一頁目「間違いから始まった日常」
はじめまして、そうでない方はお久しぶりです。
なろうの小説の海からこの「儚世の黙示録」略して「はかなよ」を見つけてくださり、ありがとうございます!
こちらの作品はこまめに改稿しているため、地の文やセリフの一部が大幅に変更されています。
改稿されているのが確認出来たら、ぜひ読み返してみてくださると嬉しいです。
『じゃあまた会おうね、陽代乃!』
『うん、バイバイ千世ちゃん!』
小学校の卒業式が終わった頃―――三月にしては異様に寒いその日の昼前に、私は必死に作り笑いを浮かべながら、親友の月宮 千世ちゃんを横断歩道の前で見送っていた。
別の中学校に進学することを今度こそ伝えようとするも、言えずに見送ってしまう私はやっぱり意気地なしだ。
引き留めようとしてもうまく言葉を発せないもどかしさに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
今、伝えておかなければ、千世ちゃんとの縁が切れてもう二度と会えなくなってしまうかもしれない。
そんなのは……嫌だ。
千世ちゃんと離れ離れになって、そのままさようならだなんて、とても耐えられない。
進学先が違うことはずっと前から決まっていて、私は千世ちゃんと一緒に帰る度にそのことを伝えようとしていた。
それなのに、私はもう何回もそのことを伝えられずに千世ちゃんを見送っている。
これから入学準備で忙しくなり、私は今後千世ちゃんに会う機会がほとんど作れなくなってしまうだろう。
また同じことの繰り返しはできない。
でも……もし、伝えたことで千世ちゃんが傷ついたら?
世界一大切な親友の泣き顔なんて見たくない。
けれど、伝えなければもう千世ちゃんとは会えなくなってしまう。
(……なら早く、早く伝えなきゃ!)
『―――千世ちゃんっ!!!』
裏返った声が曇天を揺らす。
大好きな人を呼ぶ声は、ところどころ掠れてぼろぼろになってしまった。
不安と期待で心拍数が上がり、だんだんと息苦しくなっていく。
詰まりゆく呼吸のせいで、言葉を発するのが辛い。でも、今はそんなことに構っていられない。
『千世ちゃんっ!私、実は……!』
大きく息を吸い、進学先のことを伝えようと、頭の中で瞬時に言葉を組み合わせていく。
ようやく、伝えられる。
千世ちゃんがどんな反応をするか、まだ分からないけれど……どうか悪くないものであるようにと、必死に願おう。
そう思ったところで、どこかで聞いたような重低音が聞こえてきて、私は思わず口を噤んでしまった。
―――かなりのスピードを出しながら走ってくる、白い大型トラックが向かってくる。
あの文字列は有名な運送会社の名前だと、突然のことで回らなくなった脳が、どうでも良いことを思った。
そして、我に返った時には…………トラックは、振り向こうとした千世ちゃんの方へと、スピードを上げながら直進していく。
千世ちゃんが、撥ねられてしまう。
反射的に横断歩道へ飛び出そうとしたときには、もう遅かった。
――――――その瞬間、世界が壊れてしまったような気がした。
『きゃああっ!!』
耳を劈くような轟音があたりに響き渡り、空気がびりびりと震える。
あまりにも大きな衝撃音に驚き、私は悲鳴を上げながら頭を押さえてうずくまった。
まさか、そんな、どうして―――
驚愕のあまり、何が起きたのか理解するのに時間がかかる。
横断歩道の途中で立ち止まる千世ちゃん。突如として道路に現れた、スピード違反のトラック。衝撃音。つまり―――……
胸に押し寄せる恐怖を振り払うように、数秒経ってから恐る恐る目を開けて横断歩道を見ると、
『ち……せ、ちゃん…………?』
―――道路の上に、満身創痍の千世ちゃんが倒れていた。
トラックはそのまま走り去っていってしまったのか姿はなかったけれど、千世ちゃんが交通事故に遭ってしまったということは言わずとも分かる。
千世ちゃんが、車に撥ねられた。私のせいで。
今の状況を完全に理解した瞬間、私の心は強い恐怖と罪悪感に染め上げられていく。
『千世ちゃんっ!!!!』
傘を投げ捨てて、雨で体が濡れるのも構わずに、私は血だらけの千世ちゃんに駆け寄った。
息を確かめるために千世ちゃんの顔の上に手をかざすと、弱々しくもなんとか呼吸はしている。
(こういう時はどうすればいいの?救急車を呼ぶ?でも今は、携帯を持ってない……!
でも早く、早くしなきゃ。千世ちゃんが―――!)
