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──現実 東京 昼──
街で、最初に気づいたのはアイリスだった。
「シグマ」
「何だ」
「あの人たち、見てください」
スマホのカメラが向いている方向。
横断歩道の向こう。
五人の集団がいた。
年齢はバラバラだった。十代から四十代くらい。男女混合。服装は普通だ。特に変わったところはない。
ただ、全員の左手首に同じものがあった。
白いバンド。
細い、シリコン製のバンド。
何も書いていない。
真っ白。
「あのバンドが気になります」
「ただのアクセサリじゃないのか」
「全員が同じものをつけている。しかも利き手と逆の手首に。統一されている」
信号が変わった。
集団が横断歩道を渡ってくる。
シグマはそのまま歩いた。
すれ違いざまに、集団の一人と目が合った。
二十代の男。
目が、空っぽだった。
怒っているわけでも、悲しいわけでも、楽しいわけでもない。
何もない目。
すれ違った。
「……なんだ、あいつら」
「調べますか?」
「気になるな、頼む」
帰宅して、アイリスが情報を持ってきた。
「《BLANK》という集団です」
「聞いたことがない」
「ゲーム内の噂です。表には出てこない。フォーラムの深い部分、削除される前の書き込み、消えたプレイヤーの遺留データに断片的に名前が出ています」
「どんな集団だ」
「NULL化を、救済だと考えている。消えることで完全になれる、という思想を持っている」
シグマは少し黙った。
「自分から消えたいのか」
「はい。管理者を神格視している。コアを楽園だと信じている」
「……正気か」
「彼らの中では、正気です」
シグマは窓の外を見た。
さっきすれ違った男の目を思い出した。
あの空っぽの目。
「何人いる」
「把握できていません。表に出ないので。でも、今日見た五人は氷山の一角だと思います」
「ゲームの中にも?」
「はい。ゲーム内でも活動しています。NULL化が近いプレイヤーに接触して、勧誘している可能性がある」
シグマは立ち上がった。
「……レインに近づいてないか」
「確認します」
数秒の沈黙。
「今のところ、接触の形跡はありません」
「そうか」
「ただ、レインさんのNULL化率は知られている可能性があります。《BLANK》は情報網を持っている」
「どういうことだ」
「Void Systemsの内部に、情報を流している人間がいるかもしれません。NULL化が進んでいるプレイヤーのリストを《BLANK》に提供している」
シグマは眉をひそめた。
「つまり、Void Systemsと繋がってる?」
「……可能性があります。確証はない」
「調べられるか」
「時間がかかります。でも、やります」
シグマは椅子に座った。
「《BLANK》の拠点はどこだ」
「現実世界では不明。ゲーム内では、廃エリアのいくつかに集会場所があるという噂があります」
「廃エリア」
「《ヴァニタス》だけじゃない。廃止されたコンテンツエリアが《Code:Null》には十数か所ある。その中のどこかに」
シグマは少し考えた。
「潜入できるか」
「……危険です」
「できるかどうかを聞いてる」
「……できるかもしれません。ただし《BLANK》のメンバーとして潜入する必要がある。素性がバレれば」
「バレないようにする」
「……シグマ」
「何だ」
「一人で動くつもりですか」
「お前がいる」
「私は声だけです」
「十分だ」
アイリスが少し黙った。
「……分かりました。準備をします」
──三日後 ゲーム内──
《廃都ヴァニタス》。
今日はコアへの降下ではなかった。
東側の区画。今まで来たことがない場所。
廃墟が続いている。どこも似たような風景だ。朽ちた建物、荒れた石畳、色の抜けたテクスチャ。
「この先です」
「反応があるのか」
「プレイヤーの密集した反応が、廃墟の地下から出ています。十人以上」
「地下か」
「はい。入口はここから北に五十メートル。廃墟の壁の一部が、実はドアになっている」
シグマは歩いた。
廃墟の壁。
一見、普通の壁だった。テクスチャが剥げている。ひびが入っている。
だが触れると、わずかに光った。
「ここです」
シグマは壁を押した。
動いた。
内側に向かって、ゆっくりと。
暗い廊下。
下に続く階段。
「行くぞ」
「はい」
──地下集会場──
空間が広がっていた。
廃エリアの地下とは思えないほど、整然としていた。
円形の部屋。中央に低い台座。
壁に白いパネルが並んでいる。
そしてプレイヤーが、二十人以上いた。
みんな、白いローブを纏っていた。
現実世界でのバンドと同じ、白い色。
誰も喋っていない。
静かだった。
不気味なくらい、静かだった。
シグマは入口の影に立った。
「潜入成功ですね」
「集会中か」
「そのようです。もうすぐ始まる」
台座の上に、一人が立った。
顔は見えない。白いフードを被っている。
声が響いた。
「兄弟たちよ」
静かな声。
でもよく通る声。
「今日も集まってくれた。感謝する」
「我々は何を求めているか」
周りのプレイヤーが一斉に答えた。
「消滅を」
シグマは眉をひそめた。
「消滅は何をもたらすか」
「完全を」
「完全とは何か」
「NULLである」
台座の男が両手を広げた。
「そうだ。NULLとは消えることではない。完全になることだ。この不完全な肉体から、不完全なデータから解放されて、コアの中で永遠になる」
「……信じてるのか、本当に」
シグマが小声で言った。
「信じています。少なくとも、この場にいる人たちは」
アイリスが静かに答えた。
台座の男が続ける。
「管理者は我々を待っている。コアは我々を待っている。恐れるな。消えることを恐れるな。それは終わりではなく、始まりだ」
プレイヤーたちが頷いている。
一人が手を挙げた。
若い女性のプレイヤー。
「質問があります」
「どうぞ」
「私のNULL化率は、まだ3パーセントです。もっと早く進める方法はありますか。早くコアに行きたい」
台座の男が微笑んだ。
「焦らなくていい。管理者は全員を待っている。ただ、望むなら──」
男が懐から何かを取り出した。
小さなアイテム。
暗くて見えない。
「──これを使えば、進行が速まる。管理者から我々への、贈り物だ」
女性プレイヤーが頷いた。
シグマは奥歯を噛んだ。
「……アイリス、あのアイテムは」
「おそらくNULL化を強制的に進める何かです。Void Systemsの内部から流れているかもしれない」
「証拠は取れるか」
「今は難しい。でも──」
その時、シグマの隣に人が来た。
気づかなかった。
白いローブを纏った男。
「初めての方ですか」
シグマは顔を動かさなかった。
「……ああ」
「最近来られた方ですね。どうやって辿り着いたんですか」
「……噂を聞いた」
「そうですか」
男が微笑んだ。
「歓迎します。あなたのNULL化率はどのくらいですか」
シグマは少し間を置いた。
「……50に近い」
嘘ではなかった。
男の目が、わずかに輝いた。
「それは素晴らしい。あなたは選ばれた存在だ。管理者もきっと喜ぶ」
「……選ばれた?」
「NULL化率が高い者ほど、コアに近い。完全に近い。我々の中でも、特別な存在です」
シグマは黙って聞いた。
「よければ、もっと詳しい話を聞きませんか。案内しますよ」
「……ああ」
男が歩き始めた。
シグマはついていく。
「アイリス」
「聞いています」
「記録しておけ」
「分かりました」




