六頁目「差し伸べるべき手は」
今回はちょっぴり雰囲気が暗めです。相変わらずはかなよのキャラたちは不幸な目に遭ってばかりですね…申し訳ない(と言いつつ不幸レベルを上げていく作者)(やめなさい)
教科書の配布や校則についての詳しい説明を聞き終えると、私たち一年生は、二、三年生のみが参加する退任式が終わる前に下校することになった。
周りがみんな初等部からの同級生だからか、転入生の私は一緒に帰る人がいなそうで、なんだか心細い。
本当は千世ちゃんと帰りたいところだけれど、今朝あれだけ怯えさせてしまったのに、気軽に「一緒に帰ろう」なんて言える気がしなくて。
重たい教科書を何冊も詰め込んだカバンを持って、教室を出ようとすると、ふと誰かが私の肩を軽くたたいた。
振り向くとそこには、朝よりもだいぶ顔色がよくなった藍花ちゃんがいる。
「陽代乃ちゃん!よかったら今日一緒に帰らない?」
「あ、藍花ちゃん!えっと、あの、今朝一緒にいた子はいいの……?」
私が寂しそうにしていることに気づいて、気を遣ってくれたのだろうか。
もしそのせいで、あの子――水川さんと帰れなくなって、彼女を不快にさせてしまったら……と思うと、私が一人で帰る方がずっといいと思う。
水川さんは藍花ちゃんの親友だと言っていたから、二人の友情の邪魔になるようなことはしたくない。
「ああ、仁亜は鈴々と…………もう一人の友達と帰るから、大丈夫だよ。じゃあ、行こう!」
「え!?う、うん……!」
あの頃の千世ちゃんとよく似た笑みを浮かべて、私の手を引いて歩きだす藍花ちゃんに驚きつつも、私は彼女について行く。
下駄箱で靴を履き替えて外に出ると、グラウンドの向こうに見える駅ビルが、ここは都会なんだと主張しているように感じられた。
「陽代乃ちゃんの家ってどの辺りにあるの?」
「え……ど、どこなんだろう……駅と反対方向の……小さい公園とミカン畑がある辺り、かな?」
「ああ、四番町ね!なら途中までわたしと一緒だね。うち、三番町だから」
「そうなの!?じゃあ割と近所だったんだ……!」
校門を抜けてアスファルトの歩道を歩きながら、藍花ちゃんと友達らしい会話をする。
こういう経験は以前したことがある。小学生の頃は、千世ちゃんと一緒にこうして雑談しながら家に帰ったから。
美しかった時代の記憶が蘇って、懐古の情がまた胸を締め付ける。
こうして奇跡的な再会を果たしても、昔のような関係に戻って、昔のような距離感で接することができないことは分かっている。
今日、少しだけれど千世ちゃんと会話してみて、そのことを深く理解した。
でも……もし、親友に戻れたら、あの頃のようにともに笑い合えたら……なんて、どうしても期待してしまう。
そんな私は、本当にわがままで、欲張りだ。
期待をすればするほど、裏切られた時に悲しみが増すだけなのは分かっているのに、望むことをやめられない。
「…………千世ちゃんのこと、思い出してた?」
「っ!?え、あ、えっと……!ご、ごめんね……!」
会話が途切れて無言になった後、不意に藍花ちゃんに話しかけられて私は慌てる。
そういえば、彼女には私と千世ちゃんのことをほぼ全て話していた。
ということは、私が藍花ちゃんに千世ちゃんの姿を重ねて見ていることは、もう分かっているのかもしれない。
何も関係がない人なのに、勝手にそんなことをしてしまってなんだか申し訳なくなる。
「いいんだよ、気持ちはよく分かるから」
「……でも」
「わたしね、あの後、石神先生から千世ちゃんのサポート係になるよう頼まれたんだ」
私の言葉を遮るように、藍花ちゃんが早口でそう言葉を続ける。
少しだけ下を向いた彼女の横顔は、建ち並ぶビルの影に塗られていて、表情が読み取れない。
「でも、わたし一人だけじゃ、千世ちゃんを完璧に補助できる自信ないからさ。よかったら、陽代乃ちゃんも一緒にやらない?」
「え……!?で、でも、私……」
『ご、ごめんなさいっ!!』
青ざめた顔で走り去っていく、今朝見た千世ちゃんの姿が脳裏を過る。
本当に、いいのかな。
次また千世ちゃんに近づいたら、今度こそ嫌われてしまうかもしれないのに。……いや、もうすでに嫌われているかもしれない。
