【第十七話】
「きーちゃんおはよー」
「いきなりだな。そのきーちゃん、やめるんじゃなかったのか」
「あ、そうか。それじゃ改めて。木下君、おはようございます」
「うっわ、気持ちわりー」
「なんでよ。丁寧に挨拶しただけじゃない」
お尻を思いっきりカバンで叩かれてしまった。
「本当に仲が良いですねぇ。でも良いんですか?そんなので。依子から聞きましたよ?」
後ろから碧ちゃんが顔を出してきた。
「あ!なんで黙ってたのさ。昨日はびっくりしたよ本当に」
「だってなんて言うんですか?妹は芸能人やってます、とか紹介した方が良かったですか?」
とここで一つの疑問が湧き上がった。
「碧ちゃんはさ。涼香が今回のドラマに出るって依子ちゃんから聞いてたの?」
「知らなかったです。って、本当ですよ?」
「疑ってないって。まぁ、キャストは昨日の記者会見で初発表って言ってたし。守秘義務みたいなのあるんでしょ?」
「そうだな。事前にバレたらニュースんならないからね」
と、後ろから樫野宮も首を出して来た。
「なんだ。昨日に引き続き、みんな揃ったな。でもこうしていた方が変な事を言われないでも済むかも知れないな」
「そうね。木下君!」
「なんだよ。よそよそしい」
「だってそう呼んだ方がいいんでしょ?」
そうなんだけど。そうなんだけどなんかやっぱり違和感がある。呼ばれる違和感じゃない。涼香との距離が離れてゆくようなそんな感覚。まったく、何を考えているのか。
それからは撮影があるとかで涼香は授業をパラパラと休むようになった。もちろん樫野宮もセットなわけだけど。
「木下先輩。やっぱり寂しいんですか?そんなの出しちゃって」
僕が図書室のカウンターでヒヨコのマスコット人形を手に握っていたら碧ちゃんがカウンターに入って来てそんな事を言う。
「寂しいというより、なんだろうな。涼香だけ大人になってしまったような感覚だな」
「やっぱり寂しいんじゃないですか。慰めてあげますよ?私が」
「大丈夫だって」
碧ちゃんはふーん、と言いながら椅子を持って来て僕の隣に座ってきた。
「木下先輩は本当に小泉先輩のことをなんとも思ってないんですか?」
「なんとも、の意味が分からないけど、碧ちゃんが思っているようなことはないと思うよ」
「それじゃ、私と付き合ってください」
目線をこちらに向けるでもなく、碧ちゃんはまっすぐにそう言った。
「その答えはちょっと時間くれるかな」
「はい。はぐらかされると思ってました」
「そんなことはしないよ。だって本気なんでしょ?」
「はい」
面と向かって告白されるなんて初めてだ。以前にも碧ちゃんには言われたけども、あの時は碧ちゃんも戯けていた様な空気があった。でも今回は違う。だから僕も真剣に考えなくてはならないのだ。
「一人、なのかな?」
「春日部さん。そうですね。今日は一人です。朝から撮影があるとかで」
「なんだ。連絡は取り合っているのか」
「向こうからメッセージが飛んでくるんですよ。明日の予定とかいって」
「構ってもらいたいのかも知れないな。いきなり芸能界に入ったんだ。不安になることもあるだろう。その辺はしっかり支えてあげて欲しい」
「春日部さんは僕との関係ってどう思っているんですか?」
「例の件か。その……なんだ。すまないな」
「良いんですよ。分かってましたから。でも春日部さんも一枚噛んでいるとか思ってませんでしたけど」
「本当にすまない」
「だからいいですって。でもなんでそんな事をしたんですか?」
「それは内緒。色々あるんだよ。こっちの世界では」
色々。本当に色々とあるようだ。
翌日のスポーツ新聞に涼香と樫野宮がホテルに消えていった、というスッパ抜きの記事が踊っていたのだ。
僕は朝の情報番組でそれを目にして信じられないような、どこか諦めていたような。そんな気持ちが入り混じった感情に襲われていた。
『きーちゃん、どうしよう』
そんな時にスマホが震えたと思ったら涼香からメッセージが届いたのだ。
「どうするって……」
