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【第十三話】

 今日は十一月三十日。樫野宮がこの学校にやって来てから二ヶ月が過ぎようとしていた。今年の冬の訪れは早く、一応まだ十一月だというのにコートにマフラーを引っ張り出してくる事になった。

「やあ、おはよう」

「お。おはよう。樫野宮もコートか。寒いもんなぁ」

 交差点で樫野宮と出会って首をマフラーに埋めながら一緒に学校に向かって歩き出した。樫野宮の事は周りの人間も一通り落ち着いたようだ。今月の初旬くらいはサインを貰って来てほしいとか言われて大変だったけども。と、そういえば涼香はサイン貰ったのかな。

「樫野宮は涼香にサインとか渡したりしたのか?」

「サイン?欲しいって言われてないけども。それより今日は小泉さんはいないの?」

 樫野宮はそう言って辺りを見回している。僕よりも頭ひとつ背が高いのでよく見える事だろう。

「涼香のやつ風邪を引いてな。熱があるからって今日はお休みだ。放課後にお見舞いにでも行くか?」

「うーん。残念だけど今日は午後から仕事が入ってて。夕方……ちょっと遅くなるかもだけど行っても失礼な時間じゃなければ行く事にするよ」

「そうか。しかし、涼香の部屋に樫野宮が入って行ったら失神しそうだな」

「そんな事ないと思うよ。この前手を繋いで歩いたりしてるし」

「そうなの?涼香のやつ、なんともなかった?」

「別に。特に何もなかったよ。そりゃ少し恥ずかしそうにしてたけども」

「でもそんなことして変な噂が広まったら困らない?」

 そもそもどこでそんなことをしたのか。正直、涼香と僕は今まで以上に一緒にいる時間が長くなった気がするし。放課後も図書室に一緒にいるし、一緒に帰ってるし。いつ樫野宮と会っているのか分からん。

「そうそう。噂といえば春日部さんと僕が付き合ってるっていう噂、知ってるかい?」

「聞いたことはあるな」

 本人の口から出て来るとは思ってなかったけども、事の真相が分かればと思って突っ込んでみた。

「して、その真相は?と、噂の出所も知ってたりするの?」

「真相って。木下君は知ってるでしょ?それに噂の出所は僕にも分からない。でも下級生の方で噂の色が濃いような気がするね」

 ふむ。碧ちゃんが気がつく位だから下級生方面で噂になっているのは理に適ってるな。問題はなんでそんな噂になってるか、だ。僕は周囲を確認してから小声で聞いてみた。

「春日部さんと事務所に一緒に入って行くところを見た、とかそういうのはないの?」

「うーん。同じ事務所って言っても部門が全然違うから一緒に入って行ったりしないよ。それに僕はいつも迎えの車で向かってるし」

「そうか」

 一つの可能性が消えた。残る可能性は学校での出来事になる訳だが……。春日部さんは相変わらず孤高の人という感じだし、樫野宮と教室で仲良く話をするなんて場面は見たことがない。というより、僕とも濃い接点がまだ無いと言った方が良いかも知れない。

 

 午後になって樫野宮は仕事へ。僕は昼休みに春日部さんに放課後図書室に来て欲しいと伝言をメモ書きで伝えて。涼香のお見舞いも考えたけども、僕一人で学校にいるタイミングはそんなに無いから、良い機会だと思って誘ったわけで。

「あ。春日部さん。こっちです」

 図書室で僕を探していたようなので、書架の間から顔を出して手招きをした。なんか密会してるようでワクワクするな。

「遅くなってごめんなさい」

「大丈夫ですよ。まだ十七時ですし。閉館は十八時なんでまだ一時間あります」

 この時間まで何をしていたの?と聞いても良かったのだが、そこまで束縛するほど進展していないというか。

「それで、何か話があるみたいだったけど?」

「あ、はい。その、噂、知ってます?」

「私と樫野宮君が付き合ってる、っていうやつかしら?」

「はい。それです。僕も噂の出所を探してるんですけど、分からないんですよ。何か知ってますか?」

「うーん……。これは話すべきか……」

 春日部さんは腕を組んで唸っている。何か知っているというのだろうか。話すべきか、ということは答えまで知っているのか。しかし、その答えは意外なものだった。

「これは本人と周囲には内緒にしておいた方が良いと思うのだけれど……」

「本人?ですか?」

「そう。噂を流した張本人。聞いたらビックリするだろうけど冷静に聞いてね」

 そう言われて思わず生唾を飲み込んでしまった。そして……。こういう時は嫌な予感だけが当たるのだ。

「そ、そんなことは!第一、理由が分かりませんよ!」

「だから冷静にって言ったじゃない。理由は私にも分からないけども。でも悠木さんに頼んだことだから間違いはないと思うのよね。あの子、情報屋みたいなところあるじゃない?」

