【第七話】
「先輩」
後ろから聞こえて来たのは聞き覚えのある声。振り向くとそこには悠木碧ちゃんが立っていた。
「ああ。どうしたの?」
「さっきまで春日部先輩と一緒に居ましたよね?」
「ん?そうだけど。見てたの?」
「はい。図書室から」
そう言って図書室を指差す。中庭は図書室から良く見えるからな。そして僕にはもう一つ良く見えたものがあった。
「ん?涼香?」
図書室に誰かと一緒に入って行くのが見えた気がした。それに気がついたのか碧ちゃんは僕の方を見てから視線を図書室に向けてからこう言った。
「涼香さんって私のバイト先に居た人ですか?」
「そう」
「先輩とどういう関係なんですか?随分仲良くされてたようですけど」
「ああ。幼馴染なんだ。高校まで一緒なんて腐れ縁って言った方が良いかも知れないけど」
「付き合ってたりしないんですか?」
「涼香と?ないない。涼香に聞いても同じ答えが返って来ると思うよ」
「そうなんですか。それで先輩は春日部先輩に告白でもしてたんですか?」
「ん?弁当広げてか?」
「それもそうですね。隣、良いですか?」
そう言って返事を待たずに隣に座ってきた。手には菓子パンが二つ。袋を開けて小さな口を開けて食べ始める。
「えっと、悠木さん、で良いんだよね?」
「はい。碧でいいですよ。後輩なんですし」
「それじゃ碧ちゃん。僕に何か用事?」
「用事と言う程じゃないんですけど、情報操作、ですかね」
そう言ってから菓子パンをちぎって口に運んだ。
「情報調査?何か調べに来たの?」
「いえ、調査ではなく操作、です」
「操作?誰の何を?」
「良い感じです。こうして私ともっとお話をしましょう」
「???」
碧ちゃんが何を言っているのか、この時は分からなかったんだけど、数日後に理由を知ることが出来た。
「きーちゃんさー。あの後輩ちゃんと最近仲良いじゃん?告白でもされたの?」
「ん?いや?されてないよ」
「なに?される予定でもあるの?」
「ないと思うけど……」
「中庭で何してたの?」
ああ、この前の……と言おうとしたところで涼香が図書室に誰かと消えたことを思い出したので逆に聞いてみた。
「涼香はあの日、誰と図書室に行ったんだ?」
「図書室?行ってないけど。私は二号館からの渡り廊下から中庭を見たんだけど」
「ん?そうなのか?てっきりあれは涼香だと思ったんだが……」
「見間違え?まぁ、同じ制服を着た人間が沢山いるんだし間違えても仕方がない。きーちゃんが私を見間違うなんて珍しいけど。で?中庭で何をしてたの?」
執拗に聞いて来るので起きたことをそのままに答えた。
「佳奈と話してから悠木さんが来たってことね。しかし、碧ちゃんかぁ」
「いや、向こうからそう呼んで欲しいって言われてだな」
なぜか弁明っぽい口調になってしまった。
「そう言う事にしておいてあげる。私は別にいいよ。碧ちゃんときーちゃんが付き合っても」
「なんでそうなるんだよ」
「だって嫌いじゃないでしょ?」
涼香はそう言って少し不機嫌な顔をする。不機嫌になるなら言わなければ良いのに。
「じゃあさ、仮に僕が碧ちゃんと付き合ったらどうなるのさ」
「うーん。どうだろ。応援、うーん。なんか長続きしなそう」
涼香はそう言ってアイスコーヒーをストローで吸い上げた。
「なんで?」
「だって佳奈のことが気になってるままで他の人と付き合おうなんてさ」
「なんだ?さっきの言葉とは繋がらないな。春日部さんに何か言われたの?」
「手紙」
ああ、そういえば。何時ぞや手紙を貰っていたな。何が書いてあったのか気になったので、これも機会だ、と思って聞いてみた。
「この前のやつか。なんて書いてあったんだ?」
「聞きたい?」
「勿体ぶるなぁ。気になるから聞いてるんだって。まぁ、プライベートなことだから言いたくなければ良いけども」
「んー。ま、きーちゃんになら良いかな。なんかね、佳奈と健吾君って繋がりがあるみたいなのよね」
「なに?みたいって。手紙にそういう内容が書かれていたんじゃないの?」
「ううん。直接的には書かれていなかったんだけども、文脈的になんとなく。うーん、なんて言うかな。手紙の内容を要約すると、私ときーちゃんの関係についての質問かな」
「そこになって樫野宮が出て来るんだ?」
「そう。それ。なんでだったと思う?」
「わからん。全くわからんぞ。そもそもなんて書いてあったんだ?」
「えとね、きーちゃんと私が付き合ってるとしたらそれを健吾君は知ってるのかー、って。これって健吾君のことを昔から知ってるから、こう言う質問になると思って」
ふむ……。樫野宮が僕と涼香のことについて何か知ってる可能性がある、と言うことかな。まぁ、僕の両親と樫野宮の両親は友人らしいし、涼香の存在について聞いていてもおかしくはないけども。でもそれが春日部さんとなんの関係があるのかな。
「わからん。本当に分からんぞ。で?その質問には涼香、なんて答えたんだ?」
「私ときーちゃんが付き合ってるのか、って質問?」
「そう」
僕はカフェオレに口をつけながら何気なく聞いてみた。真剣に聞いたら答えてくれないような気がしたから。
「付き合ってるって答えた」
「そうか。って、え⁉︎」
