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──現実 三日後──
シグマは接続シートの前で座っていた。
スマホの画面にアイリスのアイコンがある。
「準備はいいですか」
「……ああ」
「嘘です」
「何が」
「声のトーンで分かります。準備ができていない」
シグマは少し黙った。
「NULL化率が50に近い」
「47.8パーセントです。まだ余裕があります」
「余裕、か」
「……言い方が悪かったかもしれません」
シグマは天井を見た。いつもの染み。変わらない。
「Guardian Alpha。あれより強い敵がいる」
「はい。副管理者が待っています」
「勝てるか」
「分かりません」
「正直だな」
「正直に言った方がいいと──」
「学習した。分かった」
アイリスが少し黙った。
「……怖いですか」
「怖い」
「それでも行く」
「行く」
「なぜ」
シグマは接続シートに横になった。
「……コアの声が、まだ聞こえるから」
アイリスが静かになった。
「私にも聞こえています」
「なら行くしかない」
「……はい」
シグマは目を閉じた。
接続開始。
──《廃都ヴァニタス》地下──
ログインした場所は、前回と同じ階段の入口だった。
シグマは剣を確認した。《NULL DRIVE》。黒と白が混ざった刃。変わっていない。
「アイリス」
「はい」
「今日は姿を出すな」
「え‥良いのですか?」
「管理者に位置がバレる。前回出たから、もう警戒されてる」
「……分かりました」
「声だけでいい」
「はい」
シグマは階段を降り始めた。
──深度120m 外層と中層の境界──
巨大な扉の前に立った。
前回開けた扉。今も開いている。
シグマは中に入った。
──中層 第一区画──
無数の光が浮いている空間。
意識の断片。
声が聞こえる。
「帰りたい」
「誰か」
「出して」
シグマは立ち止まらなかった。
前に進む。
塔が見える。Guardian Alphaがいた場所。
「門番はもういないはずです」
「分かってる」
塔の入口に入る。
螺旋階段。
上る。
──深度155m Guardian Alpha撃破地点──
階段の途中、戦った場所。
床に傷がある。戦闘の痕跡。
だが敵はいない。
「このまま上れます」
「ああ」
シグマは階段を上り続けた。
──深度180m 第一区画最上部──
階段が終わった。
広い空間に出た。
円形の部屋。壁がない。外が見える。黒い空間が広がっている。
中央に、何かがあった。
台座のようなもの。黒い石でできている。
その上に、光る球体。
小さかった。人の頭ほど。青白く光っている。
「これは」
「……第一区画のコアです」
「コア?」
「擬似コアです。本物ではない。各区画に一つずつある。これを破壊すれば、次の区画に進める」
シグマは台座に近づいた。
球体が脈動している。生きているような動き。
手を伸ばした。
触れた瞬間──
声が聞こえた。
一つの声。
男の声。
「──ようこそ」
シグマは手を引いた。
球体は変わらず光っている。
「今の声」
「……分かりません。擬似コアから何かが」
もう一度、声が聞こえた。
「──よくここまで来た」
「──だが、ここまでだ」
空間が歪んだ。
球体の前に、人影が現れた。
男だった。
いや、男の形をした何か。
黒いローブを纏っている。顔は見えない。フードの奥に、赤い光が一つ。
表示が出た。
名称:Sub-Administrator α(アルファ)
CLASS:副管理者
HP:???
LEVEL:???
副管理者。
シグマは剣を構えた。
「……副管理者、か」
「そうだ」
声がはっきり聞こえた。
ローブの男が動かずに喋っている。
「私はアルファ。管理者の意思を代行する者。中層を守る者」
「守る、だと」
「コアを守る。秩序を守る。NULL現象を守る」
シグマは一歩前に出た。
「NULL現象を止めに来た」
「止められない」
「やってみないと分からない」
アルファが初めて動いた。
フードの奥の光が、シグマを見た。
「ERROR BLADE。お前のデータは興味深い。コアに触れて生き残った唯一の存在」
「……知ってたのか」
「全て知っている。お前の過去も、お前の目的も、お前の限界も」
「限界?」
「お前のNULL化率は47.8パーセント。50を超えれば、加速が始まる。60を超えれば、意識の保持が困難になる。80を超えれば──」
「言うな」
「80を超えれば、戻れない」
シグマは何も言わなかった。
アルファが続ける。
「だからお前は、ここで終わる。これ以上進めば、お前が消える」
「……それでも進む」
「なぜ」
「理由はない」
「理由がないのに、命を賭けるのか」
シグマは剣を構え直した。
「命を賭けるのに、理由が必要か」
アルファが黙った。
少しの間。
「……理解できない。お前たち人間は」
「理解しなくていい」
シグマは地面を蹴った。
アルファに向かって突進。
《NULL DRIVE》を振り抜く。
刃がアルファに届く──
届かなかった。
空間が歪んだ。
刃が、何かに阻まれた。
目に見えない壁。
シグマは後退した。
