困った時の神頼み
祭花町の道祖神は山の入り口に立っている。
夕暮れということもあって人気はなかった。猫又は耳と尻尾を現し、小さな地蔵の形をしたそれに片膝をついて頭を下げた。
すると、山から聞こえる獣の声も、風もすべて動きを止める。
真剣な横顔をした猫又に、空気が張りつめたのを感じた。この男が神に近い妖怪であることを再確認する。
「御挨拶遅れて申し訳ありません。私は猫又で、三月ほど前にこの祭花町へ流れ着きました。元は神社の入り口で人々を眺めておりましたが、縁あってこの人間の娘と生活を共にしております。以後どうぞよろしくお願いいたします」
澄み渡る空気を震わせて声を発する姿は、神秘に等しかった。ヨツバはすっかり惚けてしまう。
「ははあ猫又か。この先の碧山にはいないと聞いていたが、珍しいな」
道祖神が口を開いたことで緊張はほどけ、猫又は顔を上げる。猫又の後ろから顔をのぞかせて、ヨツバも挨拶をした。
「道祖神様、先日ご挨拶に来た遠野ヨツバです。遅くにすみません」
「ああ、引っ越してきた娘さんか。この間はご丁寧にどうもありがとうな。して、今日はどうした。何か困りごとか?」
「あ、いえ逆で。何か町のみんなが困っているようなことってないのかなって思って、それを伺いたくて」
「はあ、なるほどな。確かに儂はずっとここにおるし、皆が話をしに来る。名案だ」
納得した道祖神と同時に、ヨツバも改めて猫又の案に納得していた。
困ったときの神頼み。
老体のために神社では階段の先にある社に行くことができなくても、山の麓にある道祖神に話をすることはできる。彼ならば必ず住人たちの困り事を知っているだろうと言った猫又の読みは当たっていた。
「何か思い当たることってありますか? 八百屋のおばあちゃんとか魚屋のおじさんとか、知っていたら教えていただきたいんですけど」
「八百屋のばあさんか」
「どんな些細なことでも良いそうです」
横から猫又が付け足してくれる。二股に割れた尻尾が上機嫌に揺れている。
「そういえば、八百屋のばあさんは三日ほど前に来たぞ。最近寝つきが悪いと言っていたな」
「寝つき……」
明るい声で告げられるが、ヨツバは落胆する。些細なこと、と確かに言ったのはこちら側だが、寝つきではどうしようもない。
目に見えて肩を落とす姿を見て、道祖神は笑う。
「まあ娘さん、そう落ち込むな。儂はな、あれを枕返しの仕業だと睨んでおる」
その名を聞いて、猫又の表情が変わる。
祭花町が妖怪の多い地域とはいえ、人間の困り事に妖怪が関係しているとなれば話は別だ。
「枕返しというと、夜中に枕の表裏を変える妖怪か。人の生と死の狭間に老体を招き入れて遊んでいるのやもしれんな」
「まあ、古い土地だからな。どこかの家の納屋にでもいて、暇をしているんだろう。彼奴にとっては少しの悪戯のつもりかもしれんが、老体の魂をあまり弄ぶとそのまま切り離された魂が肉体に戻らなくなる可能性は大いにある」
枕返し。小鬼のような風貌をした妖怪で、眠っている人間の枕を上下逆さまにしたり、南向きに眠る人の身体を北向きへ変えてしまったりする。
人間は眠っている間に肉体から魂が抜け出ていることがあるため、そのタイミングで枕返しに枕を返されると魂が切り離されてしまう可能性を猫又は思案していた。
「何それ、早くやめさせないと」
ヨツバは拳を握りしめる。猫又は探るような目つきをしながら彼女を見つめて言った。
「そうだな。して、どうする? ヨツバよ」