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──現実 東京 朝──

 シグマのスマホに、メッセージが届いた。

 送信者不明。

 本文は一行だった。


「消えた人の家族を、知っていますか」

 シグマは画面を見た。

 「アイリス」

 「見ています」

 「誰だ」

 「発信元を追っています。少し待ってください」


 数秒の沈黙。

 「……追えません。完全に匿名化されています。素人の技術じゃない」

 シグマはメッセージをもう一度見た。

 消えた人の家族。


 「返信するか」

 「……どうしますか」

 シグマは少し考えた。

 返信した。


「知らない。何が言いたい」

 三分後、返信が来た。


「会いたい。今日の午後三時。渋谷、宮下公園の北側のベンチ。一人で来てください」

 「罠の可能性があります」

 アイリスが言った。

 「分かってる」

 「それでも行きますか」

 「行く」


 「根拠は」

 「消えた人の家族、という言葉が引っかかる」

 アイリスが少し黙った。

 「……私も気になります」

 「なら行くしかない」


──渋谷 宮下公園──

 午後三時。

 公園は人が多かった。

 平日の昼間でも、若い人たちがいる。ベンチに座っている人、歩いている人、スマホを見ている人。


 北側のベンチ。

 一人の女性が座っていた。

 三十代くらい。黒いコートを着ている。膝の上に小さなバッグを置いている。


 顔が疲れていた。

 目の下に隈がある。最近、よく眠れていないような顔。

 シグマが近づくと、女性が顔を上げた。

 目が合った。


 「神谷シグマさんですか」

 「……そうだ。あなたは」

 「田中奈緒たなか・なおです」

 女性が立ち上がった。

 「弟が、消えました」


 近くのカフェに移動した。

 窓際の席。

 奈緒がコーヒーを両手で持っている。飲んでいない。温もりだけを感じているような持ち方。


 「弟の名前は田中悠たなか・ゆう。二十歳です。《Code:Null》のプレイヤーでした」

 「……いつ消えた」

 「二週間前です。ある朝、接続シートの前で倒れているのを発見しました。意識がなかった。病院に連れて行ったら、脳の活動が極端に低下していると言われました」


 「今は植物状態です」

 奈緒が少し俯いた。

 「意識だけが、どこかに行ってしまったみたいで。体は生きている。でも、悠はいない」

 シグマは何も言わなかった。


 「病院では原因不明と言われました。Void Systemsに問い合わせたら、接続ログが存在しないと言われました。うちの弟は、プレイヤーとして登録されていないと」

 「ログが消えてる」

 「はい。でもおかしい。私は悠がそのゲームをやっているのを見ていました。課金の記録もある。なのに、存在しないと言われた」


 シグマはテーブルの上を見た。

 「なぜ俺に連絡した」

 奈緒が少し躊躇った。

 「……悠の接続ログを独自に調べた人がいました。元システムエンジニアの友人が。ログは消えていたけど、消した痕跡は残っていた」

 「痕跡?」

 「消去処理のログです。普通は消えない部分。そこに、あなたのプレイヤーIDが残っていました」


 シグマは眉をひそめた。

 「俺のIDが」

 「プレイヤーID #0044-ERR。あなたのIDです。弟の消去ログと、同じ場所に記録されていた」

 「……意味が分からない」

 「私にも分からない。でも、唯一の手がかりだった。だから」

 アイリスが小さく言った。

 「シグマ」

 「聞こえてる」

 「あのIDは、コアのアクセスログに記録されている可能性があります。あなたがコアに触れた時の痕跡が、近くにいたプレイヤーのログに刻まれることがある」


 「つまり」

 「田中悠さんは、あなたがコアに触れた時に、近くにいたかもしれない」

 シグマは少し考えた。

 奈緒が不思議そうにシグマを見ている。

 「今、誰かと話していますか」

 「……相棒だ。スマホの中にいる」

 「え」

 「信じなくていい。でも、一つ聞く。弟のプレイヤーネームは」

 「……《Kou》です。コウ、と読みます」

 シグマの手が止まった。


 「……コウ」

 「はい。子供の頃からのニックネームで」

 シグマは窓の外を見た。

 東京の午後。人が流れていく。誰も立ち止まらない。

 「アイリス」

 声が、少し低かった。


 「……はい」

 「三話で見つけた遺留データ。《黒霧の回廊》周辺の廃エリアにあった声。覚えてるか」