 確かにそんなところはあるけれど。それにしたってなんで涼香がそんな噂を流す必要があるのか。

「この後、お見舞いついでに聞いてみます」

「だから冷静にって。そんなの聞いたら小泉さんが……」

 言わんとしていることは分かる。それになんでそれを知っているのか、と逆に聞かれたらどうするのかもある。

「はぁー……ふー……」

 僕は深呼吸をしてから事の経緯を春日部さんから聞いた。

「その事情ですと自分が樫野宮と付き合っていることを隠すためのフェイク、って事ですかね?」

「その可能性もあるけれど……」

「けれど、何かあるんですか?」

「これは私の想像でしかないから、という前提で。小泉さん、本当はあなたと付き合いたいんじゃないかしら。噂が本当になれば自分はフラれて自由になれる。そうしたら……」

「でもそれって僕が春日部さんにフラれる前提ですよね?」

「そこなのよ。そこをどう考えているのかが分からないのよね……」

 二人とも考えてしまって会話が途切れた。

「あれ?こんなところで何をしてるんですか?あ、お邪魔でしたか?」

 通路からヒョコッと碧ちゃんの顔が出て来てちょっとビックリしてしまった。

「べ、別に何もしてないからな!」

「いや、なにも聞いてませんって。これから何かする予定だったんですか?だったらやっぱりお邪魔でしたかー。すみませんねー」

 コイツ……隣の書架で今のやりとりを聴いていたな……。でも良い機会なので今回の出来事について聞いてみることにしよう。

「碧ちゃんは例の噂の震源が涼香ってどうやって調べたんだ?」

「そうですねぇ……」

 この反応、やっぱり聞いてやがったな。

「正直なところ、想像も一部ありまして。でも確定的なこともありまして。総合的に判断すると震源は小泉先輩、なんですよ」

「その想像と、確定ってなに?」

「うーん。情報屋としては情報源の公開は御法度なんですよねぇ」

「自分で情報屋って言うのかよ。して?この情報の確度はどのくらいなんだ?」

「個人的な見解ですと八十パーセントってところです。少々引っかかるところもありますので百にはならないというか」

 もう一度整理して考えよう。涼香が樫野宮と春日部さんが付き合ってると噂を流した理由はなんだ?そんなことを自分が流したって樫野宮に知られたらどうなるのか火を見るより明らかだろうに。それ以上の何かメリットが……。あ……。

「知っていた?」

「何をです?」

「あ、いや。これは僕の見解だから非開示で」

 そうだ。涼香が春日部さんも同じ事務所で声優の仕事をしていると知っていたら。その二人が交際していると事務所に知られたら。契約は解約、晴れて樫野宮と自分はなんの障害もなく付き合える。でもあの涼香がそんなことを考えるか?

「木下先輩。私、もう一つ別の噂も知ってるんですよね」

「なんだ?」

 僕は思案に浸っていて生返事を返したのだが、その内容を聞いて意識をそちらに向けざるを得なかった。

「春日部先輩、なんか怪しいバイトしてるっていう話です」

「怪しいバイト。なんで?」

「なんか変なビルの地下に入っていくのを複数の生徒が目撃してるらしいんですよ。ドアの入り口には何も書かれていないらしくて」

 なるほど。十中八九収録スタジオだろう。でも複数の生徒に目撃されているということは、仕事について白日の元に晒されるのは時間の問題のような。

「木下先輩は春日部先輩から何か聞いてないんです?って、目の前にいるんですし、私から聞いても良いですか?」

「僕は構わないけど……」

 ここで否定する方が怪しまれると思ってそう答えたんだけども。春日部さんはいとも簡単に種明かしをしてしまった。

「悠木さんには先に言っておいた方がいいかしらね。私、声優業をやってるの。その怪しい場所っていうのは多分だけど収録スタジオかな。ついでに言うと樫野宮君と同じ事務所なの。だから私と樫野宮君が付き合ってるって噂は、その事を知ってる人が言ってる可能性が高いわね」

「ええ⁉︎そうなんですか⁉︎じゃあ、噂も当たらなくとも遠からずって感じじゃないですか。でも実際問題、樫野宮先輩と春日部先輩の関係ってどうなんですか?」

 碧ちゃんは僕が思っていたことをズバッと聞いてくれた。

「事務所の同期でクラスメイト、それ以上のことは無いかしら。でも私の事務所のことを知ってるのは……」

 そう言って春日部さんは僕の方を見てきた。確かに僕は樫野宮から聞いてたけども、春日部さんには話してないし、ここでシラを通すのは簡単だが。さて……。

「んー。木下君は知らなかった?本当に?」

 そう言って僕のことを下から覗き込んできた。正直答えに迷う。知っていたとなると誰から聞いた、って話になるし。知らなかったと答えた方が情報源の樫野宮に迷惑がかからないだろう。そう思って答えようとしたら春日部さんが追加の質問を投げてきた。

「知ってたでしょ?そうだなぁ。聞いてるとしたらやっぱり樫野宮君からかしら?でも隠す意味ってなんでしょうね」

 余計に疑われてしまった。近いうちにバレることだと思うし、樫野宮にスマンと思いながら、首を縦に振ってから言い訳をする。

「春日部さんから言われるまで待ってようと思って」

「でも知ってたんでしょ?だったら事務所の意向ってやつも知ってるんでしょ?私とどうするつもりだったの?」

 この話の誘導はさっき僕が涼香に思っていたことを春日部さんが僕に対して疑いを持ち始めていると言うことか。つまり、樫野宮と春日部さんが付き合ってると噂を流したのは僕だと。

「うーん。なんか木下先輩、困ってます?もしかして今回の一件っていうのは木下先輩の思惑があってのことだったり?」

「いや、それは無いかな」

「それは、ってことは何かあるんですよね?」

 さすが情報屋。言葉の端を見逃さない。なんて感心している場合じゃない。ここで何もないって答えたら余計に詮索される事になるだろう。僕は適当にはぐらかそうとして、こう答えた。

「この件が表に出たら、事務所がなんて言うかなって考えてた」

「やっぱりそれですか」

 上手くはぐらかす事が出来たようだ。僕が本当に考えていたのは本当の噂の根源は碧ちゃんなんじゃないか、と言う事だった。話が出来過ぎている。そう感じたのだ。実情を知ってる人間じゃないと組み立てられないような事態。でもそんな噂を流す理由が見当たらない。仮に樫野宮と春日部さんが本当に付き合ってたとしらた事務所を退所させられる。そしたら僕と春日部さんは大手を振って付き合うことが出来てしまう。僕のことを好きだと言っている碧ちゃんに何のメリットもない。そんなやりとりをしてたら十八時の図書館閉館の時間になってしまった。

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