表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/23

Code:0x08

──《廃都ヴァニタス》地下──

 階段があった。

 三話で見た壁の奥。アイリスが教えた場所を掘ると、黒い階段が現れた。

 下に続いている。

 どこまで続いているか、見えない。


 「ここか」

 「はい」アイリスの声。今日は最初から一緒だった。姿はない。「この先に、中層への入口があります」

 「引き返せない、と言っていたな」

 「降りると、物理的な転移が不可能になります。システム上のセーフティが働かない。ログアウトも制限される可能性がある」


 「可能性」

 「やってみないと分からない、です」

 シグマは階段を見下ろした。

 黒い。照明がない。廃エリアのテクスチャが途切れて、その先は純粋な暗闇だった。ゲームの背景ではない。コードの最下層。データが途切れた先。


 「NULL化率は」

 「43.1パーセント。安定しています」

 「持つか」

 「……分かりません。コアに近づくほど、引力が強まる。進行が加速する可能性がある」

 「分かった」

 シグマは一歩、階段に足を置いた。

 何も起きなかった。

 もう一歩。

 視界の端に表示が出た。


警告:システム境界を越えます

通常エリアへの帰還が制限されます

続行しますか?

[YES] / [NO]


 シグマは[YES]を選んだ。

 警告が消えた。

 代わりに、別の表示が出た。



降下モード:起動

深度計測:開始

現在深度:0m


 「……降下モード?」

 「コアは階層構造です。深さの概念があります。深く潜るほど、核心に近づく」

 シグマは歩き始めた。


 階段は狭い。一人分の幅しかない。壁に手をつくと、冷たい感触があった。痛覚フィードバックではない。データの境界に触れている感覚。


 「シグマ」

 「何だ」

 「……怖いですか」

 「お前は」

 「私は、少し怖い」


 「正直だな」

 「正直に──」

 「学習した。分かった」

 アイリスが少し黙った。


 「あなたは怖くないんですか」

 「……怖い」

 「そうですか」

 「ああ」

 「それでも行く」

 「行く」

 「なぜ」


 「怖いからやめる理由にはならない」

 アイリスがまた黙った。

 「……そういうものですか」

 「そういうものだ」


──深度50m──

 階段を降りて十分が経った。

 暗闇は変わらない。照明がないのに、視界がある。不思議な感覚だった。ゲームの視覚処理が自動補正しているのか、それともコア側が何かしているのか。


現在深度:52m

NULL化率:43.3%

 少し上がっていた。

 「加速してる」

 「予測より緩やかです。このペースなら、まだ余裕がある」

 「余裕、か」

 「……言い方が悪かったかもしれません」

 シグマは階段を降り続けた。

 足音がない。

 踏んでいるはずなのに、音が消えている。空間が音を吸収している。


 「アイリス」

 「はい」

 「コアに吸収された奴ら。意識はあるのか」

 「……部分的に」

 「部分的?」

 「完全な意識ではない。断片です。記憶の一部、感情の一部、思考の一部。それが混ざり合って、一つの集合体になっている」

 「苦しいか」

 「分かりません。でも」

 「でも」

 「彼らの声を聞く限り、帰りたがっている。それだけは確かです」

 シグマは頷いた。

 誰も見ていない頷きだった。


──深度120m──

 階段が終わった。

 廊下が現れた。

 黒い壁。床も黒い。天井はない。上を見ると、無限に続く暗闇がある。


現在深度:121m

NULL化率:44.1%

 1パーセント近く上がっていた。

 「引力が強まっています」

 「感じる」

 実際、体が重かった。歩くたびに引っ張られる感覚がある。下に、前に、奥に。

 廊下の先に、扉があった。

 巨大だった。シグマの背丈の三倍はある。黒い金属のような材質。表面に文字が刻まれている。見たことのない言語。コードでもない。何かの記号。


 「これは」

 「外層と中層の境界です」

 「開くのか」

 「あなたなら開けられる。ERROR BLADEのデータは、この扉を認識する権限を持っている」

 シグマは扉に手を置いた。

 冷たい。


 データの境界より冷たい。何か別の質感。生きているような、死んでいるような。

 扉が光った。

 シグマの手の位置から、光が走る。亀裂のように。文字の刻印に沿って。


認証:ERROR BLADE

アクセス:許可

外層終了

中層へ移行

 扉が開いた。

 音がした。

 重い、金属が擦れる音。現実にある音だった。ゲームの効果音ではない。

 奥に、空間が広がっていた。


──中層 第一区画──

 空間に境界がなかった。

 廊下を抜けると、そこは広い。どれだけ広いか測れない。壁がない。天井がない。床だけがある。黒い床が、遠くまで続いている。

 空には、光があった。

 無数の光。

 青白い、小さな光が浮いている。蛍のように。でも蛍ではない。それは──


 「遺留データ……?」

 「いいえ」アイリスの声が少し震えていた。「あれは、意識の断片です。コアに吸収された人たちの、一部」

 シグマは光を見た。

 数百。いや、数千。もっとあるかもしれない。

 一つ一つが、誰かの一部だ。


 「……全員、まだここにいるのか」

 「はい」

 声が聞こえた。

 遠くから。近くから。いろんな方向から。

 誰かの声。男の声、女の声、子どもの声、老人の声。

 言葉になっていない。でも意味がある。


 「出して」

 「帰りたい」

 「誰か」

 「痛い」

 「寒い」

 「怖い」

 シグマは立ち止まった。


 「……聞こえる」

 「いつも聞こえています。私は」

 アイリスの声が、初めて崩れた。

 ほんの少しだけ。

 「毎日、聞いています。この声を。止められない。助けられない。ただ、聞いている」


 シグマは何も言わなかった。

 言葉が出なかった。

 光が揺れている。

 遠くで、近くで。

 床の先に、何かが見えた。

 構造物。

 黒い、巨大な何か。形が定まらない。近づくと見え方が変わる。


 「あれは」

 「中層の第一区画です。ここから先、区画がいくつもある。管理者がいる最下層までは、まだ遠い」

 「どのくらい」

 「正確には分かりません。でも……少なくとも、今日では辿り着けない」

 シグマは頷いた。


 「分かった。行けるところまで行く」

 「はい」

 歩き始めた。

 光の間を抜けて。

 誰かの声を聞きながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