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Hiroを探すのに、三日かかった。
《BLANK》の集会場には現れなかった。廃エリアにもいなかった。アイリスが行動パターンを解析して、ようやく居場所を特定した。
カルナの外れ。城壁の影。
人が来ない場所。
Hiroが一人で座っていた。
膝を抱えて。地面を見て。
シグマは少し離れた場所に立った。
「声をかけますか」
アイリスが小さく言った。
「……どう声をかける」
「分かりません。でも、放っておけないでしょう」
「……そうだな」
シグマは近づいた。
足音を立てて。気づかれるように。
Hiroが顔を上げた。
目が合った。
十四、五歳くらいに見える。細い体。目の下に隈がある。
「……何か」
声が小さかった。
シグマは壁に寄りかかった。Hiroの横、少し離れた位置。
「別に。ただ通りかかっただけだ」
「……そう」
Hiroが視線を戻した。また地面を見ている。
沈黙。
シグマは空を見た。カルナの空は青い。雲が流れている。
「一人か」
「……うん」
「ソロか」
「ソロ」
「俺もだ」
Hiroが少しだけ顔を上げた。
「ソロなの」
「ああ」
「……珍しい」
「そうか?」
「みんなギルドに入ってる。一人でやってる人、あんまり見ない」
「ギルドに入らない理由がある」
Hiroが少し黙った。
「……俺も」
「そうか」
また沈黙。
風が吹いた。ゲームの風。温度がない。
「シグマ」
アイリスが小さく言った。
「彼のNULL化率、13パーセントに上がっています」
「……昨日より」
「はい。一日で1パーセント。自然な進行速度じゃない」
シグマは横目でHiroを見た。
「お前、NULL化のこと知ってるか」
Hiroが少しだけ体を強張らせた。
「……知ってる」
「進んでるだろ」
「……なんで分かるの」
「見れば分かる」
嘘だった。アイリスが教えてくれているだけだ。
Hiroが膝を抱え直した。
「……やばいかな」
「やばい」
「でも、もういいかなって」
「何が」
「全部」
シグマは少し黙った。
「理由があるのか」
Hiroが答えなかった。
シグマは続けた。
「《BLANK》に行ってるだろ」
Hiroが顔を上げた。
驚いた顔。
「なんで……」
「見た。集会場で」
「……あ」
「あそこで何を言われた」
Hiroが俯いた。
「……消えることは、悪いことじゃないって」
「信じてるのか」
「分かんない。でも、優しかった」
「優しい?」
「みんな。《BLANK》の人たち。俺の話を聞いてくれた。否定しなかった。一人じゃないって言ってくれた」
シグマは壁に背中を押し付けた。
「……お前、現実で何があった」
Hiroが黙った。
長い沈黙。
やがて、小さな声で言った。
「……親が、離婚した」
「……」
「俺のせいで」
「お前のせいじゃないだろ」
「俺が、いい子じゃなかったから」
シグマは何も言わなかった。
Hiroが続けた。
「成績が悪くて。友達もいなくて。部活もすぐ辞めて。親が喧嘩するたびに、俺の話になった。お前の育て方が悪い、お前が甘やかすから、って」
「……」
「で、離婚した。お母さんが出てった。俺は父親と二人。でも父親も、俺の顔見ると疲れた顔する」
「……お前は悪くない」
「でも現実はそうなった」
Hiroが膝を抱え直した。
「だからゲームに逃げた。ここなら、誰も俺のこと知らない。レベルが低くても、下手でも、誰も怒らない」
「……」
「でも、ある日NULL化が始まった。最初は怖かった。でもだんだん、どうでもよくなった」
「どうでもよくなった?」
「消えても、誰も困らないかなって。お父さんも楽になるかなって」
シグマは少し間を置いた。
「……それで《BLANK》に行った」
「うん。誰かが声かけてくれた。優しい人だった。集会場に連れてってくれた。みんな、受け入れてくれた」
「お前を利用してるだけだ」
Hiroが顔を上げた。
「……え」
「《BLANK》は脆い人間を探してる。利用するために。お前みたいな奴を」
Hiroの目が揺れた。
「でも……優しかった」
「優しさで釣ってる。本当の目的は別だ」
「……何が目的なの」
「お前をコアに送り込むことだ。管理者の餌にすることだ」
Hiroが黙った。
震えている。
「……嘘」
「本当だ」
「だって、みんな言ってた。消えることは救済だって。楽園に行けるって」
「嘘だ」
シグマは真っ直ぐHiroを見た。
「消えた奴は、楽園なんか行ってない。コアの中で意識だけ囚われて、帰りたいって叫び続けてる。何千人も」
Hiroが息を飲んだ。
「……何千人」
「ああ。お前もそうなる。《BLANK》に従ってれば」
Hiroが立ち上がった。
後ずさる。
「……嘘だ。そんなの」
「嘘じゃない」
「なんで、そんなこと知ってるの。あんた誰」
シグマは立ち上がった。
「俺は神谷シグマ。ERROR BLADEだ。コアを壊しに行ってる」
Hiroが目を見開いた。
「ERROR BLADE……」
「聞いたことあるか」
「……《BLANK》で噂されてた。管理者が欲しがってるって」
「そうだ。だから俺も狙われてる。お前も狙われてる。違いは、お前がまだ間に合うってことだ」
「間に合う……?」
