無財七施
図書室で『無財の七施』について調べてみた。仏教関係だろうと思ったらあたりだった。本にはこう書いてあった。
「お金や物資がなくても誰でも実践できる7つの慈悲の行いで、「眼施」「和顔施」「言辞施」「身施」「心施」「床座施」「房舎施」を指します。優しい眼差し、穏やかな顔、優しい言葉、身体を使った奉仕、思いやりの心、席を譲ること、休息の場所を提供することなどで、自己の心を磨き、周囲を幸せにする仏教の教えです。
無財の七施 7つの具体例
眼施: 優しい眼差しや慈しみの心で人に接すること。
和顔施: 穏やかで明るい笑顔で人に接すること。
言辞施: 優しい言葉や思いやりのある言葉で話しかけること。
身施: 自分の体を使って奉仕したり、人の嫌がる仕事も喜んで行うこと。
心施: 他者の立場に立って心を配り、共に喜び、共に悲しむこと(心配り)。
床座施: 電車などで席を譲ること。場所や地位を譲ることも含む。
房舎施: 雨風をしのぐ場所を提供するように、相手に休息の場を与えること(家を提供するなど)
「無財」: 財産(お金や物)がなくてもできることを意味します。
「七施」: 7種類の布施(与えること)を指します。
目的: これらを実践することで、自己中心的ではない菩薩の心を養い、魂を磨き、周囲に安らぎを与えることを目指します」
ふむなるほど。んで、これを実践しろってことか?
「まだきみにはできることがある。無財の七施だ」ってことはそうなんだろ。これを実践することがなんで、ここから出られることにつながるんだ?まじでいみふだ。
あの色気のある教誨師について刑務官に聞いたら誰も知らねえときた。あいつは一体全体なにもんだったんだ?あたいのみた幻か?
あたいは本を借りて返った。本を手元に置きあぐらをかいて腕組みをして考える。
寝る時もずっと考えた。それでもわかんなかったから仏教関係の本を片っぱしから読み漁った。
1週間後の夜、あぐらをかいて瞑想している時、ついに答えを得る。そうか!そういうことか!しかし、でも、それは、いまの自分を捨てることになる。いまのあたいじゃなくてまったく別のあたいになっちまう。けどそれが、ゆいいつのここから出る方法だ。
あたいは暗闇の中で声を押し殺して笑った。なるほど、やってくれるじゃないかあの坊さん。あたいに自分を殺せって言ってんだよな。いいぜ、やってやろう。ほかにできることもない。あたいは閃いた脱獄計画を実行する決意を固めた。




