01【カード奴隷】中
ハイゼンベルクは重慶南路のアーケードの柱のそばに机を置き、大きな赤い布を敷いて、辞書とくじの筒をセットした。椅子に座り、客が来るのを待つ。
客を待つ時間は遅々として進まない。ハイゼンベルクは三十分もしないうちに退屈し始めた。みんな仕事か学校に行っているのだろう、客が来ないどころか、人通りもまばらだ。ハイゼンベルクはどう時間を潰すか考えた。小説を読んで過ごすわけにはいかない。かといって測字の本を読んでいれば、「プロじゃない」「泥縄だ」と思われるかもしれない。
重慶南路は有名な書店街でもある。本を探すのは簡単だ。ハイゼンベルクは自分の無価値な商売道具が盗まれる心配もせず、金庸の武侠小説を買いに行った。十数年前に読んだことがあるが、最近改訂されたらしい。しかし、心理的な言い訳を用意するためか、彼は小説より少し大きめの測字の本も買い、小説をその測字の本に挟んで読むことにした。
周囲の人混みが音もなく流れていく中、小説の中では主人公の張無忌が六大門派の前に立ち、渾身の「七傷拳」を繰り出していた……。
「あのぉ……」 これは七傷拳ではない!
「あのぉ……」その声には覇気がなかった。 五行の気を調え陰陽となし、心を損ない肺を傷つけ肝腸を砕き、精を離して意を失い恍惚となり、三焦は斉しく逆しまにして魂魄飛揚す!
「あのぉ……」来訪者はもう相手にするのも面倒になったのか、立ち上がって帰ろうとした。
小説の枠の外で揺れる人影が、ハイゼンベルクの意識を現実へと引き戻した。彼はすぐに立ち去ろうとする人物に手招きした。「お客さん、お客さん、待って!」
客は無気力に座った。ハイゼンベルクはまず相手の気色(顔色)を観察した。地味な服装だが、身につけているものはブランド品ばかりだ。肩を落とし、眉間にはハイゼンベルクにとって既視感のある空気が漂っていたが、それが何なのかは思い出せなかった。まだ昼前だというのに、なぜこんな所にいるのか? 無職か? それとも不登校か? 視線を下に落とすと、客の指は細長く、爪もきれいに整えられており、掌にマメもない。肉体労働者ではなさそうだ。
ハイゼンベルクがくじの筒を差し出すと、客は怪訝な顔で「書いて占うんじゃないんですか?」と聞いた。
最初からワシの腕を試そうというのか? ハイゼンベルクはため息をつき、紙とペンを出して言った。「もちろんですとも、どうぞお書きください」
男性客はペンを握ったものの、何を書けばいいのか分からず、しばらく手を止めていた。他に客もいないので、ここで時間を潰させてやることにした。 結局、男は一筆書き始め、**「七」**という字を書いた。
ハイゼンベルクはこの字を見て渋い顔をした。実はくじの筒にもこの字は入っていたが、決して良い字ではなく、運気が極めて悪い字とされていたからだ。これも運命なのだろうか? この男はいかにもツキがなさそうな顔をしている。字面の通り解釈するのが妥当かもしれない。
「この『七』という字ですがね。家にあると『它(それ/邪魔者)』になる。どうやら家での地位が高くないようですね。家族から他人扱いされているのかもしれない」ハイゼンベルクはペンの後ろで机を軽く叩き、もっともらしく言った。
「当たってますけど、聞きたいのは仕事運なんです」
「『七』という字は、書き出しが力強い**『虎』の頭のようで、終わりが曲がった『蛇』の尾**のようだ。合わせると『虎頭蛇尾(竜頭蛇尾)』になる。仕事を探しても、最初は順調かもしれないが、最後はうやむやになって終わるでしょうな」
「そんなに酷い字なんですか」
「まあ、それほどでもないですよ! 信じられないなら、別の字に変えますか?」
「いえ、もういいです」男は立ち上がり、ジーンズの後ろポケットに手を伸ばして言った。「いくらですか?」
「うーん……」ハイゼンベルクは手を振った。「あんたが最初の客だし、大して役にも立てなかった。いいよ、タダで」
男は頷いて言った。「そうですか。ありがとう。今日あった唯一のいいことかもしれない」
