Code:0x1B
──現実 東京 朝──
目が覚めた時、視界が二重に見えた。
焦点が合わない。シグマは目を閉じた。
もう一度開ける。
今度は、少しマシだった。
だが頭痛がある。鈍い痛み。
後頭部から、前頭部に広がっている。
「……アイリス」
「はい」
「視界が、おかしい」
「NULL化の影響です。感覚器官に異常が出始めています」
「病院に行くべきか」
「……行っても、原因は分からないと思います」
「そうか」
シグマは起き上がった。
めまいがする。壁に手をつく。
十秒待つとめまいが収まった。
「NULL化率は」
NULL化率:52.1%
また上がっていた。
0.7パーセント。
一晩で。
「……早いな」
「加速しています」
「このペースだと」
「五日で60%に到達します」
シグマは洗面所に向かった。
鏡を見る。
顔色が、さらに悪い。それに目が充血していて唇が乾いている。
「……ひどいな」
「休んでください」
「休んだら、進まない」
「でも」
「でも、じゃない」
シグマは水を飲んだ。冷たい。
少しだけ、意識がはっきりする。
スマホを見た。
メッセージが来ていた。
送信者:Rein
「シグマ、本当に大丈夫か?
最近ログインしてるけど、様子がおかしい。
フレンドリストで確認したら、廃エリアにずっといる。何かあったら言ってくれ」
シグマは少し考えた。
返信した。
「大丈夫だ。心配するな」
また嘘だった。大丈夫ではない。
だが、巻き込みたくない。
三分後、返信が来た。
「嘘つくな。今日の夜、カルナの東門で待ってる。来い」
シグマは画面を見た。
「……来いって」
「行きますか」
「……どうする」
「レインさんは心配しています。顔を見せた方がいいと思います」
「巻き込みたくない」
「でも、一人で抱え込むのも限界があります」
シグマは少し黙った。
「……分かった。行く」
「はい」
──夕方 ゲーム内 《交易都市エリア:カルナ》──
ログインした場所は、いつもと違った。
意図的に、カルナを選んだ。
東門の外にレインが待っていた。
シグマを見て、目を見開いた。
「……シグマ」
「久しぶりだな」
「お前、何があった」
「何も」
「嘘つくな」
レインが近づいてきた。シグマの顔を見る。
「顔色が悪い。装備も傷だらけだ。HPバーも半分以下だ。何があった」
「……色々あった」
「色々って何だ」
シグマは少し黙った。
「中層を攻略してる」
「中層?」
「コアの中層だ。門番を倒して、副管理者と戦って、先に進んでる」
レインが息を飲んだ。
「……一人で?」
「ああ」
「無茶だろ」
「無茶じゃない」
「無茶だ」
レインが少し怒ったような声を出した。
「お前のNULL化率、上がってるだろ」
「……ああ」
「どのくらいだ」
「52」
「52?!」
レインが声を上げた。
「お前、正気か。50超えたら加速するって知ってるだろ」
「知ってる」
「知っててやってるのか」
「ああ」
「なんでだ」
シグマは空を見た。
カルナの空。青い空。
だがシグマには、ひびが見える。
細い、クモの巣のようなひび。
「……止まれないから」
「止まれ」
「止まれない」
「なんで」
「止まったら、終わる」
レインが黙った。
少しの間。
「……お前、何を背負ってるんだ」
「何も背負ってない」
「嘘だ」
「……」
「お前、一人で全部やろうとしてるだろ」
シグマは答えなかった。
レインが続けた。
「俺には何もできないかもしれない。でも、話くらい聞ける。一人で抱え込むな」
「……お前を巻き込みたくない」
「もう巻き込まれてる」
「何が」
「お前が心配だ。それだけで十分、巻き込まれてる」
シグマは少し黙った。
「……そうか」
「ああ」
二人は少し黙った。風が吹いた。
「レイン」
「何だ」
「……ありがとう」
「何が」
「心配してくれて」
レインが少し笑った。
「当たり前だろ」
「そうか」
「ああ」
レインが真面目な顔になった。
「シグマ、一つ聞いていいか」
「何だ」
「お前、本当に一人で戦ってるのか」
シグマは少し考えた。
「……一人じゃない」
「あ、そうなのか?」
「相棒がいる」
「見えない相棒か」
「ああ」
「……そいつは、信用できるのか」
「信用できる」
「根拠は」
「俺が言ってる」
レインが笑った。
「相変わらずだな」
「ああ」
レインが手を差し出した。
「何かあったら、すぐ言え。一人で抱え込むな」
シグマは手を握った。
「……分かった」
「約束だ」
「約束する」
二人は手を離した。
レインがログアウトした。
シグマは一人、空を見た。
「アイリス」
「はい」
「……レイン、いい奴だな」
「はい」
「巻き込みたくないが」
「でも、彼は巻き込まれたがっています」
「……そうだな」
「はい」
シグマはログアウトしようとした。
その時、メッセージが届いた。
送信者不明。
「ERROR BLADE、今夜会いたい。
《廃都ヴァニタス》の地下集会場。
来てくれれば、重要な情報を渡す。
──ゼク」
シグマは画面を見た。
「……ゼクから」
「《BLANK》です」
「罠か」
「可能性が高い」
「でも、重要な情報と言ってる」
「罠の常套句です」
シグマは少し考えた。
「……行く」
「危険です」
「分かってる」
「それでも行きますか」
「情報が欲しい。《BLANK》が何を企んでるか知りたい」
「……分かりました。でも、慎重に」
「慎重にやる」




