思いは巡るのか
お母さんが死んだ時、悲しかったしびっくりしたけど、なんだか納得した。
お母さんが選んだ掛け物に包まれた年季の入った掘り炬燵に入り、私はぼんやりとしている。外は秋に片足を突っ込んでいるせいで、暑いのに寒い。誰もいないただ広いだけの家は、私を放っておいてくれるので、こうしてボケーっとできている。このままでは私はいつまでもこの状態で腐る気がする。
今私は悲しいのか、辛いのか、なんとも言葉にできない気持ちの上にいる。その結果ぼんやりしている。お母さんがそんなことするはずない!って思えるほどお母さんのことをよく知らないから、死んだことは結果として悲しいけど、どうして死んだのかと言われるとわからない。私が決めつけても仕方ないし。
優しい時と怒った時の差がある人だったから、見せないだけで気分の波は激しかったんだろう。綿密な計画の上での結果なのか、「今日はラーメンでいいか」程度の思いつきだったのかはわからなかった。
発見したのは母方のおばあちゃんだった。私はその時の状況をほとんど聞いていない。おばあちゃんはほぼ狂乱状態、おじいちゃんはずっと下を向いていた。その時の状況というか、発見されてから荼毘に付されてある程度終わるまで、私はほぼ覚えがない。パパとおばあちゃんたちがバタバタと動き、お母さんの死が葬儀屋さんのスケジュールにみちみちと詰め込まれていっただけだ。
箱に寝かせて、蓋をして燃やす。骨になる。という段階は知っていたが、体験してしまうと、そんな単純なことではなかった。こんがり焼けました。はいどうぞ。とはならない。
あの箱で寝ていたのはお母さん。この骨はお母さん。とルビを降らなくてはお母さんだと思えない。私が生まれてからずっとそばにいたお母さんだとは。弔うと言うより、遺体を処分しやすいように処理し、片付けているといったように感じてしまう。人間だったものでありお母さんだった粉。
写真で顔を見ようにもお母さんは飾ってある写真にほとんど映っていないので、私が生まれる前の結婚式の写真が入ったフォトフレームを手に取った。壁に飾った写真は赤ちゃんから中学にかけての私の写真だが、1枚だけ結婚式の写真がシンプルなフレームに入っていた。
元々寝ない人だったから30手前のお母さんはすでにクマがひどかった。随分前に卒業アルバムで確認した15歳のお母さんもすごいクマで、いかにも寝てませんといった顔だった。嫌々に撮った写真だとわかるくらい口元だけが引き攣っていて、こんな人だったよなぁとぼんやり思い出す。
ママの写真を見た後は、思いつきで居間から庭へ移動する。
よく一緒に遊んだ庭に出て、サルスベリの木に触れる。つるんと滑らかな木はずっとお気に入りだ。
おばあちゃんが開拓した庭は、元々向こうも見えないほどの木々があった。おばあちゃんが草も木も刈り、土を踏み固めて、ステップストーンをたくさん敷いて歩けるようにした。小さい頃秘密基地を作ったりして遊んだ庭。もう遊ぶ子供もいないけれど、壊したり直す気にならなかった。
程よく風を感じたあと、少し肌寒いので家に入り、台所へ向かう。よく言えば古民家のこの家は築70年。ちょっとしたリフォームを挟み、床や壁は真新しいものになっている。昔の家なので広い玄関から廊下を歩き、ガラガラと台所に通じる引き戸を開けた。
ひいばあちゃんやばあちゃんが残した、壁に据え付けられた木の食器棚は私が小さい頃のままだ。変わり映えのない木の手触りに、良くも悪くも懐かしさを感じずにはいられない。
小さかった頃、棚の上に置いてあるお菓子をとろうとよじ登っても、ママは怒らず、やってみな〜と笑っていた。
お皿を避けて足場を作ったら、よじ登る途中足がぶつかりお皿を何枚か粉々にしてしまったことがある。
怒られずに済んだし、心配されただけだったが、この棚だけでもたくさんの思い出がある。私は食器で遊ぶのが大好きだったが、よく好き勝手やらせてくれたと思う。おままごとはもっぱら本物を使ってやったものだった。
家族が減り、あとは私とパパが使うだけなのだが、食器棚にはほとんど食器はない。ご飯と味噌汁の茶碗、大皿中皿小皿といった物が2枚のずつあるだけだ。収集癖のあるばあちゃんが亡くなってすぐ、使っていなかった食器たちはママが処分した。避難所じゃないんだから、こんな皿の山は必要ないし、地震の時怖いでしょ?とパパをなだめすかして、ダンボール2つ分の食器は姿を消した。