ハイゼンベルクは男が遠ざかるのを見てため息をついた。もし全ての客があんな感じだったら、商売あがったりじゃないか? 再び本を開き、ハイゼンベルクは武侠の世界へと戻っていった。昼になっても売上はなく、武侠小説に夢中になっているうちに、いつの間にか昼食代が浮いてしまった。
午後四時頃、大きなスーツケースを持った若い女性がハイゼンベルクの屋台の前を通りかかり、キョロキョロと見た後、椅子に座った。
張無忌が太極拳を使い、敵の阿三を翻弄している……。
「測――字――の――先――生――!」若い娘は持っていた地図を丸めてメガホンのようにし、ハイゼンベルクの耳元で叫んだ。 少林寺は趙敏に滅ぼされたはずだが、なぜ伝説の獅子吼がここに!? 驚いたハイゼンベルクは手から本を取り落とした。二冊の本が地面に落ちて分離し、二人は気まずそうに顔を見合わせた。
「小説、盗み読みしてたの?」娘は指でハイゼンベルクの顔をつついた。
ハイゼンベルクは咳払いをして、僅かに残った威厳を取り戻そうとした。
「お嬢さん、何の字を測りますかな?」 若い娘は迷うことなく**「欣(喜び)」**という字を書いた。
「何を占うんだね?」ハイゼンベルクは問いながら娘を観察した。彼女は元気いっぱいで、肌は少し黒く、ポニーテールに普通のTシャツとジーンズ姿だが、その表情はブランド服を着ているかのように自信に満ちていた。
「恋愛運をお願い」
「これは単純明快だ。『欣』という字は『斤』と『欠』でできている。発音(中国語)で言えば『今』と『欠』、つまり『今、欠けている』ということだ。恋愛には心が必要だが、三文字合わせると『今、心を欠いている』。感情は育むものだが、心すらないということは、最近は相手もいないということだ」ハイゼンベルクは恐る恐る言った。目の前の娘はかなりモテそうだったからだ。
「あはは! 当たり」娘は高らかに笑った。「本当は、私が大きな荷物と地図を持ってるのを見たんでしょ? だから遠くから誰かを頼って来たと推測した。遠くから来た人に、恋人がいる確率は低いもんね!」
「もしかしたら……彼氏を頼って来た可能性もあるだろう! だから外れる可能性もあったさ」ハイゼンベルクは辞書に目を落とし、娘の目を見ずに言った。
「へぇ! 『もし彼氏を頼って来たなら、彼が迎えに来るはずだ!』そう思ったんでしょ? だから頼る相手は親族で、しかもすごく忙しくて迎えに来れないような人だから、こんな地図を描いて一人で行かせたんだって!」娘は人差し指で顎をさすり、探偵のようにハイゼンベルクを見つめた。
「もちろん、彼氏が忙しすぎる可能性もあるがね!」会話に押され、ハイゼンベルクは少し気が散っていた。自分は測字屋ではなく、お喋り屋を開いた気分だ。
だが、気が散った主な原因は、脳裏に蘇った記憶だった。かつて妻と付き合い始めた頃、彼女に言った言葉だ。「彼氏っていうのは、友達の一種であり、将来の家族や親戚にもなる。他人を除けば、彼氏である僕は君の人間関係のすべてを請け負うことになる。だから僕は君の避難場所になれるし、君の人生の三分の二を共にする人間なんだよ!」 歳を取ると昔のことばかり思い出すのか? ハイゼンベルクは頭を振ってその考えを追い出した。だが甘い記憶だ。あの時、妻は涙ぐみ、自分をそのまま持ち帰りそうな勢いだった。ハイゼンベルクも思わず笑みをこぼした。
「ハッ! その通りよ」娘はあっさりと、ハイゼンベルクの読みが当たっていることを認めた。 その潔さにハイゼンベルクは少し呆気にとられたが、娘はすでに二文字目を書いていた――「妮」。
「また何を測るんだね?」
「未来の恋愛運を見てよ!」娘はすぐに付け加えた。「まさか出家して『女尼』になるなんて言わないでしょうね!」
「まさか! わははは……」ハイゼンベルクは苦笑した。「だが、君が言ったことは参考にさせてもらうよ……」
「なんですって?」娘の声がオクターブ上がり、目から殺気が放たれた。ハイゼンベルクは針のむしろだ。