返事をしようか迷ったけども、ここで見捨てることは出来なかった。
『なにをやってるんだよ……』
『違うの。撮影だったの。健吾君が撮影だから一緒に行こうって……』
『スタッフさんも一緒だったの?ってか、そもそもホテルに入ったのか?』
この一言を打ち込んでいて手に汗が出てきた。本当に樫野宮とホテルに入ったのなら僕はどうすれば良いのか。
『入ってない!なんか変だなって思ってすぐに断ってその場を離れようとしたの。そしたら一緒にいたはずのスタッフさんも居なくなってて……。きーちゃん、私どうしたらいい?』
ひどく狼狽しているだろう。しかし、この報道は釈明会見でもしないと火が収まりそうにない。まずは社長さんに相談、だろう。
ピンポーン
「あいつ、まさか」
インターホンがなってカメラを覗くと案の定、涼香がスマホを胸に抱えてオートロックドアの前に立っていた。帰れとも言えないし、こんなところを更に撮影されたらどうなるか……。
「きーちゃん、涼香ちゃんでしょ?入れてあげなさい」
母さんはそう言って僕に代わってインターホンに出た。
「涼香ちゃん、今から開けるけれど、周囲に誰かいない?きーちゃん、行かせようか?」
「誰もいない、と思います。でも見えない所からカメラが向いてるかも知れません」
「分かった。今開けるから急いでエレベーターに乗って」
そして数分後に家の玄関ドアチャイムが鳴って涼香がやってきた。
「キーちゃん、どうしよう」
「まずは落ち着いて。社長さんには連絡したの?」
「まだ」
「まずはそこからでしょ。電話番号わかる?」
涼香は頷いて電話をかけ始めた。でも間違いなく今どこにいるのか聞かれるだろうし、その場合はどうすれば良いのか。幼馴染の家に来ているというのはどうなのかと思ったけども、涼香の両親はこの時間もういないだろうし。
「あの……梓川社長?今、大丈夫ですか?はい、そうです。その件です。今ですか?木下君の家に。はい。はい。きーちゃん、代わってって」
そう言ってスマホを寄越されたので、そのまま電話に出た。
「木下君か。まずはお詫びからかな。うちの涼香ちゃんが申し訳ない。聞きたいことは色々あるだろうけど、しばらくの間、匿ってあげてくれないか。マスコミが追いかけてるだろうから」
「それは構わないんですけど、今回の一件、樫野宮とも連絡ついてるんですか?」
「彼は……まだ連絡がつかない」
「ドラマ、どうなるんですか?」
「現時点ではなんとも言えないな。でもこんなことがあったんだ。正直厳しいかと思う」
現時点では放送はまだされていない状況だ。キャスト変更で進められるのだろうか。いや、今はそんなことよりも涼香のことだ。
「涼香からは樫野宮に撮影だからって連れられて行ったとの事ですが。なんでもスタッフさんも一緒にいたとか。これはどういう事なのでしょうか」
「スタッフも一緒だったのかい?」
「涼香からはそう聞いてます」
「まずいな……いや、その件はこちらで対応しよう。兎に角、しばらく家から出ないほうがいい。君もね」
だとは思っていたけれど。やっぱり僕もマスコミに狙われるのか。
ピンポーン
「ん?誰だ?」
またしてもインターホンが鳴ってカメラを覗いたらそこには悠木姉妹が居た。
「あいつら……」
事がさらにややこしくなる可能性がある。依子ちゃんも社長さんに話をしているのだろうか。そんなことを考えながらマイクをオンにしたら、碧ちゃんが捲し立ててきた。
「小泉先輩、ここにいるんですよね⁉︎どういうことなんですか⁉︎何があったんですか⁉︎」
「碧ちゃん、まずは落ち着こうか。涼香はウチにいるよ。でもここに依子ちゃんも来たらややこしい事にならないかい?」
「もう手遅れです」
そう言って身を引いたら、そこには橘さんが居た。漫画の編集者といっても出版社の人間なのは変わりはない。このネタを持って週刊誌の部署に持ち込んだら良い話題になるだろう。ここで追い返すのは簡単だが、橘さんもこちらに来てもらった方が有利になるかも知れない。
「分かりましたよ。今開けますね」




