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■1-2
「真空さん、とにかく止まって! 僕、話があるんだ。あ、性癖の事は誤解だからね」
「はあはあ。なあに?」
真空さんは膝に手をついて、荒く息をついた。ちょっと上目遣いに、僕を見る。外灯の明かりに、顔が上気している事が分かった。
どきどきした。
真空さんの、細身でありながらむっちりとしている肉体から、甘い匂いが漂ってくるようだった。
「あの、ね」
「うん?」
真空さんが微笑む。信じられないほどに、可愛かった。黒く光る瞳は優しく、ピンク色の頬も、唇も、全てが優しく柔らかそうだった。
そう、性格が優しいだけではなく、その顔も、体も、どこもが優しいんだ。
その優しさに甘えたくなる。柔らかさの溢れている体を、抱き締めたい。外灯に輝く唇に、僕の唇を押し付けたい。独り占めしたい。僕のものに……。だから、言わなくちゃ。
「あの、あ、あの……」
気持ちは熱く煮え滾り、吹きこぼれていく。それなのに、口が回らない。言葉が出てこない。体が固く締まり、うまく動かない。
愛を告白し、抱き締めて、キスをする。そんな事、出来そうにない。
あんなに練習したのに。まだ練習の途中だったからだ。
いや違う。僕の度胸の問題だ。分かっていた。僕には甲斐性が無い。
……でも、諦めるわけにはいかない!
その為に、用意してきた物があるのだ。震える手を、肩から提げた鞄に突っ込んだ。手ぶらで来たわけではない。物に頼るのだ!
鞄の中、手に、ふさふさした触り心地の良い感触。そいつが僕の手に反応して、もぞもぞと動いた。
今大人気のペットロボット「コロボウ」だ。どこも品薄で入手が困難な代物。真空さんも欲しがっていると情報を得て、必死にバイトして買ったのだ。こいつを、ダシにするのだ。
「あの、真空さんに、渡したい物があるんだ!」
「え? もしかしてプレゼント!?」
真空さんの瞳に、星がきらきらと弾けた。
「嬉しい! でもどうしてかな? 何か、私にお願い事があったり?」
小首を傾げる仕草も可愛くて。それから、瞳だけを僕に戻して。
「もしかして……下心があったりして?」
「え、あの」
そう言われてしまうと、その通りなんだけど!
「もしかして、さっきの街灯にやってた事と関係があったりして? 二重君、とても真剣だったもの」
「あう!?」
ああああ!? 死にたい願望が首をもたげる!? タナトスよ! 落ち着け!
「鉄の棒にやってたアレコレを、私にやるつもりだったの? その為に私を呼んだの?」
「あうっふ!」
刺さる! 刺さる! 言葉が胸に!
「私の体に興味があったの? 私に触りたかったの?」
それを言う真空さんは、しかし僕への嫌悪感など微塵も感じさせない、相変わらずの輝くような笑顔なのだった。目はキラキラ、そして頬は赤くなっていて……。なんて可愛い!
「ねえ、どうなの?」
そんな素敵な微笑のまま、ぐいぐい迫ってくる。
「あわわわ」
これが真空さんなんだ。
こんなに朗らかな笑みで、邪気もなく、こちらの致命的な部分に迫ってくるなんて! ああ、でもこの、天使に拳銃を突き付けられる感じ、嫌じゃない! いやむしろ、気持ちいい~。
「ずっと鉄の棒が相手でも、いいの? きっと痛いよ? 男の子って本能に支配されてるんでしょ? 次のステップへ進むにはイニシエーションが必要なんでしょ?」
でもここまで追い詰められると、
「あ、いや、そういうわけじゃないんだ!」
しまった。咄嗟に、つい否定してしまった。
「……なーんだ。違うんだ」
口は笑ったまま、真空さんが視線を逸らした。困ったような、失望したような微笑み!?
「男の子ってそういうものだって聞いた事あったんだけど。違ったみたいだね」
ぺろっと舌を出す真空さん。そんないたずらっ子じみた仕草も、なぜだかとても切ない顔で、僕は胸がきゅっと締め付けられて……。
まずいまずい! 僕は今、大いなるチャンスを逃そうとしている!
「あ、そういうわけじゃないってのは、男全般に言える本能的なエロスって事じゃなくて、僕が個人的に、僕個人として、真空さんに……」
頭の中がぐるぐるする。
「ふむふむ、それで?」
切ない表情から一変、すごい期待を込めた顔つき! そして柔らかそうなボディ! 空気までも甘く感じてきて……。吸い込まれそう。
だ、だめだ、向こうのペースに呑まれちゃ!
ここは僕が男になるべき時! やられるんじゃない、やるんだ!
鞄の中で、コロボウをぎゅっと握る。
「真空さん、と、とにかく、これを君に……!」
「眩しい!」
真空さんが声を上げ、目を覆った。コロボウが光ったわけではない。まだ鞄の中だ。
「え、あ、本当に眩しい!?」
僕らの影が、真っ黒く、地面に焼き付いていた。
慌てて振り返る。
空に、眩しく輝くオレンジ色の光の玉があった。そいつが、こっちに向って落ちてくる!
なんだ!? 流れ星!?
え、なに!? 距離は?
わ、もう、直径二メートルぐらいに見えてきて……!
「うわああ! 危ない!」
「二重君!」
真空さんが僕を突き飛ばし、二人で地面を転がった。
その直後、オレンジ色の球体は外灯をへし折って、僕らの立っていた辺りに落ちた。どすん、と音がした。それから一回跳ねて、ゴロゴロと転がり、止まった。
物凄い勢いで落ちてきたと思ったけど、地面に激突した部分は僅かに凹んでいるだけで、クレーターが出来たりもしていない。意外と速度は遅かったのか?
「あれ、何……? 隕石かな?」
直径二メートルほどの球体。オレンジ色の光が徐々に弱くなる。だが消えたわけではなく、薄ぼんやりと光っている。
球体とは言え、単なるボール状の物体ではなかった。
「なんか……蓋をした丼みたいだね」
中に熱々のご飯と卵でとじたトンカツが入ってそうだ。最後に三つ葉を乗せて。
その丼の蓋が、ぱかっと開いた。
「わ!?」
そして中から、ぬっと顔を現したのは……銀色の顔に大きな黒い目……!
「う、宇宙人!?」
僕と真空さんは同時に叫んだ。二人一緒に、そいつに指を突きつけて。
あの顔……! あれだ、宇宙人グレイってやつだ!
て事は、この丼はUFOだったんだ!