その猫又、半人半妖につき
蛇岩町から祭花町へ引っ越して二週間が経ったある日、大学からの帰り道、遠野ヨツバは声を聞いた。
夕日の眩しい、太陽と月の交差する時間。辺りに人影はなく、呼ぶ声に目を向けると男が立っていた。声の主は現代に不釣り合いな白い和服を着ていて、ひょろりと背が高かった。
美しい男だった。
「遠野ヨツバ、すまないが助けてほしい」
「はい? 何で私の名前」
目を合わせた瞬間、ヨツバはその男は人間ではないことを悟った。透き通る金色の瞳には見覚えがあった。
「あんた、さっきの」
「そうだ。先程お前に弁当をもらった猫又だ」
目尻のつり上がった、丸い金色の瞳。温度を感じさせないほど白い肌、整えられた鋭い爪、尖った歯。何よりも目を惹くのは、腰までもあるやわらかに揺れる白髪。
男は世界のすべてを吸いこんでしまうかのような雰囲気をまとってそこに立っていた。
「何で猫又が急に」
「どういうわけかわからんが、どうやら人間に姿が見えるようになったらしくてな」
「よく、わからないんだけど」
「俺にもよくわからんが、そうらしい」
猫又と名乗った男は、周りに人間がいないことを確認すると突然頭に耳と、尻に二本の尾を生やした。ヨツバは動揺して、とっさに男の尻尾を隠すように動いてしまう。
「ちょっ、あっ、アホか!」
「俺は冷静だ」
「いやアホでしょ! 猫又だってことはわかったけど!」
ガ二股のままで冷や汗を拭いながら、早くそいつらをしまえと顎をしゃくった。
必死なヨツバを見て首をかしげる猫又は表情を緩め、尻尾と耳をしまう。
「お前、なかなか愛い反応をするな」
「そりゃどうも。馬鹿にしてるでしょ」
「幼い童のようだ」
「まあ猫又にとっては人間なんてみんな赤ちゃんみたいなものか。それにしても、人型の猫又なんて初めて会った」
自分の身長をゆうに超える髪を見つめながら、ひとり言のように呟いた。
ヨツバは昔から妖怪の類が見えた。地元では鬼の子と遊ぶこともあったし、迷子になっている豆腐小僧を道案内したこともある。干からびそうなカッパを水辺へ引きずっていくのは幼い頃から日常茶飯事だった。
だから数時間前も、神社の前で腹をすかせて転がっていた猫又に弁当をあげたのだ。大学で食べようと思って作って来た手作りのものだった。
イノシシほど大きくて真っ白な毛をしている猫又も、ヨツバにとっては野良猫とさほど変わらない。がっつく姿を眺めて、元気でやるんだよ、なんて別れたはいいが、鶴の恩返しさながらにまさか自分の目の前にまた現れるとは。
困って視線を落とした時、左足のあたりに赤い色が滲んでいるのを見た。
「あんた、怪我してんの?」
「ああ、神社の石段で昼寝をしていたら人間の子供に石を投げられた。俺はからだが大きいから驚いたんだろう。キノコのお化けと言っていたな」
「キノコねえ。まあシメジみたいに見えたんじゃない? でかいし」
「そうか……長年生きているがシメジと言われたのは初めてだ」
「勝手にへこまないでよ」
項垂れる大男に言葉が詰まる。話題を変えようと大きな声で「そういえば」と続けた。
「猫又って人間にも化けられるのね」
「これはな、捕まえられそうになったからな。久しぶりの変化だったが意外にできるもので驚いたぞ。何より、猫の姿よりは目立たんだろう」
「本当に猫又として見えたなら、そうね」
「恐らく見えてしまったんだろうなあ。お前のように元々見えるものが五人も揃っているなんてことはあり得ないだろう」
「五人は、ないね」
ヨツバは困ってしまう。
長寿の猫が妖怪化したものが、猫又。人間に飼われていたものが山に住み着いただとか、元々山の物の怪だったものが猫の形を模しているという伝承があるが、神格は高い。ただの妖怪ではない。
こんなものが猫の姿でその辺をうろついていたら確実に新聞や週刊誌は放っておかないし、へたをすれば妖怪の存在が人間たちに認知される。それは、何としても避けなければならない。今まで出会って来た妖怪たちのことを思い浮かべながら、ヨツバは猫又を見つめる。
「その人間の姿は、デフォルトなの?」
素朴な疑問を投げかけると目の前の美しい男は首を傾げた。この姿をしている限り、猫又を人間の姿のまま放置するわけにもいかない。今も自転車で通りがかったおばちゃんが目を奪われていた。
田舎には長い白髪の綺麗な男なんていないのだから当たり前だ。あまりにも、彼は目立つ。
困ったような表情を浮かべる猫又に唇を噛んだヨツバは、とりあえず絶対に耳と尻尾を出すなと伝え、手を引いて近所の神社へと向かうことにした。
「遠野ヨツバ、どこへ行く?」
「神社。妖怪のことはやっぱり妖怪に聞くべきかなって思うわけよ」
「そうだな。しかし俺は妖怪だが、妖怪のことはさっぱりわからん。互いに関係を持たないのでな」
「そうね。だから知ってそうな子に聞くのが一番なんだよね。例えば定期的に女子会をしてる子とか」
そう言って、ヨツバは猫又を連れて神社への階段を歩き出した。