「NULL化率13パーセント。まだ戻せる。《BLANK》から離れて、安全なエリアだけ動けば、ゆっくり下がる」
Hiroが首を振った。
「でも、戻ったって何も変わらない。現実は変わらない」
「変わらなくていい」
「え?」
「現実を変える必要はない。ただ、生きてればいい」
Hiroが黙った。
シグマが続けた。
「親が離婚したのはお前のせいじゃない。友達がいなくても、成績が悪くても、お前が消えていい理由にはならない」
「……でも」
「でも、じゃない」
シグマの声が、少し低くなった。
「俺の知ってる奴が、消えた。コアに囚われた。現実では植物状態で眠ってる。家族が毎日病院に通って、目が覚めるのを待ってる」
「……」
「お前が消えたら、父親がどうなるか分かるか」
「……楽に、なる」
「ならない」
シグマは一歩、近づいた。
「後悔する。ずっと後悔する。お前に何を言えば良かったのか、何をすれば良かったのか、一生考え続ける」
Hiroの目に涙が浮かんだ。
「……でも、俺」
「お前は悪くない。ただ、運が悪かっただけだ。それだけだ」
涙が一筋、流れた。
Hiroが声を絞り出した。
「……どうすれば、いいの」
「《BLANK》から離れろ。二度と行くな」
「でも、あの人たちが」
「追ってくる。だから俺が何とかする」
「……何とかって」
「分からない。でも何とかする」
Hiroが少し笑った。
泣きながら笑った。
「……適当だね」
「適当だ」
「根拠は」
「俺が言ってる」
Hiroがまた泣いた。
今度は声を出して泣いた。
シグマは何も言わなかった。
ただ、待っていた。
十分が経った。
Hiroが泣き止んだ。
目が赤い。
「……ごめん」
「謝るな」
「でも」
「謝る必要はない」
Hiroが少し笑った。
今度は泣いていなかった。
「……あんた、変な人だね」
「そうか」
「うん。でも、悪くない」
シグマは頷いた。
「《BLANK》には行くな。ゲームもしばらく控えろ。NULL化率が下がるまで」
「……うん」
「何かあったら、俺に連絡しろ」
シグマはフレンド登録を送った。
Hiroが受け取った。
「……ありがとう」
「礼はいい」
「でも」
「でも、じゃない」
Hiroが小さく笑った。
「それ、さっきも言った」
「何度でも言う」
アイリスが静かに言った。
「……優しいですね」
シグマは答えなかった。
Hiroがログアウトした。
一人になった。
シグマは城壁に寄りかかった。
「アイリス」
「はい」
「Hiroの現実の情報、取れるか」
「……やってみます。でも個人情報なので」
「父親に連絡したい。息子の顔を見てやれと言いたい」
「……分かりました。探します」
シグマは空を見た。
「俺、余計なこと言ったか」
「いいえ」
「お節介だったか」
「いいえ」
「……そうか」
「シグマ」
「何だ」
「あなたは、正しいことをしました」
「根拠は」
「私が言ってます」
シグマは少しだけ笑った。
「……それ、俺のセリフだろ」
「学習しました」
「何度目だ、それ」
「何度でも言います」
今度はシグマが黙った。
「……お前、賢いな」
「AIなので」
「それだけじゃない」
アイリスが黙った。
沈黙が、少し温かかった。
──三日後 現実──
シグマのスマホに、メッセージが来た。
送信者:Hiro
「お父さんと、少し話した。
まだ全部は話せてないけど。
少しだけ、話した。
……ありがとう」
シグマは少し間を置いた。
返信した。
「ゆっくりやれ」
短い返信だった。
でも、それでいいと思った。
「アイリス」
「はい」
「Hiroは大丈夫か」
「NULL化率、11パーセントに下がっています」
「そうか」
「はい。このままいけば、一ヶ月で5パーセント以下になります」
「……良かった」
「はい」
シグマは窓の外を見た。
東京の昼。
晴れていた。
「一人、助けられた」
「はい」
「まだ、何千人もいる」
「はい」
「急ぐぞ」
「はい」
シグマは接続シートに横になった。
ログインする。
──ゲーム内 《廃都ヴァニタス》──
ログインした瞬間、違和感があった。
周囲に人がいた。
白いローブを纏った集団。
十人以上。
シグマを囲んでいた。
中央に、ゼクがいた。
笑っていなかった。
「神谷シグマ。いや、ERROR BLADE」
「……」
「Hiroに接触しましたね」
「ああ」
「我々の仲間を、引き離しましたね」
「仲間じゃない。餌だろ」
ゼクの目が、少し細くなった。
「あなたは誤解しています」
「誤解じゃない」
「我々は彼を救おうとしていた」
「嘘だ」
「嘘ではない。あなたこそ、彼に嘘を吹き込んだ」
シグマは剣に手をかけた。
周囲の《BLANK》メンバーが武器を構えた。
「今日は、お招きです」
ゼクが言った。
「《白使徒》が、あなたに会いたがっている」
「……断ったら」
「無理やりでも連れて行きます」
シグマは周囲を見た。
十人以上。レベルは高い。
勝てない数だ。
「アイリス」
「聞いています」
「ログアウトできるか」
「試します」
ログアウトボタンを確認した。
赤だった。
「……無理です。制限されています」
「そうか」
シグマは剣を下ろした。
「分かった。行く」
ゼクが微笑んだ。
今度の微笑みは、冷たかった。
「賢明な判断です」
集団が動き始めた。
シグマを囲んで、歩く。
廃墟の奥へ。
《白使徒》のいる場所へ。




