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壱 ふぶき姫、来たる

「もし」


 とんとん、と戸を叩かれた。「はい」と(いら)える。

 天音(あまね)は白磁の器に顔料を移していた手を止め、指に付いた孔雀石の粉末をさらさらとふるい落とした。白い前掛けはすでにさまざな色が付着し、さながら不規則な花火のようだ。


 訪問者は一人。女の声だった。


 (ここ)には天音しかいない。どころか、ここは現世(うつしよ)とあの世の境目。幽世(かくりよ)のはざまに築かれた異界だ。


 どうやら、作り出したのは自分らしいが――


 天音は、しゅるりと頭に巻いていた布をとった。たちまち長い黒髪が肩から滑り落ちて胸下と背を彩る。頭巾は手早くたたんで前掛けと帯の間へ。

 ぱっぱっ、と軽く前髪を直して小上がりから土間へ降りる。草履を引っ掛けて、ややあって立ち止まる。そうして木の引き戸に触れ、伺うように気配を探った。


 ……――危険?


 殺気のたぐいはない。およそ害をなす者とも思えない。にも拘らず(うなじ)がちりちりする。

(?)

 天音は小首を傾げた。念のため、数歩後ずさって声をかける。


「開いてますよ。どうぞ」


「……どうも」


「!」


 からり。

 ひゅおおお…………ッ!


 ひらいた途端、たちまち戸の隙間から冷気が流れ込んだ。雪とも言えぬ、剥き出しの結晶がそのままきらきらと輝く。渦巻く。発光源は客人そのもの。仄白(ほのじろ)い。


 季節のない、時間の流れもないはずの我が家――()()“あわいさの茶屋”は、まるで猛吹雪の雪山に建つ小屋のようになった。


 が、その段になっても相手から害意は感じない。吹雪は不可抗力らしい。

 天音は申し訳なさそうに小さな客人を見下ろす。


「ええと。どなた?」


 吐息がけぶる。

 ぶる、と震えて腕をさすりながら問うと、戸口に(よわい)十四ほどの少女が立っていた。

 泣いている。

 ポロリ、とこぼれた雫は宝石じみた粒となり、ころころと土間を転がる。その跡もみるみる薄氷が覆ってゆく。

 丸い、ちいさな獣の耳。青白い幼い美貌。長い睫毛も肩下までの髪も白銀。わななく唇と頬は微かな珊瑚色。おそろしいまでの力を蓄えた(あやかし)だった。


 妖は、えぐえぐとすすり上げながら、白地に銀の蜘蛛の巣模様の(たもと)で目許を押さえている。

 やがて蚊が鳴くように一音、発した。


「まっ……」


「『ま』? ……! きゃあっ、何!」


「ま、迷子になってしまったの。ここ、どこ?? わたし、常夏(とこなつ)焔猫(ほむらねこ)の君と駆け落ちしたはずなのに。ねえ、なぜどこにもいないの……? あの方は、どこに行ってしまったの?」


「ちょ……っ、待って! 落ち着いて!?」


 天音はたたらを踏んだ。この少女、見た目以上に力が強い。おまけに素早い。冷気に凍えて固まっていたせいもあるが、正面から飛びかかられたあげく腰に抱きつかれ、しばらくは堪えたものの、気づけば仰向けに転がされた。有り体に言うと押し倒されている。


(不覚……っていうか、冷たい。寒い!!)


 そうこうする間に、家のなかはどんどん雪が積もり、冗談ではなく遭難しそうになるのだが。

 幸いと言うべきか、天音は死者だ。これ以上「死」ぬことはない。

 観念し、泣きじゃくる少女の淡く燐光を放つ髪に手を差し入れ、撫でながら慰めようとしたところだった。

 すると。



「ん?」


「こら。白昼堂々浮気とは、いい度胸だな天音」


「!? ひゃあっ? な、何奴!? 放せ無礼者!」



 ふいに、体の上から重みが消えた。

 片手で帯ごと持ち上げられた少女は手足をばたつかせながら懸命に(わめ)いている。

 視線で彼女の帯から上を追い、やたらと綺麗な顔を見つけた。胡散臭そうに眉をひそめ、開口一番に言いがかりをつけたのは。


(からす)。来たの?」


「…………あぁん?」


 ぴきん、と音を立て、いっそう深く寄る眉間の皺。

 青年の目が剣呑に細められた。


 ――あ、やばい。


 思ったときには遅かった。凶悪極まりない流し目を食らい、あでやかに微笑まれる。当然ながら口も相当悪い。


「ふざけんなよ。茶屋(ここ)をねぐらにするって言ったろうが。(つがい)のくせに、こんな年端もいかねぇ小娘までたらしこみやがって。見境ねぇなぁ」


「たらしこんでないわ! 黙れ、色ぼけ烏!」

「わっ、わたしが好きなのは、“常夏の君“なんだってばぁぁ!!!」



 嗚呼、騒動極まれり。頭が痛い。けれど。


 烏が現れて、驚くべきことに苛烈な冷気は収まった。そのことだけは感謝かな、と思い直した天音は立ち上がり、ぽんぽん、と着物の汚れを(はた)いた。


 背後の囲炉裏ではちょうど、健気な炭火が鉄瓶の湯を沸かしていた。しゅんしゅんと湯気が出ている。天音はそれと、珍客二人(片方は居候)を交互に見比べた。


「何だよ」


 ぶっきらぼうな青年の低い声に動じず、店主の女性は微笑んだ。


「烏。あんたも飲んでいく? 久々の“お客様”だもの。精一杯おもてなししたいわ」


「本音は?」


「居てくれると助かる。ふたつの意味で」


「……ふたつ?」


 なおも背中の帯結びから吊るしたままの少女に、うろんな視線を向けて烏が問う。

 天音は首肯した。


「そうよ。ひとつ、寒くない。ひとつ、その子、氷の大妖(おおあやかし)の娘さんよ。心当たり、あるんじゃない? 同じ大妖の烏天狗さん」



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― 新着の感想 ―
[良い点] わぁ! 久しぶりの天音さんと烏登場。 懐かしい雰囲気もそのままに、天音さんには随分と余裕が出てきたようにも感じられます。 烏は……嫉妬大王? まあ、それだけ天音にゾッコンなのでしょうが………
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