第二十五話 サリカの森 後編
マイナスイオンが出まくっているのか、木々に滴る無数のしずくが蒸発して肌寒いほどの空気を生み出している。
枝葉の上から細切れに差し込む太陽の熱がとてもありがたい。
きらきらと輝く淡い緑色の世界を楽しみつつ、定期的に足元を確認して水たまりを避け、背筋に落ちてきそうなしずくを警戒しながら先へ進む。
どうやらここは今でも定期的に人が通っているらしく、短草に覆われていない土気色の地面がわずかなカーブを描きながら続いていた。
足元をよく見れば、見たことのない虫が泥の裏に潜り、落ちるしずくの気配に紛れるように小動物が走り回っているようだった。
ふと見れば、先を歩いていたミーシャが水たまりの上をはね、浮き上がったしずくを水魔法で動かして遊んでいた。
どうやってんだろう、俺もやってみたい。
自分もその辺の水たまりにスニーカーを浸らせ、てきとうに跳ねていると……
ぬかるみに足を取られて転倒。
鈍い衝撃の直後、あっという間に衣服へ染み込んでいく冷たい泥水の感触に茫然としていると、水魔法で遊んでいたミーシャが噴き出したように笑い、緋色は笑いをこらえきれない様子で手を差し伸べてくれた。
うへえ……身体が重い。
生活魔法を教えてもらおう……確か水分と汚れだけ飛ばすっていう便利なやつがあったはず……ああ、やっぱりあるみたいだ。
ミーシャが自分の靴から水気を取ってるのを見て、俺は彼女に声をかけた。
そんな風にして魔法を教わりつつ、他愛のない会話をしながらみずみずしい森の中を進んでいると……
突然、違和感を覚えた。
「待って、探知魔法に何か映った」
お馴染みの白黒の景色に、謎の集団が映っている。
数は……四人ほどだ。
「探知魔法?」
「あれ、言ってなかったっけ。
すこし前から練習してたんだ」
「ちょ、ちょっと待ってシン。
それってどうやってやってるの?」
ん? その口ぶりだとミーシャはまだ習得してないのか?
「えっと、魔力をその辺にまで広げて変換、っていう感じだけど……」
「ど、どれくらい広げてる?」
「……大体あそこらへんまで……?」
五十メートルくらい先を指さして答えると、彼女は唖然としていた。
「それ、『精霊魔法』の一種だよ……!
普通の術者だったらそこまで魔力広げられないもん……!」
「は、はあ……」
どこか熱のこもったミーシャの雰囲気にややたじろいだ。
普通の魔法とどう違うというのだろう。
「ちょっと、それより何が映ったっていうのよ」
「ああ、そうそう。
なんか、この先で怪しいやつらが待ち伏せしてるっぽい……?」
いや、もしかしたら一般人の可能性もある……と思いたかったが、探知魔法越しに見た景色ではやつら全員が道の両側に隠れて弓とか剣とかを手に構えている。
この時点でもうアウトだった。
「――まあ、避けていくよな」
俺たちは土気色の道から逸れて森の中を歩き始めた。
当然の選択だ。荒事はできるなら避けたい。
道に迷う可能性はあったが、危ない目に遭うくらいならこっちの方がまだマシだ。
正直忘れかけていたけど、この旅はミーシャを機工世界――正確には機工世界にいるはずの歌優月――まで無事に送り届けるのが目的なのだ。
「別に四人くらいならあたし一人で蹴散らせたのに……」
「どこからその自信が湧いてくるんだよ」
「でも本当に便利だね、その魔法。
私も練習してみようかな……」
お、もしかして今度は俺が教える側になるのか?