「だってさ。ここで付き合ってないって答えたら、きーちゃんのこと取られちゃうのかなって思って」
「いやいやいやいや。あらぬ誤解を生むだろそれ。それに涼香は僕と付き合いたいの?」
「きーちゃんはきーちゃんだからなぁ。付き合うとか考えられないや」
「やってることと言ってることが違うだろ……。明日、ちゃんと誤解を解くぞ。一緒に春日部さんに話さないと」
「それは嫌」
「なんで」
涼香が何を考えているのか分からない。本当は分かってるのかも知れないけど、分かりたくない。僕はそう思って語気を強めて返事をしてしまった。
「きーちゃんは私が誰かに取られたらどうする?」
「相手による」
「じゃあさ、健吾君だったら?」
言うと思ってた言葉が返ってきてすぐに返事をしようと思ったけども、喉から出掛かったところで飲み込んだ。
「やっぱりあの日の図書室、涼香だったんだな」
少しヤキモチを焼いているように思われたかも知れない。でも、僕は樫野宮にだけは涼香を取られたくないと思ってしまったのだ。
「佳奈ときーちゃんが中庭で話してた日?」
「そう」
「だから私は別の場所から……」
「どこから見たんだっけ?」
「えっと……」
「ほら。すぐに出て来ないじゃん」
すると涼香は観念したかのように話し始めた。僕はそれを聞きたいような聞きたくないような気持ちで言葉を待ったけども、聞いたらなにもかも終わってしまうような気がして話し始めた涼香の言葉を遮った。
「いや、いいや。いくら涼香だと言ってもプライベートなことはあるべきだと思うし、僕はそこに踏み込まない方がいいと思うし」
「それってきーちゃんはきーちゃんのプライベートには入ってくるな、ってこと?」
「そう言うわけじゃないんだけどさ。そもそも隠すようなことってないから」
「それじゃ不公平じゃん」
涼香はそう言ってから僕のカフェオレを手に取ってストローで吸い上げた。
「あ」
「間接キスだね?」
「今朝、野菜ジュースを回し飲みしたけどな」
「そこはもうちょっと焦ってよ。私の唇が安いみたいじゃない」
「そんなに高級なのか?」
そんな軽口を叩き始めていつもの間柄に戻りつつあって、安心感が心を包んでいった。
「先輩は小泉先輩のこと、高級に思ってないんですか?」
「わ!びっくりした。碧ちゃんか」
後ろからいきなり声がしたのでびっくりした。碧ちゃんはトレーを胸に抱えてちょっと不満そうな顔をしている。
「木下先輩は本当に小泉先輩とお付き合いしてないんですか?さっき春日部先輩に付き合ってるって言ったって……」
「なんだ。聞いてたのか。それは誤解だから、明日にも春日部さんに伝えようかと思ってて。な?」
「だから、それは嫌」
「って、なんでだよ」
涼香は僕と付き合ってる設定を春日部さんには突き通したいらしい。理由がよく分からないけど。本当に僕を取られたら嫌、とかそう言うのなんだろうか。
「ほら、やっぱりそういう関係なんじゃないですか。じゃあ、私も言ったほうが良いですかね」
「何を?」
「ごく単純な事なんですけど、私が木下先輩のことが好き、ってことです」
あまりにもさらりと言うものだから、反応が遅れてしまった。
「ええ⁉︎」
「そんなにびっくりしなくてもいいじゃないですか。だから、小泉先輩が木下先輩のことを離さないなら私も木下先輩のことを離しません」
そう言いながら碧ちゃんは涼香のことを半ば睨みつけるような態度を取った。これが修羅場ってやつなのか?そうなのか?
「えっと。悠木さんだっけ?きーちゃんの事はいつから?」
「入学して図書室に通うようになってからです。最初はちょっと良いかもって思ってたんですけど、本を借りる時に少し話をしたりしてるうちに」
「へぇ。きーちゃん、そんな事してたんだ」
「いや、返却期限とかの話をしてただけなんだが。ってか、涼香もほぼその場に居ただろう?」
「そうだっけ?まぁ、それはそれとして。きーちゃんはこの小さな後輩ちゃんからの告白に返事はしないの?」
「そんな急に言われてもさ……」
「返事はすぐにでなくても良いです。それに春日部先輩のこともありますし。アレです。もっと気軽に考えてください。春日部先輩にも小泉先輩にもフラれた時に私のところに来てくれればそれでいいです」
なんかフラれる前提になってるのが気になるけど。碧ちゃんは本気で僕のことを好きって言ってるのかな。表情を観察すると、僕と涼香がハッキリする様に仕向けているかのような。でもそんな事に自分の大事な話をでっち上げる様なことをするのだろうか。僕が腕を組んで考えていたらドアベルが鳴ってお客さんが入ってきたので、碧ちゃんは僕に一礼してから向こうに行ってしまった。
「だって。きーちゃんは保険持ちだ」
「そんな保険だなんて考えてないよ。そもそも涼香は僕のことをフるつもりあるのか?」
「まだ付き合ってないからわかんない」
「なんだよ。付き合ってる前提じゃないのかよ……」
涼香が何を考えているのか分からなくなってきた。僕のことを本気で好きになっているのか、単純に「幼馴染として」の僕を手放したくないだけなのか。長年の付き合いでも女の子の心の中は分からないものだ。秘密がいっぱい蜜の味。気になるとそれに夢中になってしまう。
僕はそんなことを考えながらアイスコーヒーを飲む涼香の横顔を眺めていた。