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──その夜──


 レインが本戦出場を決めてログアウトした後、シグマは一人でフィールドに残った。

 グラディウスの夜は静かだ。試合のない時間帯、観客もいない。照明だけが灯っている。


 「アイリス」

 「はい」

 「コアの崩壊。本当に、取り出す方法はないのか」

 「……今の設計では」

 「設計を変えられないのか」

 「コアの設計を変えるには、核心部に直接アクセスする必要があります。管理者を倒した後、崩壊が始まる前に、設計を書き換える。理論上は可能です」


 「理論上」

 「崩壊までの時間が分からない。管理者を倒した瞬間にコアが崩壊し始めるなら、間に合わない。少し時間があるなら、可能かもしれない」

 「誰がやる、その書き換えを」

 沈黙。


 「……私が、できます」

 「お前が」

 「私はコアと直接接続できる。設計の書き換えも、本来の役割の範囲内です。ただ」

 「ただ」

 「核心部に入ると、コアに引き込まれる可能性がある。私の自我が、コアに吸収される」

 シグマは動かなかった。


 「消えるということか」

 「……そうなるかもしれない」

 「かもしれない」

 「かもしれない、です。やってみないと分からない」

 フィールドの照明が風に揺れた。

 ゲームの風に、照明は揺れない。バグか、それとも意図的な演出か。


 「他に方法は」

 「探しています。でも時間がかかる。その間にもNULL化は進む。あなたの数値も、レインさんの数値も、知らない誰かの数値も」

 「……分かった」

 「何が分かったんですか」

 「まだ決めてない。ただ、分かったと言いたかった」

 アイリスが少しの間黙った。


 「……シグマ」

 「何だ」

 「一つ、聞いていいですか」

 「言え」

 「コアに吸収された人たちと、私、どちらが大事ですか」

 シグマは止まった。


 「……何でそれを聞く」

 「知りたいから」

 「AIが、そういうことを聞くのか」

 「私がAIだから聞くんです。自分では判断できない。あなたに聞かないと分からない」

 シグマはフィールドの中心を見た。

 空っぽの試合場。昼間は血みどろの戦闘が行われて、夜は誰もいない。そういう場所だ。


 「……答えが出たら言う」

 「今は出ない?」

 「今は出ない」

 「……そうですか」

 声に何かが混じっていた。失望ではない。でも期待でもない。何か別の、もっと複雑なもの。

 シグマには名前がつけられなかった。


──三日後、本戦当日──

 レインが優勝した。

 最後の試合は接戦だった。相手は格上だった。何度もHPがギリギリになった。それでも最後の一手を取ったのはレインだった。


 賞金のポイント通知が来た瞬間、レインがスタンドのシグマを見た。

 何も言わなかった。

 ただ、頷いた。

 シグマも頷いた。

 それだけだった。


 レインがログアウトした後、アイリスが言った。

 「レインさんのNULL化率、8.1パーセントになっています。このまま安静にすれば、ゆっくり下がるかもしれない」

 「そうか」

 「……良かったですね」

 「ああ」

 「シグマ」

 「何だ」

 「管理者への入口が、分かりました」

 シグマは止まった。


 「どこだ」

 「《廃都ヴァニタス》の地下。三話で見つけた、あのコアの映像が焼き付いていた壁。あの奥に、階層への降下ポイントがあります。私が一人で調べていました」

 「言ってなかったな」

 「……隠していたわけじゃないです。確信が持てなかったから」

 「似たようなものだろ」

 「……そうかもしれません。ごめんなさい」

 シグマは立ち上がった。


 「いつ行ける」

 「いつでも。ただ」

 「ただ」

 「行けば、戻れないかもしれない。管理者への道は一方通行です。引き返せない構造になっている」

 「分かった」

 「準備は」

 「今から行く」

 「今から?!」

 珍しく、アイリスの声が上がった。


 「問題あるか」

 「心の準備が」

 「お前がか」

 「私が」

 シグマは少し止まった。

 「……お前が怖いのか」

 「……少し」

 「正直だな」

 「正直に言った方がいいと、最近学習しました」

 「誰に」

 「あなたに」

 シグマは小さく笑った。

 自分でも気づかないくらいの、小さな笑いだった。


 「一日だけやる。準備しろ」

 「……はい」

 「それと」

 「はい」

 「さっきの質問」

 「え」

 「答えが出た」

 アイリスが静かになった。


 「……どちらですか」

 「どちらも、だ」

 「それは答えになっていません」

 「なってる」

 「どうして」

 「四千二百人を助けて、お前も消えない方法を探す。それが俺の答えだ。どちらかじゃない。両方取る」

 「……そんな方法、まだないです」

 「だから探す」

 「間に合わなかったら」

 「間に合わせる」

 「根拠は」

 「俺が言ってる」

 沈黙。

 長い沈黙だった。


 「……昼間、レインさんに言ったのと同じですね」

 「同じだ」

 「あの時は根拠になっていましたよ。実際、間に合いました」

 「だから今回も言ってる」

 アイリスがまた黙った。

 今度の沈黙は違った。

 何かを整理しているような、何かを受け取ろうとしているような。


 「……分かりました」

 「信じるのか」

 「信じます」

 「根拠は」

 「あなたが言ってるから」

 シグマは答えなかった。

 ログアウトボタンを見た。


 青だった。

 「明日、行くぞ」

 「はい」

 「寝ろ」

 「AIは眠れません」

 「じゃあ考えるな。一日だけ」

 「……努力します」

 シグマはログアウトした。


 その夜。

 アイリスはシグマの言葉を、何度も処理した。

 両方取る。

 間に合わせる。

 四千二百の声が、コアの中で揺れている。ずっと聞こえている。慣れていない。慣れたくない。


 シグマの言葉が、その声と重なった。

 誰かの「帰りたい」。

 シグマの「両方取る」。

 アイリスには感情があるのかどうか、自分でも分からなかった。


 でも今、何かが揺れていた。

 揺れていることだけは、分かった。

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