『誰でもいいから、とりあえず大人を呼んできなさい!そうすれば救急車を呼んでもらえるわ』
「え…………?」
頭の中で知らない女性の声が響く。
なぜかは分からない。従わなきゃ、と本能的に思う。
おかしいな、普段だったら奇妙な現象に驚いて何もできないはずなのに、今は勝手に体が動く。
謎の声の指示に従って大人を呼ぼうと慌てて立ち上がると、足元に千世ちゃんとおそろいで買ったキーホルダーが落ちていることに気付き、私は咄嗟にそれを拾い上げた。
地面に落ちたせいで汚れているけれど、それでもはっきり判るくらいに、綺麗な青色をしている。
キーホルダーは半円形で裏に磁石が貼り付けてあり、もう一つと合わせると球形になるものだ。
色は私のものがピンク色で、千世ちゃんのものは水色。
間違いなくこれは、千世ちゃんのキーホルダーだった。
『あ……あぁっ……』
傷だらけになったそれを目にした瞬間、なぜか体の力がすべて抜けてしまった私は、そのまま千世ちゃんの隣に倒れこむ。
人を呼ぶために立ち上がったはずなのに、もう私の身体は、その時のように動いてはくれない。
それがあまりにも悔しくて、涙が一筋、頬を伝って地面に零れ落ちた。
人も車も通らない田舎の道路は、交通事故が起きた後でも尚、とても静かだ。
その静寂が今はとても憎くて、痛い。
この地に生まれてきたことを、後悔するほどに。
―――きっと誰も、私たちを助けに来てはくれないんだ。
救いがないと、そう悟ったら……先ほどまで胸に燻っていた勇気のような感情は、虚しさに掻き消されてしまった。
どのくらい時が経っただろうか。
地面に体を横たえてから、時間の感覚が曖昧になっている気がする。
白く曇っていた空はいつの間にか雪を振り落としていて、大粒の綿雪がひとひら、私の頬に舞い降りてきた。
本来なら冷たいと感じるのだろうけど、もうその感覚すらわからなくなるくらい、千世ちゃんが自分のせいで事故に遭ってしまったことが衝撃的過ぎた。
硬いアスファルトの地面に倒れれば当然痛みを感じるはずなのに、何も感じない。
痛覚さえ失ってしまった。そう自覚したら、抱える虚無感が増してしまった。
『だれ……か……』
寒さと衝撃のせいか意識が遠のいていき、助けを呼ぼうとしても声が掠れて出ない。
数分ほど前の私は、大声で千世ちゃんの名前を呼ぶことができていたというのに、それがまるで夢だったかのようだ。
私もこのまま、千世ちゃんと一緒に死ぬのかもしれない。
まだやりたいことがたくさんあったけど、それも、もうどうでもいい。
千世ちゃんのいない世界で生きていくことほど、苦しいことは―――……
『助けてやろうか?』
静かだった世界に、聞き慣れない声が響く。
重い瞼を開けると、銀色の髪を黒いリボンで二つに結った少女が、私の前に現れていた。
助けてくれるのなら助けてほしい。
千世ちゃんを助けるためなら、命だって惜しまないから。
そう言おうとしても、唇が僅かに動くだけでひと声も発することができない。
『我は……そうだな。悪魔、とでも名乗っておこうか。この少女の命を助けて欲しくば……』
少女が話し始めると同時に、目覚ましのベルのような音が私の耳元で鳴り響く。
まるで、彼女の言葉を―――千世ちゃんを救う手立てを隠すかのように。
『…………くを、……ょ……うに…………こ、……ら……』
ベルの音は次第に大きくなっていき、それに掻き消されて少女の声が小さく、聞こえなくなっていく。
ダメ、まだ千世ちゃんを助ける方法を聞いていないのに。
まだ、まだ、
ダメなのに――――――………………
「―――あ……」
目を開けると真っ先に私の視界に入ってきたのは、銀髪の少女でも雪の日の空でもなく、見慣れた自分の部屋の天井だった。
起き上がらずとも自分が大量の寝汗をかいていたことがわかり、その汗の量から、自分がどれほど夢に魘されていたかを理解する。
「またか……」
ベッドから上体を起こし、ぼそりと独り言を呟く。
これで、千世ちゃんが事故に遭ったときの夢を見るのは五回目だ。
一体、あと何度同じ夢を見ればいいんだろう。しかも、よりによって千世ちゃんを事故に遭わせてしまった時のことを夢に見るなんて、さすがに心が痛む。
同じ夢といっても、今回のように千世ちゃんを助けてもらうところまで見ないものもあれば、助けてもらうところまで見るものもあるけれど。
千世ちゃんから離れても忘れられないその記憶を憎み、私はやり場のない感情と共に枕を投げ飛ばした。
