第8話 軍神うわつく
シャイン伯爵家の屋敷はバタバタとしていた。
王命によりへイーリスが嫁いでくる日がやってきたのだ。
そんな大切な日であるにもかかわらず、ラファーガの姿はいつものように執務室にあった。
ただいつもとは違ってソワソワしていて、執務室にいるというのに執務が進む様子はなく、執務机前の大きな椅子に座ったり立ったりしている。
執事エタンセルは普段とは違う主人の姿に苦笑を浮かべて言う。
「旦那さま、落ち着いてください」
「いや、でも……」
(イーリスさまが我が家に来るっ)
そう考えるとラファーガは落ち着かない。
王命によるラファーガとイーリスの縁組は、慌ただしい年末年始というタイミングであるにもかかわらず、スムーズすぎるほどサクサクと進められ、あっという間に同居が叶ってしまうことになった。
(この屋敷で私と一緒に生活をする)
ラファーガの心は、歓喜に震えた。
窓の外では雪が静かに降っているというのに、体は熱いし頬は赤い。
「そんなに嬉しいのでしたら、玄関ホールでイーリスさまをお待ちになればよろしいのに」
「いやいや、それは……まだ到着には時間があるし、早すぎるだろう?」
ラファーガは精悍な太い眉を情けなく下げた。
「そんな待ち構えていました、みたいな雰囲気を出したら、イーリスさまから気持ち悪がられそうだ」
「ふふ。歓迎の意を表すのは何の問題もございませんよ」
「そうか?」
信頼する執事の言葉に、ラファーガはせっかく座った椅子から腰を浮かせた。
だが続く言葉を聞いて固まった。
「だって旦那さまの奥方さまになられる方なのですから……」
「そこが問題なんだっ」
ラファーガは大きな声を上げるとエタンセルから顔をそむけて椅子にドカリと座った。
(私の気持ちを、知られたくない。これ以上、イーリスさまに嫌われたくないから……)
鍛錬場であっという間に自分を追い越した後輩を、イーリスは気に入らなかったのだろう。
挨拶もなしに鍛錬場へ来なくなったイーリスと再び顔を合わせるようになっても、よそよそしい態度をとられた。
武官と文官では、活動する場所が異なる。
だから再会できた頃には、ラファーガは既に【軍神】と呼ばれる立場になっていた。
そのせいか木で鼻をくくったような冷淡な態度を取られたり、殊更に距離をとる丁寧な態度を取られたりして以前のような気さくな雰囲気はない。
(私は軍神などという存在ではなく……鍛錬場で初めて会ったときのように、イーリスさまと再会したかった)
それは叶わない望みだとラファーガは知っていた。
(時間は戻らない。イーリスさまにとって軍神と呼ばれる私は憧れの対象のようだが……。男に欲望の眼差しを向けられると激怒するという噂は私でも知っている。私の欲望を知られたらダメだ)
窓の外へと視線を向けた執事が、何かに気付いて主人へと告げる。
「おや、旦那さま。イーリスさまがいらしたようですよ」
「え⁉ もう⁉」
執務室は2階にある。
ラファーガは驚いて椅子から立ち上がると、窓から外を見下ろした。
玄関前にストーム侯爵家の家紋の入った白い馬車が止まっているのが見えた。
「ああ、そのようだ」
ラファーガが馬車を眺めていると、中からイーリスが現れた。
銀色の髪を1つにくくり、青いリボンをつけている。
手足が長くてスラリとした体には、シルバーフォックスのマントを羽織っていた。
(イーリスさまは、今日も綺麗だ)
強い風に煽られてマントがはためく。
下に着ている銀刺繍のたっぷり入った青い生地の貴族服や、その袖口から覗くレースをふんだんに使った白いブラウスがチラリと見えた。
(そう言えば。イーリスさまは女性的に見えるからと、レースやフリルといったものを嫌っていたな。よくお似合いになるのに……)
無理矢理に着せられたのだろうと想像して、ラファーガの表情が思わず緩む。
その瞬間、顔を上げたイーリスと目が合った。
ドキリとラファーガの心臓が跳ねる。
イーリスは睨むようにこちらへ一瞥をくれると、不機嫌そうにプイッと視線をそらした。
(やはりイーリスさまは、王命に納得してはいない)
当たり前だと頭では納得していても、ラファーガの心はチクリと痛んだ。