「大丈夫だよ。もしかしたら、わたしたちが千世ちゃんを手助けすることで、奇跡が起こるかもしれないでしょ?記憶障害が治ったり、もう一度仲良くなれたり。奇跡ってなかなか起こらないものだけど、絶対に起こらないなら、そもそも「奇跡」なんて言葉は存在しないと思わない?」
「……!……そっか……そうだよね……。」
藍花ちゃんの言葉に勇気づけられて、胸に何かが湧き上がってくる感じがする。
言葉だけで、ここまで心が救われるなんて。藍花ちゃんはまるで魔法使いみたいだ。
「ありがとう……私、やってみる!」
「うん、頑張ってみよう!」
少し照れ臭いけれど、目を合わせて笑い合うと、私たちはまた並んで歩き出す。
しばらく歩くと、住宅街の近くにある交差点に差し掛かった。
赤く光る信号機を見ながら立ち止まっていると、すぐ隣にいる藍花ちゃんの方から音楽が聞こえ始めた。
どうやら電話の着信音らしく、藍花ちゃんは慌ててカバンの中を探る。
そして彼女は「ちょっとごめんね」と言い、少し離れたところに移動して電話に出た。
(何かあったのかな……?)
話し声は聞こえないけれど、藍花ちゃんの様子がいつもと全く違って、少しだけ不安になる。
それにしても、あの着信音に使われていたメロディ、どこかで聞いたことがあるような。
流れ星のように儚げで繊細な旋律を、もう一度頭の中で反芻してみる。
すると、一度聞いただけの短い旋律の続きが、まるで何かを思い出したかのように自然に流れてきた。
何かが、おかしい。
また、懐かしいような苦しいような感覚が、胸にどっと押し寄せてくる。
そして、今なお続きが流れ続ける曲と共に、脳内に映像が映し出された。
イヤホンの片方を差し出して笑う、顔がよく見えないこの少女は―――……
「陽代乃ちゃん、逃げるよ!」
「え!?」
突然、通話を終えた藍花ちゃんが、私の腕を掴んでそのまま走り出した。
いきなりの出来事に驚いて、私はされるがままに引っ張られていく。
音楽は途切れ、黒髪の少女の幻は、また今朝のように消えて思い出せなくなってしまった。
| 《ごめん。ボクはまだ……》| 《陽代乃ちゃんをアイツに》
虫の羽音のように小さく呟かれたその言葉は、驚愕と不安で胸を満たしていた私の耳には届かなかった。
・*・*・*・
「さっきはごめんね、ちょっと会いたくない人と鉢顔を合わせちゃいそうで……」
「そうだったんだ…………私は大丈夫だから、気にしなくていいよ」
ミカン畑の横を歩きながら、藍花ちゃんと言葉を交わす。
冷気さえ感じられるような先ほどまでの様子とは違い、藍花ちゃんはすっかりいつもの笑顔を取り戻していた。
「ありがとう……!陽代乃ちゃんは優しいね!」
『じゃあまた明日ね、陽代乃!』
新学期の朝、夢に見た千世ちゃんのように笑う彼女が眩しくて、懐かしくて、また私は、少しだけ胸が苦しくなった。
決して容姿が似ているわけではないのに、どうしてこうも、藍花ちゃんの姿に千世ちゃんが重なるのか不思議でならない。
でも、藍花ちゃんは千世ちゃんと違って、黒くて冷たい何かを抱えているように見える。
それが具体的に何なのかは分からないけれど、彼女の瞳を覗いた時に垣間見えるそれは、ひどく恐ろしいものに感じられた。
息を呑むほど美しくて、優しいのに、悍ましい。
まるで、あの時、私と千世ちゃんを救ってくれた銀髪の悪魔のように。
……、…………、……
「……っ?」
今、脈が乱れた―――心臓が、変に拍動した、ような。
じわりと皮膚に冷や汗が滲む。
心臓に異常が起きている。下手をしたら命に関わるのではないかと不安になるような状況に、視界の明度が下げられていく。
何が、どうして―――……
「……陽代乃ちゃん?大丈夫?」
熱を確かめようとしてくれたのだろうか。
私の額に手を伸ばす藍花ちゃんの表情に、何故か、嫌な感情が浮かんで見える。
それが私に襲い掛かってくるような、恐ろしい感覚に陥ってしまって。
「いやっ……!」
私は思わず、彼女の白い手を振り払ってしまった。
はっとして、藍花ちゃんの表情を恐る恐る確かめようとすると、
彼女は眼を見開いて、ひどく傷ついたような顔をしていた。
「……あっ、ご、ごめんね……!触られるの嫌だった?本当にごめん、ごめんなさい……!」
「藍花ちゃん……!!」
(どうしよう……!せっかく仲良くなれたのに、傷つけちゃった……!)