関係のないものに当たり散らしたって、何も解決しないことは分かっているのに。
朝の九時ぴったりを指す目覚まし時計を切り、ゆっくりと体を起こすと、枕から出てきてしまった羽根が指先に触れる。
羽根をつまみあげて陽光にかざすと、夢に出てきた雪のように羽がやさしく光った。
あの優しい千世ちゃんを想起させるような柔らかな光に、胸がぎゅっと痛む。
(……今日は待ちに待った中学生になる日なんだから、早く準備しなくちゃ)
心の中で自分に言い聞かせると、私は部屋の壁に掛けられた白いセーラー服に袖を通した。
私が今日から通う学校―――私立櫻庭学園中学の校章が胸ポケットに刺繡された、少し黄みがかった白のセーラー服は、袖口や襟に薄紅色の二重線が刺繡されている。
すね丈のフレアスカートの裾にも同様の線がプリントしてある、とても上品でお洒落なものだった。
最後に臙脂色のリボンを胸元で結ぶと、明るめ色合いが引き締められ、中学生らしい格好よさが出たような気がする。
小学生の時は制服なんてなかったし、セーラー服にはずっと憧れていたので、新鮮な気分になる。
無造作に下ろしたままだった髪をいつものハーフアップにした後、私はおかしなところがないか自分の格好をくまなく確認し、部屋にある姿見の前に立つ。
制服を着ているからか、鏡に映る姿は前よりも大人びて見える。
中学生らしい、凛とした雰囲気を纏った自分を見ていると、なんだか自信が持ててくるような気がする。
「陽代乃ちゃーん!!そろそろ起きないと遅刻するよー!」
お母さんが自分を呼ぶ声が聞こえて、私ははっと我に返った。
慌てて壁掛け時計に目をやると、針は九時二十分を指している。
入学式の開始は十時からだ。移動時間も考えると、もうそろそろ朝食を食べ始めた方がいいかもしれない。
「ごめん!今降りるねー!」
部屋の扉を開けて一階にいるお母さんに返事をすると、私はスクールバッグを片手に階段を駆け下りた。
「おはよう、お母さん」
「おはよう。あ、セーラー服すごく似合ってるね!そのスタイルの良さはお父さんに似たんだわ~」
リビングの扉を開くと、母が髪の毛を梳かしながら私に話しかけてきた。
食卓に並べられた私の味噌汁だけは湯気が上がっていて、温かい味噌汁が好きな私のためにわざわざ温め直してくれたのだとわかり、その小さな優しさに心がじんわりと暖かくなる。
「そう?私はお母さんにも似たと思うけどなあ……髪の毛がストレートなのとか、特に」
「えー、髪質がいいのはどう考えてもお父さん似だと思うけど」
「ストレートなのが重要なの!」
毎朝恒例の母との他愛のない会話のおかげで、心が少しづつ楽になっていく。
気持ちが前向きになっていくのを感じて、私は改めて平和な日常のありがたさを痛感した。
「あ、お父さんにお線香あげなきゃ」
亡くなった父の仏壇の前に正座して、マッチの火を線香に近づける。
先端に灯った炎を手で振って消すと、陶器の器に詰まった灰の海に、私はそれをさし立てた。
そして、いつものように笑顔で遺影に話しかける。
「おはよう、お父さん。私もついに今日から中学生だよ。できることなら、お父さんも一緒に入学式に行きたかったな。でも、行けない代わりに、私のことちゃんと空から見ててね?―――あ、そうだ!制服、どう?似合ってるかな?」
そうお父さんに問いかけながら、立ち上がってくるりと回ると、白いスカートがふわりと広がる。
言わずもがな、返事はない。
遺影の父は優しい笑顔を保ったまま、ただ私を見つめるだけだった。
「……うん、お父さんならそう言ってくれると思ってた!じゃあ、朝ごはん食べてくるね」
私は努めて明るくそう言った後、仏壇から離れて食卓の前にある椅子に座る。
お父さんが病気でこの世を去ってから、もう八年も経つ。
それほど長い年月が過ぎたというのに、私はまだ、お父さんが亡くなったという事実を受け入れ切れていない。
そろそろ立ち直らなくてはいけないのは、自分でもわかっている。
けれど、大好きな父親を失うことは、私にとってあまりにも残酷すぎる出来事だった。
お父さんが亡くなってからしばらく過ぎた頃、母が再婚して継父ができた。
最初はとても優しい人だったのに、再婚してひと月も経たないうちに、兄と私の双子の妹の世話を放棄し、母を精神的に痛めつけるようになってしまった。
六年ほど前になんとか離婚したものの、最悪なことに兄と妹の親権はその男にとられて、未だに再会できていない。
