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悟りの境地

あたいは無財の七施を実行に移した。まずみんなに笑顔であいさつするようにした。無財でも笑顔であいさつ無料だ。やさしくするようにもした。体調が悪そうな囚人や顔色が悪い囚人がいたら気にかけてやって刑務官に頼んで薬をもらってあげたりもした。みんなが嫌がる面倒な仕事や汚い仕事も進んで引き受けてやった。

目も力を抜いてやさしくするように心がけて常に口の端を持ちあげ、やさしい声を発するように心がけた。髪もきれいにクシでとかした。いままでは髪なんて気にしたことなかったけど、美しさも無料で人に幸せを与えられる。とにかくあたいは与えることを意識したんだ。毎日毎日、ひたすらに無財七施を実践した。ほかにすることもなかったし、みんなに感謝されるから、きついけど辞めようとは思わなかった。

そうこうしているうちに評判が評判を呼んで面会者が多くなり、予約が取れない囚人として有名になった。あたいが相談に乗ってあげていた囚人が出所してあたいの良い評判を広げてくれたのがすべてのきっかけだ。

やはりわたしの日頃の行いは無駄ではなかった。山ほど増えた差し入れは囚人のみんなで山分けした。分け与えるのは仏教の基本でとても大事なことだ。

善きことをなし悪しきことを避けて心穏やかに清らかに暮らしていると囚人はみんなあたいに魅了されはじめた。面会に来た相談者は面会後みんなにあたいのすばらしさを広めてくれている。SNSを使って海外にも発信してくれてる。おかげであたいは海外でもちょっとした有名人なんだぜ。えっへん。

絵の上手い相談者が描いてくれたあたいの自画像は世の中に広まり冤罪の美少女として一躍有名になった。あたいに一目会いたくてわざと軽犯罪を重ねる者も出てきて社会問題になっている。あたいの存在感は日に日に増している。

すべて計算通りだ。あの夜、あたいの閃いた作戦はシンプルかつ非常に難易度の高いものだった。悟りを開いてみんなに悟りの境地とは何かを伝授して脱獄する。どういうことかというとあたいがブッダのような聖人になれば雑居房にいる囚人だけでなく刑務所の囚人全員があたいの弟子になり善人になる。その影響は刑務所を飛び越えて国中に広がる。

雨粒が波紋を起こして広がるように燎原りょうげんの火が燃え広がるようにやがて世界中に広がる。

世界中の全員が善人になれば買収された警察や裁判官、証人も善人になり良心にしたがって真実を語り始めるだろう。

亜駆男も最終的には善人になるはずだ。なんでこんな作戦を閃いたかといえば一冊の本との出会いがきっかけだ。

坊さんの真意が読めず仏教の本を片っぱしから読んでいると「悟りを開いた者が人類の1%に達すると世界は反転する」と書いてある本を見つけた。

つまりオセロの黒がぜんぶ白にひっくり返るのだ。悪人も全員善人になる。坊さんがあたいに無財の七施を勧めたのは無財の七施という修行を実践すれば魂が成長して悟りの境地に導かれる。悟りの境地をまわりに伝授していけば世界は反転して善人であふれかえりあたいは刑務所から解放される。そういう真意だった。

それがあたいにならできるって思ったんだな。熱い正義感やカリスマ性を見抜いていたんだろう。抜群に可愛くて美しい清らかな処女おとめでもあるし。

あたいは覚醒してもとの自分ではなくなるが、それ以外に脱出の道はないと判断した。悟りの境地に人類を導くには悟りの境地を説明できなければならないがそれもご安心だ。無財の七施を実践しつつさらに仏教の勉強を重ねたあたいは悟りを開き他人に悟りの境地を説明できる魂のステージにまで到達していた。

それらはすでにぜんぶ本に書いてあることだった。

悟りの境地とは自業自得、因果応報、輪廻転生、この真理を知っている者が悟りを開いた目覚めた人なのだ。

良い種をまけば良い実がなり悪い実をまけば悪い実がなる。まいた種は絶対に消えない。これが自業自得である。

カルマとは業(行い)。カルマは善業と悪業に別れる。人にしたことは良いことも悪いことも必ずすべて跳ね返る。今世なのか来世なのかもっと先なのかはわからないが絶対だ。これが因果応報だ。