彼女は、顔を見られないようにか深々と頭を下げると、畑の方の分かれ道へと走っていく。
そこに、一台の白い軽自動車が向かってきて―――
雪雲で濁った空。
衝撃音。ガラス片。赤く染まったアスファルト。
投げ捨てられた傘。
麻痺した痛覚、風の音、遠のいていく意識。
『千世ちゃんっ!!!!』
あの日の自分の悲痛な叫び声が、はっきりと頭の奥に響いて。
街路樹の影が重なっているからか、藍花ちゃんが黒髪に見えて。
軽自動車はトラックに。晴れ渡った空は灰色に。
「止まれ」の標識は信号に。一時停止線は横断歩道の線に。
現実世界の光景が、次々と事故の日の景色に塗り替えられていく。
もう、誰も何も、二度と失いたくないのに。
なのに……
お願い、お願いだから、それだけは……!
これ以上私から、奪わないで……!!
「だめーーーっっ!!!」
意を決して、車道に飛び出す。
まだ今なら、間に合うから。
私はダメでも、藍花ちゃんの背中を押せば、彼女だけなら助かるから。
だから―――……
黒く眩む世界の中で、確かに藍花ちゃんの背を強く押す。
何か言われたような気がしたけれど、クラクションの音に掻き消されて、もう何も分からない。
千世ちゃんとの思い出が、藍花ちゃんの笑顔が、走馬灯のように一瞬で脳内を駆け巡る。
これで、よかったんだ。
どうせもう、私が何かを変えることなんて叶わない。
目を閉じて、私は、衝撃と苦痛を受ける覚悟を決めた。
……………………あれ?
ずっと待っているのに、いつになっても何も起きない。
驚いて目を開けると、雲が増えた空の下、軽自動車も他の車も、道路からすべて消えていた。
藍花ちゃんは道路の隅で呆然とへたり込んでいて、私はそれを道の真ん中で見つめている状況になる。
何が起きているのか、全く分からない。
だけど、私たちが助かったという奇跡のような現実は、紛うことなき事実で。
私は無意識に、いくつもの涙を流していた。
「陽代乃ちゃん……」
放心状態だった藍花ちゃんも、立ち上がって私に駆け寄ってくる。
その不安げな表情にはもう、悪いものなんて一切感じられなかった。
そう……全部、私の勝手な思い込みで、錯覚だった。
「っ……ううっ……!ごめんね、ごめん、ね…………!」
「大丈夫、大丈夫だから……」
抱き合って泣き続ける私たちの白い制服を、通り雨は無情に叩き続けていた。
翌日、私と藍花ちゃんは学校を休んだ。
昨日あんなことがあったせいで、とても学校になんて行く気になれなかったから。
母は心配していたけれど、事情を話すと納得してくれた。
月曜日から始まる部活動の見学と体験に行くことができれば、これからの学校生活に支障は出ないと思う。
だから、少しだけ、全てを忘れていられる時間が欲しい。
そう祈るような気持ちで眠りにつくと、私はまた、不思議な夢を見た。
・*・*・*・
「……ちゃん、お姉ちゃん!」
なんだろう。
どこかで、聞いたことのある声がする。
私に似ているけれど、それよりも少し低くて落ち着いた声。
視界の隅で、長い焦げ茶の髪が躍る。
―――まさか、この子は。
「燃奈……?」
もう二度と呼ぶことはないと思っていた、双子の妹の名前を口にする。
若葉の生い茂る野原を見渡すと、少し遠くに聳え立つ榊の大樹の下で、
「おはよう、待ってたよ」
―――――…………真っ白なワンピースを着た少女が、私とよく似た顔で微笑んでいた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
しばらくファンタジー要素薄めだったので、次回からちょっと濃くなるかもしれません。お楽しみに!
(それよりもまず千世をもっと登場させたい…)