幅120cm 高さ180cmほどの食器棚は、昔とは比べられないほどスカスカだ。
小さいころから使っているてんとう虫の書いてあるマグカップ、ジブリキャラクターのガラスコップなどは捨てずにとっておいてくれていたので良しとする。
コーヒーでも飲むか。
私はカップにインスタントコーヒーをパラパラと入れた。面倒なのでスプーンは使わない。適当にお湯を注ぎ、牛乳を注ぐ。コーヒーを飲みながらママのものがないか確認のために台所にきたが、ママのものはほとんどなかった。食にこだわりのほぼないママが食器にも興味ないのは当然かもしれない。
そうこうしてるうちにガタガタと庭の駐車場に白い軽が入ってきた。
「お父さんおかえり。」私は子供のころのように玄関まで出迎えた。
「ただいま」お父さんは穏やかに言った。
最近はお母さんのことがあったので白髪がさらに増えた気がする。お父さんは持ってきた紙袋を台所のテーブルに起き、中身を出した。
「ユウ、そうめん食べる?会社でもらってきたんだ。あったかくして食べようか?」
「ちょい寒いけど、冷たいのがいいな。私茹でるよ。」
「ありがとう。汗かいたからお風呂に入るね。」
「ほいほい。そうめん準備しておくね。」
お父さんはお風呂場に向かったので、私はコンロの下の棚から大きめの鍋を出した。昔から使っている蛇口をあげ、湯を沸かす。昆布や醤油をお母さんに教えてもらった通りに使い、めんつゆも合わせて作る。
錦糸卵やハムも乗せようと思い、冷蔵庫から取り出す。卵は薄く薄く焼いて、ハムはそのままササッと切れば十分だ。沸々となった鍋に、とりあえず4束そうめんを入れた。
すぐ茹で上がったそうめんを冷やしている間に食器を選ぶ。
シンプルなお皿だけじゃ味気ない。卵などの色を入れても、そうめんは白なのでらなんとなく映えない。お父さんはきゅうりが大嫌いなので、夏っぽいお皿があれば、そんなことを考えながら食器棚の一番上を探していたところ、ビニール袋に入ったガラス皿を見つけた。二人で食べる量にはちょうどいい大きさの皿と、ペアになっている蕎麦猪口が入っていた。
青く透き通った切子のお皿と蕎麦猪口はしばらく使っていないようなので、洗っていると、お父さんがお風呂から出てきた。
「そんな洒落たお皿、ユウが持ってきたの?」
「違うよ。棚の上にあったの。」
お父さんは、初めて見たと少し驚いていたが、持ち主がわかったようなのですぐに笑った。
「そんな洒落たお皿セットはばあちゃん達は買わないだろうから、きっとお母さんのだね。」
「お母さん?お母さんってこういう綺麗なの好きだったんだ」
「お母さんは元々綺麗な食器が大好きな人だったんだ。これは江戸切子だよ。」
初めて聞く話だった。こだわりのない人で、そういうものにお金をかけること事態無駄に感じていそうだったのに。
「そうだったんだ。なんか意外。もうできるからお箸出して。」
ピカピカになった切子の皿にそうめんを一口分ずつ盛っていく。
めんつゆもいい味になったので猪口に注ぎ、準備は完了。
お父さんと向かい合わせてテーブルに座り、食べ始める。
「ペアの切子の蕎麦猪口なんて素敵だね」
続いて新婚の時にでも買ったの?と、口から出るより先に、ちょっとした疑問が口を塞いだ。
お父さんは初めて見たと言っていた。
お母さんは結婚する前は何年も一人暮らしだったと、本人やパパ、じいちゃんやばあちゃんからも聞いていた。
でも、猪口はどうみてもペアだ。
お皿も二人分は優に入る大きさ。
「お母さんは綺麗なものが好きだったからね。俺は全然わかんないけど」
お父さんの言葉を聞きながら、私は少し考える。
一人暮らしなら猪口は一つでいいはずだ。
頂き物?お母さんが他人からもらったものを取っておく?あまり信じられない。
お母さんが初めて一人暮らしを始めた時に買った家具は、3回目の引っ越しの時にほとんど捨てたとじいちゃんがぼやいていたのを聞いたことがある。
邪魔だと感じたらすぐ捨てる人だったのだ。頂き物ならなおさら。
お母さんと誰が使っていたものだったんだろう。
私は持っている切子に、私の知らないお母さんを感じた。
そうめんの味やさっきとは違うことは、ぼんやりした頭でもはっきりわかった。