いいね、なんだかそれも面白そうだ。
と、思いながら進んでいたら……。
「……ごめん二人とも。悪いお知らせです。
尾行されてるっぽい」
「はあ?」
緋色が怪訝な表情を浮かべた。
とりあえず足を動かしながら、気づかれないように普通に会話を続ける。
「……向こうはあたしたちのこと見えてるの?」
「だと思う。さっきだってもうすでに隠れて待ち伏せしてたし」
「うーん、このままベルリーチェまで逃げれる、かな?」
「いや……まだどれくらい距離があるか分からないし、
夕暮れまでにたどり着けるっていっても数時間ぶっ通しで走るのはきついと思う」
平然を装って会話しているけど、俺はぶっちゃけ冷や汗をかき始めていた。
背中にひりひりと感じる危険に震えつつ、走り出しそうな自分の両足を必死で抑制する。
後ろ振り向くの怖ええー……矢とか飛んできそう……。
こういうときに緋色の豪胆さがうらやましくなるな。
実際彼女は「どこからでもかかってこいや」と言わんばかりに堂々と歩いているので心強さが桁違いだった。
「あたしたちで倒しちゃわない?」
だから、緋色がそう提案してきたときはなにか裏切られたような気持ちになった。
「……マジ?」
「位置は把握できてるんでしょ?」
いや、確かに把握はできてるけど。
ていうかホントなんでそんな自信たっぷりなの。
「向こうが俺たちより強かったらどうすんだよ!?
しかも四人いるんだぞ!?」
「でも前みたいに挟み撃ちにされたらマズイじゃない」
「う……」
思い起こされたのは、夜のシャピア帝国での記憶。
緋色と二人で精霊王国に向かっていた際に、突然、夜の路地の先に現れた盗賊――思い返してみるとあれも闇の軍勢の下っ端だったな――にきれいな挟み撃ちを食らったのは数日前のことだ。
ナイフを突き立てられた緋色がスローモーションで倒れていくように見えた瞬間を俺ははっきり覚えている。
あのとき緋色が闘気をまとってなかったら本気で危なかったんだ。
「あの時と同じ失敗繰り返したらバカみたいじゃない」
「ううむ……」
確かに、あの四人以外にも仲間がいる可能性だってないわけじゃない。
自分たちの知らない魔法なり道具なりで、別動隊と連携している可能性もある。
あるいは後ろをつけている四人が、二人と二人に分かれて囲い込んでくることもあり得るのだ。
このままダラダラと逃げていたら、ジリ貧なのかもしれない。
「……はあ。
ごめんミーシャ、ちょっと危ない目に遭わせるかも」
「あはは、ここまで来たら仕方ないよ。
大丈夫、私は治癒魔法も使えるから。少しくらいの怪我なら治せるよ」
そう言ってミーシャは黄金色の温かい光を手のひらに浮かべた。
ああ、そういえば前にそれで緋色の筋肉痛を治してたんだっけ……?
「でも約束して。
死ぬのも、死なせるのもダメ。
治癒魔法も万能じゃないから」
真剣な眼差しを向けてくるミーシャ。
まあ……さすがに死者を生き返らせる術はないだろうし、当然だな。
大怪我さえしないように気をつければ、いけるのかもしれない。
「――よし、それじゃこの辺で隠れよう」
俺たちは手ごろな草やぶの中に身を移した。
ズボンによじ登ってくる虫を弾き落としながらしばらくして、尾行していた連中が姿を現した。
盗賊というよりは山賊に近い見た目だった。
あまり清潔とはいえない服装に、垢が目立つ荒れた肌。
ちゃんと手入れされてるようには見えない手斧や剣など……
あ、でも一人だけきれいな弓矢使ってるやつがいるな。
その弓使いの男がリーダー格のようだ。周りのやつらに指示を出している。
身なりだって他と比べるとちょっとだけきれいだ。
やるんだったらあいつが先かな、と考えつつ、タイミングを見計らい――
つばを飲み込み、合図で一斉に飛び出した。
追っていたはずの獲物が死角から飛び出してきたことに、連中は驚いたようだ。
後ずさりしながら、それぞれの武器を持って振り回している。
ふん、馬鹿め!
こっちゃ精霊魔法が使えんだぞ!
しかもうち一人は魔術エキスパートの精霊人の王女……
もう一人は闘気まとった赤いゴリラだ!!!!
――観念しな、ここがお前らの墓標ダァァアア!!
悪役みたいな人格を胸の内にむりやり宿し、
世界樹の小枝から風のハンマーを撃ち出そうとした瞬間――!
目の前に五人目が現れた。
「……は?」
その特徴的なギョロ目と、ずんぐりむっくりとした体型を備えた男と、視線が交差する――
ドワーフだ。見たことある。
でも……探知魔法にこんなやつはいなかったぞ!?