 「覚えています」

 「男の声だった。『誰かいるか』と言っていた」

 「……はい」

 「田中悠のデータと、照合できるか」

 「……やってみます」

 シグマは奈緒を見た。


 奈緒が、シグマの目を見ていた。

 何かを読もうとしている目だった。

 「何か、分かりましたか」

 シグマは少し間を置いた。

 「……弟の意識は、消えていない」

 奈緒の表情が変わった。

 「え」

 「死んでいない。でも、体に戻れない場所にいる」

 「どこに」


 「ゲームのサーバーの中だ。意識だけが閉じ込められている。田中悠だけじゃない。同じような人間が、何千人もいる」

 奈緒が息を飲んだ。

 「何千人も……」

 「俺はそれを止めに行っている。全員を取り戻せるかどうか、まだ分からない。でも、やろうとしている」

 「……本当ですか?!」


 「本当だ」

 奈緒が目を閉じた。

 しばらく動かなかった。

 やがて、目を開けた。

 目に光が戻っていた。

 「……悠を、取り戻せますか」


 「約束はできない」

 「でも」

 「でも、やる」

 奈緒がバッグを開けた。

 中からUSBメモリを取り出した。

 「弟のアカウントデータです。友人が回収できた断片的なものだけど。役に立ててください」

 シグマはUSBメモリを受け取った。


 「一つ聞いていいか」

 「はい」

 「なぜ、俺を信用した」

 奈緒が少し微笑んだ。

 疲れた微笑みだったが、本物だった。


 「……信用したわけじゃないです。でも、他に頼れる人がいなかった」

 シグマは頷いた。

 「分かった」

 「悠を、よろしくお願いします」

 奈緒が頭を下げた。

 シグマは答えなかった。

 代わりに、USBメモリを握った。


──アパート──

 帰宅してすぐ、USBメモリのデータをアイリスに渡した。

 「解析します」

 数分の沈黙。

 「……やっぱり。田中悠さんのデータに、遺留データと一致する声紋があります」

 「コウだったのか」

 「はい。《黒霧の回廊》周辺で消えた。あなたとほぼ同じ場所です」

 「同じ場所で、同じ時期に」

 「おそらく、あなたがコアに触れた時に巻き込まれた可能性があります。あなたが生き残り、田中悠さんはNULL化した」

 シグマは椅子に座った。

 天井を見た。

 「……俺のせいか」

 「違います」

 アイリスが、珍しくはっきりと言った。

 「コアの事故はVoid Systemsの設計の欠陥です。あなたのせいではない」

 「でも、俺が生き残って、あいつは消えた」

 「それも、あなたのせいではない」


 「……」

 「シグマ」

 「何だ」

 「罪悪感を持つことと、責任を持つことは違います」

 シグマは少し黙った。

 「……どういう意味だ」

 「罪悪感は、あなたを止める。責任は、あなたを動かす。どちらを選びますか」

 シグマは窓の外を見た。

 夜になっていた。


 「……動く方だ」

 「はい」

 「コウを取り戻す。全員を取り戻す。それが俺の責任だ」

 「はい」

 「罪悪感じゃない」

 「はい」

 シグマはUSBメモリを見た。

 小さな、軽い物体。

 その中に、誰かの痕跡がある。

 「アイリス」

 「はい」


 「田中奈緒に、定期的に状況を報告する。約束した覚えはないが、そうする」

 「……はい」

 「それと」

 「はい」

 「お前が言った通りだった」

 「何が」

 「買い物は、来てから気づくものがある」

 アイリスが少し黙った。

 「……どういう意味ですか」

 「コウの家族がいた。それは来てみないと分からなかった」


 「……そうですね」

 「来て良かった」

 アイリスが静かになった。

 今度の静けさは、柔らかかった。

 「……はい。来て良かった」


──深夜──

 シグマが眠った後。

 アイリスはデータを処理し続けた。

 田中悠のデータ。

 三話の遺留データ。

 照合。一致。

 コアの中に、確かにいる。 


 「……悠さん」

 アイリスは呟いた。

 名前を呼んだのは初めてだった。

 コアの中の声が聞こえる。

 いつも聞こえる。

 「帰りたい」

 「誰か」

 その中に、悠の声もある。


 「……必ず」

 アイリスは小さく言った。

 誰にも聞こえない声で。

 「必ず、帰してあげる」

 東京の夜が続いていた。

 どこかの病院で、田中悠が眠っている。


 体だけが。


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