「……何だ、これ」
「私に触れることはできない」
アルファが右手を上げた。
空中に光の筋が走る。アイリスが使っていたものと似ている。でも違う。もっと複雑。もっと禍々しい。
《SYSTEM OVERRIDE:REVERSE》
シグマの体が動かなくなった。
いや、動いている。
勝手に動いている。
意思に反して、後退している。
「なんだ、これ」
「お前の動きを書き換えている。ERROR BLADEといえど、データであることに変わりはない。データは、書き換えられる」
シグマは抵抗した。
前に進もうとした。
だが体は後退し続ける。
「シグマ!」
アイリスの声。
「私が干渉します」
「待て、姿を出すな」
「でも」
「声だけで何とかしろ」
「……やってみます」
数秒の沈黙。
シグマの体が止まった。
動ける。
「……今のは」
「システムを一時的に中和しました。でも長くは保ちません」
アルファが笑った。
初めて、感情らしきものを見せた。
「なるほど。防衛AIか。まだ生きていたのか」
アイリスが黙った。
「お前も興味深い。自我を持った防衛AI。本来あり得ない存在。バグだ。だが──」
アルファがもう一度手を上げた。
今度は両手。
空中に複雑な光の筋が走る。
《SYSTEM OVERRIDE:MULTI-LAYER》
シグマの体が再び固まった。
今度は完全に。
動けない。
「アイリス」
「分かっています。でも──」
アイリスの声が途切れた。
「──対処できない。レイヤーが多すぎる」
アルファが近づいてきた。
ゆっくりと。
シグマの目の前まで来た。
フードの奥の赤い光が、シグマを見下ろしている。
「お前たちは強い。だが、まだ足りない」
「……」
「今日は見逃す。帰れ」
シグマは声を絞り出した。
「なぜ」
「お前が消えるのは、まだ早い。もっと成長してから来い。その方が、管理者も喜ぶ」
「……何を言ってる」
「管理者は待っている。完全なERROR BLADEを。お前が完全にNULL化した状態を。それがコアの最後のピースになる」
シグマの背筋に、冷たいものが走った。
「……俺を、吸収するつもりか」
「そうだ。だからまだ死なれては困る。成長しろ。強くなれ。そして──」
アルファが手を下ろした。
シグマの拘束が解けた。
「──完全になったら、また来い」
空間が歪んだ。
シグマの体が後ろに飛ばされた。
意思に関係なく。
螺旋階段まで吹き飛ばされた。
──深度155m──
シグマは階段の途中で止まった。
アルファの姿は見えない。
擬似コアのある部屋まで、戻された。
「……畜生」
初めて、声に怒りが混じった。
「シグマ」
「分かってる」
「今日は撤退を」
「分かってる」
シグマはログアウトボタンを確認した。
青かった。
「次はどうする」
アイリスが少し黙った。
「……対策を考えます。あのシステム書き換えは強力です。でも必ず弱点がある」
「見つけられるか」
「見つけます」
「根拠は」
「……あなたが言ってるから」
シグマは少しだけ、笑った。
苦笑だった。
「それは俺のセリフだろ」
「学習しました」
「……そうか」
シグマはログアウトボタンを押した。
──現実──
接続シートの上で、シグマは天井を見た。
負けた。
完敗だった。
Guardian Alphaは倒せた。でも副管理者は次元が違った。
「……アイリス」
「はい」
「あいつが言ってた。俺を完全にNULL化させるつもりだと」
「……はい」
「つまり俺は、コアの餌か」
「……そういう見方もできます」
「最初から、そうだったのか」
アイリスが長く黙った。
「分かりません。でも、可能性はあります。ERROR BLADEという存在は、コアにとって特別なデータかもしれない」
「だから生かされてる」
「……はい」
シグマは目を閉じた。
「面白ぇな」
「え」
「餌として育てられてたのか、俺は」
「……シグマ」
「でも、それならそれでいい」
「いいんですか」
「餌が、食おうとした奴を倒す。それも悪くない」
アイリスが黙った。
今度の沈黙は、違った。
「……あなたは、本当に」
「本当に?」
「諦めない」
「諦める理由がない」
「根拠は」
「俺が言ってる」
アイリスが、小さく笑った。
初めて聞いた。
アイリスの笑い声。
データの声なのに、温かかった。
「……分かりました」
「何が」
「一緒に、倒しましょう」
「ああ」
「アルファも、管理者も、全部」
「全部だ」
シグマは起き上がった。
窓の外を見た。
夜だった。
東京の夜景。
明日、また行く。
何度でも行く。
それだけだった。
その夜。
Void Systemsの本社ビル、最上階。
モニターに映像が映っていた。
シグマとアルファの戦闘記録。
それを見ている人影が一つ。
「……ERROR BLADE。予想以上に成長している」
男の声。
年配の声。
「もう少しだ。もう少しで、完全になる」
モニターが消えた。
暗闇の中、男が立ち上がる。
「アイリスよ。もう少し待て。お前の最後のピースが、もうすぐ来る」
窓の外。
東京の夜景が広がっている。
どこかで、誰かが消えている。
いつものように。




