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■1-1
春の夕べ。
澄み渡った空に、星と月が煌いていた。その下で、僕はまだ明かりの灯っていない外灯を抱き締めていた。
ここは東京都下にある寺ヶ白公園。広い自然公園だ。
その中の池のほとりに立つ一本の外灯。それが、今の僕の相手だ。
胸に、冷たく硬い鉄の感触。体を少しだけ傾げて、外灯に僕の頬をくっ付ける。柱に手を回す。股間を押し付ける。
「あっ、ふう」
僕は片足を前に出し、鉄柱に絡めた。腕に力を入れる。僕の肉の薄い体に、外灯の柱が、むぎゅっと、食い込む。
僕は彼女を抱いていた。鉄柱の冷たさが肌に滲みる。それでも、この胸の想いは冷めそうになかった。
ジョギングランナーが通り過ぎていった。僕を見ながら。
構うもんか。僕は真剣なんだ。
……あ、別に僕が外灯マニアってわけじゃないよ。これはあくまで練習。彼女――真空みちる――を抱き締める時に、怯まないように。
あと十五分したら、彼女が来る。だからそれまでに、練習をしておかねばならない。
そう、僕はこれから、真空さんに愛を告白するのだ。
その為に、死ぬほどの勇気を振り絞って呼び出しのメッセージを送った。幸い、わずか二秒後に、「オッケーだよ。テレビ観たら行くね」のなんともあっけらかんとした返事が返ってきた。
この、女の子にありがちな表裏や打算の無い、誰にでも自然体な対応。これこそが真空さんの魅力なんだよ。こんな女の子、好きになるしかないじゃないか。
はじめは一目惚れだった。
高校の入学式の後のホームルームで、彼女に出会った。艶やかに流れる長い黒髪。その下の笑顔が、あまりにも可愛くて。大きな瞳が、頬が、唇が、歯が、全てが輝いていた。温かく、柔らかい光だった。
だけどもそれ以上に、性格の可愛さにまいってしまったんだ。
素直で、優しくて、可愛くて、運動神経も良いらしくて、でもそれだけじゃなくて、そんな単純な要素だけじゃなくて……。副担任の晴子先生に言わせれば、「ファニーな魅力なんじゃないかな?」との事だった。その時にはじめて「ファニー」という言葉を聞いたけど、なんか言葉の響きから真空さんにぴったりな気がした。
それが今から一ヶ月前。
明日からゴールデンウイークだ。今年のゴールデンウイークは四連休。ゴールデンウイークには誘惑がいっぱいだ。その前に、僕の方から勝負をかけねばいけない。
男にならねば。告白して、OKをもらって、その勢いで抱き締めて、……そして、キスをするのだ……。したいのだ。こんな風に。
「ん……」
僕は冷たい鉄柱に口付けをした。
その時ちょうど外灯が瞬き、僕を照らした。空の星も月も、見えなくなった。
僕は鉄柱におでこをくっ付けて、もう一度口づけをした。軽く。それから、深く。ごく僅かに、口を開けて。
……だめだ。こんな控えめなキスでは。
なぜなら、真空さんを狙っている男は僕以外にも沢山いるからだ。ここで深い愛を刻み付けないと、もっと女慣れしているやり手の男に掻っ攫われてしまうかもしれない。
そうだ、ここはもっと……アメリカの映画でやっているみたいに、激しいのをするしかない。
僕は明かりの灯った外灯に絡みついた。抱き締めるなんて生易しい表現では適わないほどに、情熱的に。
それから、「んっは、んっは」と熱っぽい息遣いで、むちゅっ、むちゅっ、とやった。
いいぞ。これぐらい深く熱く僕の愛を刻み込めば、生半可なイケメンでは愛の上書き更新も出来ないはずだ。
「んっちゅ、んっちゅ、みちるちゃん、んっああ、んっ」
「二重君、それが好きなの?」
「好きだよ! あっんんっ、好き好きっ」
ん?
僕は鉄柱を舐めながら、薄目を開けた。長い黒髪が、ふわっと揺れた。真空さんが首を傾げていた。
死のう、と思った。池に飛び込んで。
だけど真空さんは、
「話があるってその事かな? 大丈夫、私が見ててあげるね。誰にも邪魔させないから。私がこうやって守ってあげるね」
そんな事を言いながら、僕と外灯の周りをぐるぐる回りだした。
その走る速度はどんどん上がっていき、うっかり近付いてきた犬の散歩のおばさんを弾き飛ばしそうになった。
「二重君って、鉄棒とか、昇り棒とか、好きな子だったでしょ? 皆が遊ぶのをやめても、しつこく体をこすり付けていたでしょ? そういう男の子、小学校の時に、いたよね。でも、あれは小学生だけじゃなくて、高校になっても、やめられない人もいるのね。二重君が、そういうタイプだったんだね。湧き上がる衝動を、抑えられなかったんだね。大丈夫、私は味方だよ。安心して。お巡りさんが来ても、私が追い払ってあげるから。はあはあ」
真空さんは息を切らせて、僕ら(?)の周りを走りまくる。
「違うんだよ! 僕にはそこまでの性癖はないよ!」
僕はそう叫びながらも、同時に、真空さんの優しさに泣きそうになっていた。真空さんは僕の事を警察からも守ってくれると言った。誤解ではあるけど。
それだけではない。
数秒前に僕を襲った自殺願望を、真空さんは叩き潰してくれていた。僕の命を救ったんだ。この純真な行動で。
彼女は……地球に舞い降りた天使なのかもしれない。きっとそうだ。