すれ違いざま、ピッと肩を短剣で裂かれ、
瞬きする間に身体の自由がきかなくなってくる。
うわ、なんだこれ、力入んねえ……!
ていうか口も動かな……!
――脳裏に浮かぶ『麻痺毒』の文字。
脊髄反射でミーシャの方に目を向けると、いままさに彼女も地面に倒れるところだった。
「作戦通り、ですね。
まさかこんな簡単に行くとは思いませんでした」
かろうじて動く両目だけで声の主を見上げると、息をつきながら話していたのは弓使いの男。
痩せた長身で、丁寧な口調で話しているのが印象に残った。
「……こいつら、たぶん、『潜伏系』知らない」
続けて、突然現れた五人目の男。
種族としてはドワーフに分類されるのであろう低い背にやたらと筋肉のついたギョロ目がつたない言葉を発していた。
「まあ、それぞれの『系統』の話なんて、冒険者や軍人なんかじゃないと知る機会も無いでしょうしね。
さ、そっちのみなさんも運ぶの手伝ってください」
おそらくは手下なのであろう他三名が、指示を受けて動き出す。
そこで俺は気がついた。
緋色までもが地面に倒れていることに。
彼女はどうやら、毒矢を受けて無力化されたようで――。
いや、待て。
なんで闘気をまとっているはずの緋色が弓矢なんか食らっているんだ?
「南からこっちに拠点を移したのは正解でしたね」
「こいつら、奴隷にして、一儲け、する」
感覚の遠い手足を縛られて、どこかへ引きずられていく。
背中に引っかかる土やら小石やらが肌を傷つけているのを感じる。
外套もすでにはぎ取られているようで、泥の冷たい感触が染み込んでくるのを麻痺した背筋でかろうじて理解した。
……あれ……これは……
ちょっと、本気でヤバいんじゃないの……?
盗賊のリーダーとエースらしき二人の会話を耳にしながら、俺は、思い描いていた旅路が黒く塗りつぶされていくのを感じていた。
――バファ視点――
「……バファ、お前えらくなつかれてたじゃねーか。
あのガキンチョ三人によ」
御者台で馬車を駆っている旧友がそう言って顔を向けてきた。
自分は毛むくじゃらの手で帽子をかぶりなおし、鼻先から深いため息を吐き出して答える。
「やれやれ……ぼくは子どものお守りなんて好きじゃあないんですよ。
今までのはサービス。旅はひとりが一番ですよ。
……ん?」
やたらと広く感じる荷馬車内のスペースを独占して寝転んでいると、
ふと、すみっこの方に袋がもたれかかっているのを発見する。
自分のものではない。
手を伸ばして掴み上げようとすると、予想外の重さが腕に伝わってきた。
「こりゃ……ものすごい大金じゃないですか」
引き寄せたずっしりと重い袋の中身は、銅貨、銀貨、金貨……。
中でも金貨の割合が一番大きいだろうか。
燦然と輝く大量の通貨が、ジャラジャラと魅惑的な響きを奏でている。
「あの子たち、いったいどこでこんな大金を……
いや、きっとあの精霊人のお嬢さんだな。
どこか名門の貴族の子なんでしょうねえ」
育ちの良さがにじみ出ていた青い髪の子どもを脳裏に思い浮かべる。
どうやら忘れ物をしたらしい。
気でも緩んだのだろう。
旅慣れていない者がよくする失敗だ。
「幻想世界で財布なんて忘れたらすーぐ無くなるってのに……
……不用心ですねえ……」
旧友のトッドから見えない位置で、まるで豊かな湧き水をすくうように金貨の中に手を潜り込ませる。
これだけの額があれば、当面は資金稼ぎの必要もない。
現時点での目的であった機工世界への渡航のみならず、
その後も、自分の好きなように、旅ができる………。
…………。
「……はぁ、しょうがない子だちだな。
旦那! ぼくをここで降ろしてくれませんか!」
「なに!?」
怪訝そうな顔をして振り返った旧友の返事を聞きながら、
金貨袋の紐をぎゅっと縛った。
「大したことじゃありやせん。
――ひとつ配達のお仕事に行くだけですよ」
次話 第二十六話 捕縛




