれど、そうしなければ自分も、この少年も、いつか狂ってしまっていただろう。

美沙は、そんなことを今更思いながら、目を伏せた。


「どこか、その辺りのお店屋さんで休ませてもらおう? そこからタクシー呼んだらいいんだし」

無人改札を出たところで春樹が言った。

「売店? 本当に人が居るのかな。実はだれ一人居ないゴーストタウンだったりして」

「めちゃくちゃ言うなあ、美沙は」

春樹は可笑しそうに笑うと、フラフラしながら悪態をつく美沙の手を、手袋の上からしっかり掴んだ。




この「少年春樹」は、「呵責の夏」とセット作品となっています。


「呵責の夏」と同時進行で起こった、もうひとつのドラマです。

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