「いやいやいや……つまり『妮』という字は、『女』と『尼』が合わさっている。最初の字は**『如』から『口』が欠けた形、次の字は『泥』から『水』が欠けた形だ。『泥の如し』、それが君の未来の恋愛かもしれない! 泥沼にはまって抜け出せなくなるかもね。さらに『如』は『女』に口が少ないと書く。悩み事を口に出さずに溜め込むタイプかもしれない。恋愛には良いコミュニケーションが必要だ、何かあればよく話し合ったほうがいい。そして二つ目の『泥』は『尼』に水がない。もっと水辺に近づいてみるといいかもしれないな!」
「『口水(よだれ/おしゃべり)』**が欠けてるってことね!」娘は笑いを堪えている。
「それもいいじゃないか、喧嘩するための『口水(唾)』が欠けてるなら平和だ!」ハイゼンベルクは照れ笑いをした。 娘は舌を出して指摘した。「口水の用途はそれだけじゃないわよ(キスとか)」
「何を言ってるんだ、全く!」ハイゼンベルクは茶化しながら、口水の他の用途を想像してみたが、よく分からない。直感的に、世も末だと感じるばかりだ。
「実はあなたの言う通り、兄を探しに来たの。最近すごく忙しいみたいで。たぶん今も、毎朝バタバタ起きて、慌てて家を出て、髪も整えずにパトロールに行ってるんでしょうね……」
「パトロール?」ハイゼンベルクは無意識に相手の言葉を繰り返した。自分は心理カウンセリングセンターを開くべきだったかもしれない。古代の測字もこんな感じだったのなら、もっと忍耐強く話を聞くべきだろう。
「そう! 兄は刑事なの……」
それを聞いて、もしハイゼンベルクがお茶を飲んでいたら、胃の中のものまで吹き出していただろう。こんな路上の無許可屋台で罰金切符を切られたら、一、二週間の稼ぎが吹き飛ぶ。ハイゼンベルクはこの客をさっさと追い払い、場所を変えてほとぼりを冷ましたいと願った。
「路上の測字なんて長続きしない、金ができたら店を構えなきゃ」ハイゼンベルクは歯を食いしばり、拳を握りしめた。 だがすぐに追い払うわけにもいかない。まずは周囲を見回し、他の客がいないか、あるいは逃げる口実がないか探した。ふと見ると、朝一番のあの客が、うなだれた様子で街角に消えていくのが見えた。
ハイゼンベルクの心に、突然不安がよぎった。まるで今のあの男が、自分自身であるかのように。それは言葉にできない感覚だったが、嵐の前の静けさのようだった。目の前の娘の親類が警察だと聞いて動揺しているだけなのか?
「今、何時だ?」ハイゼンベルクは急いで尋ねた。
「六時! ああ、もうこんな時間、太陽も沈んじゃったわ」娘は荷物を持ち、兄を探しに行こうとした。 太陽が沈んだ……太陽が沈んだ……その言葉がエコーのようにハイゼンベルクの耳元で鳴り響く。 「まずい……」ハイゼンベルクはとっさに娘の腕を掴んだ。
「今回もお読みいただき、ありがとうございます!
今日は執筆と翻訳の『裏話』を少しだけ。
今回の物語に登場した四字熟語、台湾(中国語)では『水滸伝』に由来する「虎頭蛇尾」をよく使うのですが、日本のAI編集者に聞いたら、日本では「竜頭蛇尾」と言うそうですね!虎が竜に変わっていてとても面白いなと思いました。
そして、この『漢字占い(測字)』の物語を日本語でお届けする上で、作者として一番悩ましい問題があります。それは……日本の漢字には「音読み・訓読み」など、同じ字でも色々な発音(同字異音)があることです!
台湾の中国語の発音や字の成り立ちをベースにした謎解きなので、日本語に訳すとどうしても『字の解釈』が少し分かりにくくなってしまう部分があります。
かと言って、日本の漢字のニュアンスに合わせて物語の根幹を書き換えるのは至難の業でして……(泣)。
少しピンとこない解釈もあるかもしれませんが、『台湾の占いではこういう風に字を読み解くんだな』と、文化の違いとして大目に見て楽しんでいただけると大変救われます!
これからも、オジサンの占いを温かく見守ってください!」
ちなみに、作中で登場したちょっとマニアックな漢字の解説や小ネタについては、私のX(旧Twitter)の方でも画像付きで紹介してみようかなと思っています!興味がある方はぜひ覗きに来てくださいね。




