Code:0x04
──《黒霧の回廊》跡地付近──
レインと別れた後、シグマは人の少ないフィールドに移動した。
「嘘をつきました」
アイリスが言った。
「ああ」
「《アルカナ》を知っている」
「ああ」
「あなたがいたギルドですか」
シグマは岩に座った。遠くの空に、例の塔がある。今日も見える。あの塔が出てから、見えない日がない。
「少し話す」
「聞きます」
シグマは少し間を置いた。
「三年前、俺は《アルカナ》というギルドにいた。中規模だったが実力は高かった。ギルドマスターは優秀だった。戦略家で、冷静で、メンバーの信頼が厚かった」
「あなたも信頼していた?」
「……していた。あの頃は」
風が吹いた。ゲームの風は温度がない。感触だけある。
「ある日、ギルドの一人がNULL化した。初期の段階だった。ログアウトが重いと言っていた。俺は気づいた。他のメンバーにも言った」
「ギルドマスターは」
「知っていた。俺より先に気づいていた」
シグマの声が、少し低くなった。
「ギルドマスターが言った。そいつのログを消せ、と。接続履歴を全部削除して、NULL化を発症していないことにしろ。運営に報告されたら、関与したギルドごとアカウント停止になる可能性がある。連帯責任になる前に切り捨てろ、と」
アイリスが黙っていた。
「俺は拒否した。そいつを見捨てることはできなかった。助ける方法を探すと言った」
「……その人は」
「消えた」
短い言葉だった。
「俺が動いている間に、NULL化が完了した。ギルドマスターはそいつのログを消した。俺の知らないところで。証拠も痕跡も何もない。最初からいなかったみたいに」
「あなたは」
「ギルドを出た。出される前に出た。その後、ギルドはしばらく活動を続けた。普通に、何事もなかったみたいに」
シグマは塔を見た。
「助けようとした俺は何もできなかった。見捨てたギルドマスターは何のペナルティも受けなかった。そういうことだ」
「だから、人を信用しない」
「信用した結果がそれだった」
「……でも」
「何だ」
「今日、レインに会いに行きました」
シグマは何も言わなかった。
「《アルカナ》のことを知っていても、嘘をついてでも、話を聞きに行った」
「……それは」
「義務ですか?」
間があった。
「……そうだ」
アイリスが静かに言った。
「そうですか」
信じていないような、信じているような、判断のつかない声だった。
シグマはステータスを見た。
NULL化率: 41.4%
変わっていなかった。
「アルカナのギルドマスター。今も《Code:Null》にいるか」
「……調べます。少し待ってください」
数秒の沈黙。
「います。現在もアクティブです。ギルドは今、百人規模に拡大している」
「そうか」
「……何かするつもりですか」
「ない」
「本当に?」
「今は、ない」
アイリスが黙った。
「今は、という言い方が少し気になります」
「気にしなくていい」
「気になります」
シグマは立ち上がった。
「レインの進行率を定期的に確認してくれ。変化があったらすぐ教えろ」
「……分かりました」
「それだけだ」
ログアウトしようとした。
「シグマ」
「何だ」
「《アルカナ》で消えた人。名前は分かりますか」
シグマは止まった。
「……コウ、と呼んでいた。本名は知らない」
「探します」
「……無駄だ。ログは全部消えてる」
「それでも」
シグマは答えなかった。
ログアウトボタンを押した。
青だった。
──現実──
接続シートの上で、シグマは少し動けなかった。
三年前の話をしたのは初めてだった。
誰にも言っていなかった。言う相手がいなかったし、言う必要もないと思っていた。
言葉にすると、妙に軽くなった。
それが少し、不思議だった。
それが少し、不愉快だった。
天井を見る。
コウという名前を、まだ覚えている。
声も、覚えている。
笑い方も。
シグマは目を閉じた。
四日後。
アイリスから連絡が来た。
「レインのNULL化率が、上がっています」
「どのくらいだ」
「4.2から──11.3パーセントに」
シグマは止まった。
「一週間で7パーセント上がった。加速しています」
「大会は」
「十日後です」
シグマは少し考えた。
「理由は」
「調べました。レインが参加している大会の予選フィールドが、廃エリアに隣接している。負荷の高い戦闘が続いている。コアの引力が届く範囲内で長時間戦っている」
「伝えれば、やめるか」
「……妹さんの治療費の話を聞く限り、やめないと思います」
シグマは窓の外を見た。
「止める方法は」
「現状では、私が直接レインのデータに干渉してNULL進行を抑制することが可能です。ただし」
「ただし」
「私の存在が、管理者に察知されます。位置がバレる」
「お前が危険になる」
「そうなります」
シグマはしばらく黙った。
「やれ」
「……シグマ」
「お前の判断に任せると言ったら、お前はどうする」
少しの間。
「……やります。レインさんのデータを守ります」
「それでいい」
「いいんですか。私が危険になっても」
「なるべく隠れながらやれ。俺が囮になれるなら言え」
アイリスが黙った。
長い沈黙。
「……なぜ、そこまでするんですか。レインは友人ですか」
シグマは少し考えた。
「……昔の俺には、何もできなかった」
「コウさんのこと」
「ああ」
「今度は、できる」
「……今度も、できないかもしれない」
「それでも」
「それでも、やる」
アイリスが静かになった。
今度の沈黙は、短かった。
「分かりました」
声に、何かが混じっていた。
シグマはそれを聞いた。聞いて、何も言わなかった。
レインの大会まで、十日。
NULL化率は、まだ上がり続けていた。