お金はあの世には持っていけない。持っていけるのはカルマだけ。資本主義の現在の世界はマネーゲームでありお金を1番持っているものが優秀で偉い!となっているが実は現世は魂の修行の場であり徳を積むゲームなんだ。

ゲームのルールを知らずに生きている者が多くてルールを間違えてマネーゲームに走っている人間ばかりだけど実は現世は徳を積むゲームだ。

現世の行いによって天国行きか地獄行き。来世の能力や環境も決まる。

閻魔帳には現世で行った善悪のすべてが一銭の狂いもなく示されているという。あたいたちは何度も前世を繰り返しこれから何度も来世を繰り返す。これが輪廻転生だ。

昨今のエンタメ業界での異世界転生ブームも魂では前世や来世があることがわかっているから人々の魂が共感してヒットしてる。今世紀が魂の世紀と呼ばれるのは魂が目覚める人が増えているからだ。あたいにとっては追い風であり脱獄の大チャンスが到来してる。どうだいこれがあたいなりのニルヴァーナの説明だ。

話をまとめるとあたいは悟りの境地に人々を導き世界を反転させて脱獄しようと目論んだのだ。

亜駆男もまさかこんな方法で脱獄しようとは夢にも思わないはずだ。気がついた時にはもう手遅れで亜駆男の周りも善人に囲まれているだろう。無財七施は徳をかき集める行為でもあり、徳が一定の水準を超えて貯まるとコップから水が溢れるように急激に運が良くなるらしいからこの効果も期待している。

ある日、あたいが美しい姿勢を意識して宮沢賢治の本を読んでいると、少し他の人より体格のいいもと牢名主が喋りかけてきた。

「七瀬ちゃんのファン、どんどん増えてますね。竜の国だけじゃなくて世界中の国で評判になってるみたいですよ?冤罪の美少女いるって。世界的な署名活動もデモ活動も行われ始めたってウワサです」

あたいは驚いてみせる。

「あらあら。ほんとうですか?わたしのためにみんながんばってくれて嬉しいです」

「みんなもう七瀬ちゃんにメロメロですからね。七瀬ちゃんのような生き方をしようってみんな七瀬ちゃんを見習った行動を取り始めたみたいですよ。そのおかげで竜の国の治安はいまめちゃくちゃいいみたいです」

「良い影響があってよかったですわ。善人が増えるのは良いことです。平和になったのはみなさまに魂のレベルが上がっている証拠です」

テレビを見ていた同居人が叫ぶ。

「あっ、七瀬ちゃんを終身刑にした裁判官だよ!」

見覚えのある顔だ。裁判官は記者に囲まれて涙ぐんでいる。

「私が間違っておりました。亜駆男に脅迫されて大金と引き換えに七瀬さんの刑罰を歪めてしまったのです。300億ほどもらいました」

「なぜ自白したのですか!?」

「周囲の人々がみな善行を行うようになり、私の周りは善人で固められてしまいました。善人になるには過去の罪を懺悔する必要があります。大きな罪を背負ったままでは善人にはなれない。私は善人になりたいのです。たとえこの命、家族の命を失っても冤罪を生み出してはならない。無罪の人間の一生を無駄にしてはいけないと考えました!」

カメラのシャッター音がパシャパシャたかれる。すごいことになったぜ。会見場に執事やメイドがなだれ込む。

「あたしもです!」

「ぼくもです!」

執事とメイドたちは裁判官と同じく亜駆男に脅迫を受けて大金で買収されていたことを自白した。善人ばかりの世の中になり空気が清らかに澄み始めたせいで罪悪感に耐えきれなくなったんだ。あとは警察だけだが、どうなる?

テレビ画面が警視庁の会議室に切り替わる。

「七瀬さんの大富豪殺人事件ですが、事件にたずさわった現場の警察官全員が亜駆男に脅迫を受けて大金で買収されていたことを自白しました。裁判官、警察、証言者の全員が亜駆男に脅迫を受けて買収されていたことを認めたので七瀬さんは完全に無罪です。隠されていた証拠として亜駆男の指紋がついたナイフがあります。犯人は亜駆男で間違いありません」

雑居房は拍手に包まれた。刑務所中が拍手に包まれる。

あたいは戦いに勝利したことを確信して笑顔で涙をこぼした。





仏教の解釈は人それぞれだけど、異教徒の命を奪ってもいい、というような教えは完全に間違っていて独裁者が支配するために都合よく解釈した教えは絶対に認めてはならない。

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