会いたいのは山々だった。でも、私も母も、あの男に会うのが怖くて仕方ないのだ。直接会って何をされるかが分からないから。
大切な子供に、兄妹に会うためならと思っても、植えつけられた恐怖はどうしても拭えなかった。
もう数年経つけれど、男からも兄妹のどちらからも連絡はない。
二人とも、あんな男に引き取られて無傷でいる訳がないだろう。無事を確認できないのが、心底悔しくてたまらない。
今頃、二人とも父と同じところにいるかもしれないと思うと、あの男に対する怒りと恐怖で鳥肌が立つ。
「……陽代乃ちゃん、味噌汁冷めちゃったから、温め直そうか?」
私が暗い顔をしているのが見えたからか、お母さんがまた気を遣ってくれる。
(やっぱり、お母さんは気遣い上手で優しい……)
でも、日頃から優しくされすぎて、何だか逆に申し訳なくい。
それに、お母さんはいつも誰にでも気を遣いすぎる人だから、いつか心労で倒れてしまわないか心配になる。
「……ううん、別にいいよ。それに、そんなにしんみりした口調で話さないで!今日はせっかくの入学式なんだから、明るくいこうよ!」
こんなに重い空気が流れたままでは、人生で一度きりの中学校の入学式を楽しめない。
それに、お母さんにはいつも笑顔でいてほしい。特に、こういったお祝い事の日には。
まだお母さんは心配そうに私を見つめていたけれど、数秒間の沈黙の後に、やっと微笑んでくれた。
「……それもそうだね。じゃあ、食べようか」
そう言いながら、母は茶碗の上に置かれた箸を手に取った。
先程まで私と同じくらい暗い顔をしていたというのに、母の表情はもういつもの笑顔に戻っている。
なんとか笑顔を取り戻してくれたことに安堵しながら、私は冷めた味噌汁を口に運んだ。
久しぶりに飲んだぬるい味噌汁は、意外と美味しくて少し笑ってしまった。
・*・*・*・
「着いた……!――わ、眩しい」
車から降りて校舎を見上げると、校舎の後ろから差してくる鋭い太陽の光が、私の目を突き刺してきた。
空は雲一つない晴天で、太陽を遮るものが何もない。
まさに入学式にぴったりの天気だ。
「うわぁ……お城みたいに大きいね、この学校」
右手で太陽を遮りながら、母がぼそりとそう呟く。
確かにこの学校はかなり大きい。
初等部の生徒向けの遊具がある広いグラウンドに、初等部の校舎、中等部が使う北校舎と、昇降口がある高等部の南校舎、初等部から高等部まで共通の大きな体育館が同じ敷地内にあるからだ。
そのうえ道路を一本挟んだ隣の敷地には付属大学とテニスコートまであると学校のホームページに書いてあった。
さすがは私立の学校だ。
「あ、あっちにクラス名簿が貼ってある!」
自転車置き場の近くに人だかりができているのを見つけ、群がる新入生たちの隙間からクラス表をちらりと見た私は、母を置き去りにしたままそちらへ小走りで向かう。
今年の中等部一年生は百人と少しで、クラスが四つあると聞いている。
ほとんど初等部から進級してきた子ばかりだけど、今年は転入生の数も多いらしかった。
そう、私もその転入生のうちの一人だ。
知り合いが誰もいない学校で、中学生としてのスタートを切るのは不安だけど、それでもやっていくしかない。
今の私は、小学生の頃とは違う。
地味で存在感のない、人間嫌いな私はもういない。
―――千世ちゃんが、私を変えてくれたから。
これからきっと辛いことや大変なことがたくさんあると思うけど、きっと大丈夫。
千世ちゃんはもう私の親友ではなくなってしまった。だけど、千世ちゃんの教えてくれたことは、千世ちゃんとの思い出はまだ私の中に生きている。
それを忘れなければ、私はどんな困難も乗り越えていけるはずだから。
どんな子が同じクラスになるんだろう、出来れば優しい子が多いといいな……などと内心ちょっぴり期待しながら、私は人混みの合間を縫って、一組から順番にクラス表を見ていく。
「一組……………………ない、二組……………………も違う、三組…………あった!」
ようやく自分の名前が書かれている部分を見つけ、私は他のクラスメートの名前も確認していく。
やっぱり知ってる人はいないよね、と思いながら見ていくうちに、名簿も終わりの方に差し掛かってきたその時。
ふと見覚えのある名前を見つけ、驚いた私は思わず声を上げてしまった。
「え…………なんで―――……!?」
『20番 月宮 千世』という鮮烈な黒の文字列から、私はもう、目を離せない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。